ウージーの雑(な)文

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2010.12.31
カラオケの映像には、寺より神社の方が多く登場する気がするのは、私の思い過ごしだろうか。歌っていて鳥居の映像が出てくると、脳味噌が反応してしまいます。他の人が歌っているときに出てくると、どこの神社だろう?何という神社だろう?と映像に見入ってしまいます。神社がカラオケの映像に使われるのは、女性又は男性が都会へ働きに出ようとしており、残される恋人と二人でふるさとの神社にお参りするシチュエーションだったりします。歌でいうと、春日八郎さんの「別れの一本杉」とか、守屋浩さんの「僕は泣いちっち」あたりでしょう。新しいところでは、「木綿のハンカチーフ」でしょうか。と書いて少し心配になりWikipediaで調べたら「太田裕美が1975年12月21日に発売したシングルである。」とあった。35年前の歌だった。Mさんに、「私、生まれていません。」とまた言われそう。この曲が持ち歌のSさん、お互いに年を重ねましたね。「別れの一本杉」はどうかと調べたら、リリースされた時には私生まれておりましたヨ、はい。
神社が歌われている曲ってあるのだろうかとおっしゃる貴方、ありますヨ。童謡「村祭り」がポピュラーですね。北島三郎さんの「まつり」は「山の神」は出てくるんですけど神社は出てこないなぁ。山崎ハコさんの「望郷」には「まっ白な霧の中 神社の石段を かけ上がり 手を合わせ 泣いてた小さな子」というフレーズがあります。好きな曲なんですけど、市松人形の様なおかっぱで着物を着た女の子が霧の中を・・・って、ホラーっぽくイメージしてしまいます。さだまさしさんの「飛梅」は太宰府天満宮、「檸檬」は湯島聖堂、まてよ湯島聖堂は神社じゃないかぁ。「木根川橋」には白髭神社が出てきます。

「それでは皆様、さようなら〜」 ではなくて、それでは皆様、よいお年をお迎え下さいませ。

2010.12.28
我が家にはお好み焼きを焼く鉄板がある。測ったことはないが、厚さは間違いなく5mm以上ある。大阪に住んでいた頃、斜め向かいに住んでいたSさんから、親に頂いたものだ。鉄工所に勤めていたSさんが切り出した手作りと聞いている。鉄板は今でも現役である。鉄工所と言えば、近所にもあった。友達の女の子Hちゃんの親戚がやっていて、住居にはテレビがあった。当時我が家にはテレビが無かった。Hちゃんに誘われて親戚の鉄工所によくテレビを見に行った。工場には、彫刻刀で出来たホウの木の削り滓の様な鉄屑が一杯あった。「ラマー・オブ・ジャングル」とか「危険な曲がり角」とかの洋物を見ていた記憶がある。親父が迎えに来るまでかじり付いていた様だ。オシロイバナの種を割ると白い粉が出てくることを教えてくれたのもHちゃんではなかったか。小学校低学年時の友達だったT君の家にもテレビがあった。彼の家は、プラスチックの成型をしていた。面白い形をしたプラスチックの部品が沢山置いてあった。部品にはバリの付いたのもありめずらしかった。「赤胴鈴之介」の放送を見たのはT君の家ではなかっただろうか。我が家にテレビが入ったのは、昭和30年代初め頃だったと記憶している。14インチの白黒でゼネラル製だった。今、私の目の前に17インチのCRTがあるのだが一回りも二回りもでかい図体であった。ガスレンジの点火つまみのようなものでチャンネルを切り替えた。近所の年配の男性Yさんが、我が家によく相撲を見に来ていた。
NHKの朝ドラ「てっぱん」の再放送を見て、とりとめのないことを芋づる式に思い出した。

2010.12.19
初めて使ったワープロは文豪mini5だった。個人で購入したのだが、会社に持って行って仕事に使うことの方が多かった。ノート型で持ち運びには困らなかった。液晶画面のバックライトは無くモノトーンだった。それからしばらくして原料の在庫管理をするためにパソコンを買ってもらった。製造部で買った初めてのパソコンではなかっただろうか。表計算ソフトはLotus1・2・3。58000円で買った。そのパソコンをワープロとしても使いたいと思った。当時会社ではワープロ専用機のOASYSが標準だった。(5インチのフロッピィが主流で、棚にしまわれている8インチのフロッピィも実見した。)専用機と互換性のあるOASYS Winというパソコンソフトがあり、ほんの一部で若い人が使っていた。私が使っていたパソコンはMS-DOS3.3D+ミニフロッピィで動いていたので、OASYS Winを使うためには、Windows3.1を導入せねばならず、かつハードディスクが必要だった。120メガのハードディスクを7万円以上で買った。(注:単位を間違ってはいません。120メガです。)メモリーも増設した。私はOASYS Win使いになった。パソコンが普及するに従い、OASYS Winを使う人も増えていき、使い方に関する質問の電話がかかるようになった。
私はWindows95の時代に個人でパソコンを購入していた。(内蔵ハードディスクの容量は340メガ。注:単位を間違ってはいません。)私のパソコンにはOASYS Win、Wordpro、一太郎と3つのワープロソフトがインストールされていた。WordproはLotus社のSuper Officeに入っていたものだ。個人で一番多く使っていたのは一太郎だった。日本語変換ソフトは当然ATOKを使っておりました。
仕事で文章を書く時間が長くなってきた。人差し指2本で結構早く打っていたのだが、キーボードから目が離れているので、顔を上げたらアルファベットが並んでいたことが多々あった。(日本語を打っております。英語は書くのも、話すのも、聞くのも駄目。当然学生時代のテストの結果も駄目。)それは良いのだが(良くない!)、アルファベットを削除している内に、ひらめいた文章を忘れてしまうことが悔しかった。そんなとき、日本橋で「一週間でブラインドタッチが出来る」というソフトを見つけた。3500円ほどだった。事務所で女性達は普通にやっているのだが、私にとっては神業に近いブラインドタッチが出来るかも知れない。買った。さすがに1週間では駄目だったが、1ヶ月で文字が打てる様になったのだ。思いついた文章を忘れない内に文字に置き換えられるのは気持ちがよい。ただ私の場合、文字のブラインドタッチが出来ただけで満足してしまい、数字や「%」等のある最上段キーの練習をやめてしまった。ブラインドタッチ、目がキーボードと画面を行ったり来たりしている貴方にお勧めします。掛かり恐ろしい様ですが、ほんと簡単です。たとえて言うなら、そう、小さい子供が自転車に乗る練習を始める様なものでしょうか。いや、それほど難しく無い。第一ミスっても痛くもないし、怪我もしません。

2010.12.02
奇跡が起こった! 27日の土曜日に出勤したのだが、点滅信号を計算に入れると、連続17ヶ所の信号総て青で、一度もひっかからずに通過出来たのだ。これは奇跡だ。ただし、18個目でひっかかった。残り2個はセーフだったので、この1個が無ければパーフェクトであった。この日は、R165からR422を走ったのだが、途中伊賀鉄道の踏切を2ヶ所渡る。この2ヶ所もセーフだったのだが。

伊賀鉄道で思い出した。なにげなく携帯メールの履歴を見ていたら、弟の名前が目に付いた。伊賀鉄道のDVDを名張駅で買ってきてくれと、私がメールで頼んだ事に対する回答だった。DVDを持ってきてくれた弟と一緒にそれを見たのだった。弟と私は時期は違うが伊賀鉄道(当時は近鉄伊賀線)で同じ高校に通った。通学時の話題は沢山あった。鉄ちゃんである弟は車両の話題にも事欠かない。
弟から来たそのメールの日付は2010年2月15日。弟からの最後のメールになった。

2010.11.12
吉野山へ行ってきました。花見に訪れたのが昨年の4月。その時、あまりの人の多さに金峯神社と水分神社の参拝をあきらめたのでしたが、その年の9月に参拝を果たしました。約1年ぶりの吉野山であります。残念ながら、桜の葉は散っていて、モミジは青々として、ほのかに期待していた紅葉は駄目でした。(ほんの一部紅葉しておりましたが。)蔵王堂の中に入るのは初めてです。のはずです。小学生の時に入っていた可能性(2009.4.19)もあるんですけど記憶に御座いません。さて今回の吉野行きの目的である金剛蔵王権現だが、映像で見た時のインパクトがあまりにも強く、その時から実物を見てみたいと思い続けていたのです。平城遷都1300年記念ということで御開帳となり願いがかなった次第です。拝観料は1000円也。とにかく蔵王権現が見たかったので高いとは思いませんでしたが、護摩木deストラップやエコバック等のサービスがありお得に感じました。護摩木deストラップとは、護摩木の上部に切り込みが入れてあり、ストラップの紐が付いている。簡単に折り取ることができて、蔵王権現の画像+「金峯山寺」の刻印が入ったストラップになります。ストラップを切り取った残りは護摩木で、願い事と氏名を書いておさめると、焚いて頂ける。切り取らずに記念品としてそのまま持って帰ろうか等と考えたりしていましたが、結局「祈願文を書いてこちらにおさめて下さい。」との言葉に従いました。護摩木には「交通安全」と書き、ストラップはバイクのキーに取り付けました。金剛蔵王権現に話を戻します。ネットに画像が出ていますが、やっぱり実物の迫力は凄い。前に座ると身長約7m、4頭身位に見えるお顔がググッと見おろしてくる。見下ろす感じが凄い。濃い青の色彩も凄い。秘仏なので退色しにくかったのだろう。苦しむ人々を救済する尊像の出現を祈念していた修験道の祖役行者の前に、最初に現れたのは弁財天だったという。次に地蔵菩薩が現れたが、役行者が求めていたのはもっと荒々しい神であった。ついに、一面三目青黒色憤怒相の蔵王権現が現れる。役行者はそのお姿を桜の木に刻んでとどめる。これが吉野山イコール桜の山になった発端であると何かの本で読んだ記憶がある。堂内にはもう一体蔵王権現があった。こちらも結構でかい。それらを順路にそって拝観していたら、突然法螺貝が鳴った。合わせてお経をあげる複数の声が聞こえてきた。太鼓の音も響く。それらは大変力強い。なじみの般若心経に変わったが、今まで聴いたことのない力強さだ。順路を逆に戻ったら、お堂の一角でお経をあげながら護摩木を焚かれていた。「護摩木deストラップ」の護摩木が見えた。横でしばし独特のハーモニーに聞き惚れた。

金剛蔵王権現の御開帳をネットで調べると、過去には、2007年に4日間、2004年から2005年にかけて1年間(ユネスコ世界遺産登録を記念して)、2000年役行者1300年大遠忌法要を記念して5月12日から6月7日に拝観出来た様です。

2010.10.31
平城宮跡へ行ってきました。5月に行って今回が2度目。1度目は地区の親睦会(100名ほどの団体)で行きました。今回は、会社OBの方達のハイキンググループに参加させて頂いたら、たまたまコースに平城宮跡が含まれていたというわけです。参加者は10名、職場が違っていて初対面の可能性が大きい方々(もの忘れのひどい私がお忘れしただけかも・・・)、十年ぶりにお会いした方々、うん十年ぶりにお会いした方etc.初めて参加するのに遅れる訳にはいかないと、40分以上早く待ち合わせ場所の新大宮駅に着いたのですが、すでに到着されている方々がおられました。話に花が咲き、なつかしい顔が次々に到着されまた話に花が咲き、出発までの時間もあっという間に過ぎました。それにしても、N1さん、年2回フルマラソンに参加され規定時間内で完走されているとか。私より髪の毛もふさふさで、40歳と言われても信じます!
新大宮駅から平城宮跡まで歩き、平城宮跡内を散策して、西大寺駅まで歩いて解散というコースでした。コースの案内役はN2さんです。N2さんの現役時代、飛鳥の撮影ポイントを案内して頂いた事もありました。そうそう、大台ヶ原へ行ったのは、N2さん、N3さんとご一緒させて頂いたのが最初でした。N3さんはお体の具合がお悪いとかで、今回は参加されていませんでした。平城京歴史館は今回も入れませんでしたが、東院庭園に行くことが出来たのは良かったです。天平の衣装をまとい大極殿付近を散策されている女性が多く見られました。衣装のサイズも色々揃えられている様で、幼稚園児位の女の子から50歳代位とおみうけする女性まで、また若い男性のコスプレもちらほらと。5月に初めて見たときは、イベントに参加されている人達かと思いましたヨ。
平城衣装

2010.10.17
名張の山ノ神の石碑を撮影しようと現場に着いたのだが、18-200mmズームのピントが合わなくなった。オートが駄目なら手動ですればいいと、スイッチを切り替えたがそれでも駄目だった。仕方なく自宅に引き返した。遠出でなかったのが幸いだった。電気接点を拭いても駄目だった。レンズが原因なのか、ボディが原因なのかを調べるためにもう一台あるD40(18-55mmズーム付き)とレンズを交換したら、18-200mmが原因と分かった。このレンズを使い始めて3年以上経過した。普段は車の後部座席にほりこんである。バイクで出かける時は座席の後ろにゴム紐で固定する。(勿論カメラバックに入れてですヨ)振動の多い事が故障の原因なのだろうか。18-55mmがあるからたちまち困らないが、このレンズ、手振れ補正が付いていない。まだ試した事は無いが、暗い室内なら手振れするだろう。早く修理した方が無難である。ネットで購入したのでメーカーに宅配で送ろうと思っていたが、長い間大阪に行ってないことに気づき、大阪のニコンプラザに持ち込むことを思いついた。ネットで場所と開いている曜日、時間を確認し出かけた。案内の女性を除き、二人の男性が顧客と対応していた。5分待っただろうか、10分だったのだろうか、私の番が回ってきた。症状を説明したら、担当の男性は、調べますと言って奥に消えた。ショールームにあるカメラのファインダーを覗いていたら、呼び出しがかかった。「レンズにクローズアップフィルターを付けられていることが原因です。」思わず「アチャー!」と言ってしまった。「お手数をかけさせてしまって済みません。」と続いた。言いながら、いつクローズアップフィルターを使ったのだ?と思考は飛んでいた。思い出した、そうだ、会社で製品を撮影したのだ。普段使っているカメラの電池が切れてしまい、納期を急いでいたので、車に積んである自分のカメラにクローズアップフィルターを付けて撮影したのだった。急いでいたので、クローズアップフィルターを付けたままカメラバックにしまい、付けていた事も忘れ、会社で使った事も忘れ・・・・

2010.09.26
二見輿玉神社に参拝した後、他の計画をドタキャンして次に大王崎へ行くことにしました。10年以上前、大王崎へ行った帰りに二見輿玉神社に寄ったのと逆なんですけど、この二ヶ所、セットで脳味噌にインプットされているみたいで、むしょうに行ってみたくなったのです。大王崎と言えば灯台なんですけど、無論灯台の景観も良いんですけど、港や坂道等付近のたたずまいも強く印象に残っているんです。そうそう波切神社もありますし。(やっぱり神社かぁ。)
今回は、灯台の中もゆっくりと見て回りました。灯台を描いた絵が沢山掛かっていました。(大王町は「絵かきの町」宣言をしています。)2枚ほしいのがありましたが、撮影して我慢します。灯台と同じ敷地内にあるミュージアムもゆっくりと見学しました。こんなクイズがありました。大王崎灯台の光はどの位の距離まで届くか? 1)34km 2)64km 3)104kmという三択問題であります。「3)」だろうと思い答えを確かめると「1)」でありました。灯台から見える水平線までの距離が34kmなんだそうです。104km届く光を発してもナンセンスという訳です。一つ賢くなりました。って直に忘れそう。
ポケッと海を見ていると、知らぬ間に時間がたってしまいます。伊賀盆地に住んで、伊賀盆地で働いている私は、こういう時でしか海を見ることが出来ません。遠くを走るタンカーがあの位置まで移動したらシャッターを切ろうなんて思いながら撮影するのを忘れてしまいました。
港の側に、干物を売っている店がありました。私より年上とお見受けした女性、商売上手でありまして、次から次へとサンプルを勧めます。小さな切れ端を頂いて食べたらこれらがみな美味しい。何度か味見している内に何か買わなければ申し訳ない、という気になってきた。サンマの干物と、海苔の佃煮を買ってしまった。そんなに高い買い物ではなかったが、干物が傷まぬようにと、ペットボトルに水を入れて凍らせたものを付けてくれた。
続いた暑さも収まって、秋らしくなった今日この頃、のんびりとした一日をすごしました。

写真はミュージアム内にあった大王崎灯台の模型です。いいプロポーションです。
大王崎灯台

2010.09.18
琵琶湖は伊賀で誕生したなんて言うと、びっくりされる方が多い。いや、大嘘つきと思われるかも知れない。誕生したのは400万年位前といわれていますので文献などありませんが、この話を始めて聞いたとき私はすぐに納得しました。私、30代の頃自転車に凝ってました。当時会社の隣にある社宅に住んでいたので、日の暮れるのが遅い月は、仕事が終わると近くを自転車で走り回ってました。5kmコース、7kmコース、20kmコースの3通りを設定して、その日の気分で走り分けておりました。その内足に筋肉が付いてきて、長距離を走ってみようって気になりました。で、目的地に選んだのが、滋賀県竜王町にある希望ヶ丘公園。車で何度か家族で行ったことのある場所でした。そこまで自転車で行き、公園内にある10kmのサイクリングコースを走って帰るという計画です。
勝算はありました。JR柘植駅を始点とする草津線に沿って走るのが、伊賀盆地から脱出する一番楽なルートであることを、車やバイクで走っていて経験的に感じていたのです。自転車で実際栗東間を往復したのですが、平坦と言っても良い道でした。琵琶湖は草津線に乗って、いや現在の草津線に沿って移動したことを体感したのでした。

2010.09.11
プリウスに乗った。プリウスはキーが無い。小型の印籠の様なものをポケットに入れておくと、ドアノブにタッチするだけでドアロックが解除される。車内に入り、正面にある男性用腕時計の文字盤位の大きさの丸い押しボタンを押すと、スタートが可能となる。マーチに乗った。マーチもキーが無い。キー代わりの小さなリモコンのボタン(南京錠が外れたイラストのあるやつ)を押すと、ドアロックが解除される。マーチの場合、スターターのスイッチはハンドルの根本の右横についていた。昔のテレビのチャンネル切り替えスイッチの様だ。いや、家で使っているガスコンロのスイッチに近いか。カチッ・カチッっと回し、サイドブレーキを戻しDレンジに入れて、フットブレーキをゆるめた。ハンドルを左に切ろうとしたがメチャ重い。ジワ〜っと1m位移動して停止してしまった。結論。エンジンが回ってませんでした。ゆるい下りだったので動いただけでした。スターターのスイッチをさらに回してエンジンをかけます。キーを突っ込んでセルを回すのと同じです。マーチはハイブリッドではありませんでした。

2010.09.05
先日、伊勢から志摩へとドライブした。現在伊勢自動車道の津から南が無料になっているので、一度あっち方面に走ってみようと思ったのがきっかけだ。私は165号線を走り久居ICから乗った。行きは早朝だったので車の少ないのは予想通りだったが、帰りも予想外に少なかった。勢和多気JCTで別れる紀勢自動車道も現在無料である。さらに、2年前に走ったおりは、瀧原宮近くの大宮大台ICまで通行可能だったのが、頭之宮四方神社近くの紀勢大内山ICまで通行可能となっているようだ。
トイレ休憩で松阪市内のドライブインに入った。土産物売り場をのぞいたら、ありました、松阪牛ブランド。松阪牛丼、松阪牛カレー、松阪牛ラーメン、松阪牛煎餅・・・、あれ、あと二つ思い出せない。コーナーに六種類の「松阪牛○○」が並んでいたのだ。ちゃんと数えたのだ。松阪牛ふりかけだったかなぁ・・・。死ぬまでに一度松阪牛のステーキを食べるぞと思いながら、未だに実現出来ていない私だが、結局何も買わずに店を出た。
(暑いので、背景色は濃い赤だ!なんでそうなるねんな。)

2010.07.25
ベッドの頭の部分にラジカセを置いている。現在、「子供のためのピアノ名曲集」なるCDを入れ、タイマーをセットして目覚ましに使っている。1曲目が「エリーゼのために」2曲目が「乙女の祈り」と有名どころが並んでいる。平日はこの曲まで聴くことはほとんどないのだが、CDには「トルコ行進曲」も入っている。トルコ行進曲を聴くと、私はどうしても小学校の給食を思い出してしまうのだ。トルコ行進曲は給食の時間のテーマソングになっていて、準備中だったか食事中だったかに、校内放送のスピーカーから必ず流れてくるのだった。ただし、「ハブロフの犬」よろしく口の中に唾液が涌くことはありません。好き嫌いの多かった私は、給食が苦手だったのです。3〜4年の担任のA先生は、今から考えても教育者として非常に優れた方だと思うのだが、給食の時間だけは、この先生が担任だったことを恨めしく思った。A先生は、給食を食べないと、残った分をご自身の机まで持ってこさせて食べ終わるまで自由にさせてくれなかったのだ。おかげで、昼休みにまったく遊べなかったことが多々ある。私と一緒にSさんも残されることがあった。彼女は玉子が苦手だったのだ。Sさんとは5〜6年生でも同じクラスとなり、清いグループ交際をしておりました。(笑)
A先生に関しては、「2007.05.27」にもちょろっと書かせて頂いております。

2010.07.18
今年の2月頃から左腕が痛い。先月は特にひどく、首まで影響して顔を上げることも出来なかった。どうも四十肩の様だ。年をごまかすなって?すみません。五十肩に訂正します。(← 一応セーフですヨ)
同年代の人に聞きまくったら、たいがいの人が経験されている。うかがった範囲では、、四十代から五十代前半に経験された方が多い。根本的な治療は無い様で、整形外科へ行っても、平たく言うと「ほっといたら直る」的な回答しか返ってこない様だ。そんな話を聞いたので、私は病院には行っていない。(中には、整体・針で3週間ほどで直ったと言われた方もおられたが。)時間が解決してくれると信じ、ひたすら耐えております。ただ、バイクに乗ることが出来ないのはつらい。今年、往復50kmを超える距離を走ったのは1度キリだ。バッテリーを上げないという目的だけで短距離を無理して走っているだけだ。梅雨は明けたが、心は晴れない。

2010.07.08
7月17日よりNHKハイビジョンで、スター・ウォーズが6夜連続放送される。スター・ウォーズは、SF映画部門で間違いなくベスト5に入る作品である、と私は思っている。(ウージーズ・チョイスであります。)実は私は、初期3作品のレーザーディスクを持っているのだ。当時DVDは無く、カラオケ用の再生機で見ておりました。TV(地上アナログ放送)でスター・ウォーズを見て、レーザーディスクだともっと良い画質で見られるに違いないと思い購入したのだった。ところがである。その後BS2で放送されたスター・ウォーズを見てガックリきた。こちらの方が、レーザーディスクより画質が良かったのだ。映画みるならNHKなのだ。(笑)もっと極端な例は、「オズの魔法使い」(ジュディー・ガーランド版)。昔民放で見たとき、赤っぽく、色あせた画面は、「昔の映画だから仕方がないか。」と思われたのだが、NHKで見たそれは「別の映画か!」と思わせるほど色鮮やかだった。最近見た「イージー・ライダー」も美しい画質でした。

2010.06.20
今日の朝日新聞二面に、おもしろい記事があった。米国の25才の女性の話である。幼稚園に入る前から昆虫少女だったという。しかし米国では虫を愛でる習慣が無く変人扱いされ、中学以降は昆虫趣味を隠したという。日本の昆虫熱を知ったのは2006年の暮れ。『大昔からトンボやチョウをめでた国。今でも昆虫をペットとして飼う。』と知り、脳天がしびれたという。(笑)『そんな夢のような国が地球上にあったんだ!』(笑)半年後日本にやってきたそうだ。『ごく普通の人々がスズムシとキリギリスの羽音の違いを識別できることに驚嘆』(笑)以前聞いた話にこんなのがあった。映画やドラマで真夏の暑さを表現するのに、日本では蝉の鳴き声がよく使われるが、米国だったかどこかの国だったかで、それを雑音と聞き取られたという。今日この記事を読んで、そこまで文化が違うのかと再認識した。さらに彼女は『ホタルを悲恋の象徴と感じる文学性にクラクラした。』そうだ。そういえば先日カラオケ前の夕食の場で、Aさんがホタルの話をしていた。単身赴任で伊賀地方に来ていたAさんは、当地のホタルまつりを見て歩いたという。H地区のホタルの数には驚愕したそうだ。車の中からでも多数のホタルの光が見えて驚いたのだが、車を出てさらに進むと川辺の木全体がホタルの光で輝いていたという。そのすごさ、美しさが忘れられず年が変わって再訪したら同じ場所に一匹もいなかったそうだ。観光バスで乗り付けた人達が持ち帰ったと言う。虫愛でる国にもそれなりに問題がある。

2010.06.15
弟の四十九日が終わった。弟がいた地区では、四十九日が明けるまで毎日西国三十三ヶ所霊場の御詠歌を唱える。伊賀地方では、毎日唱える地区、七日毎に唱える地区と色々あるようだ。親戚の方々、地区の方々も参加される。私も会社や地区の夜行われる会議のため数日欠席したが、ほぼ毎日参加した。親戚の方々や地区の方々が弟のために来て下さるのに私が出ないわけにはいかないという思いも最初はあったが、「弟のために」という気持ちが自然と足を運ばせた。法事としての満中陰は週末に営まれたが、真の満中陰は弟が亡くなって四十九日目である。今日で最後と思ったら、涙がこぼれて御詠歌が歌えなくなった。この日御詠歌の導師を担当した姪(弟の娘)まで泣かせたらまずいと思い、必死でこらえた。どちらかというと、私は涙もろい。映画を見ていて、こらえきれず、しゃくり上げる声を家族に聞かれたことが二度三度あるのだ。

2010.06.12
うん十年ぶりに薬師寺に行ってきました。十代の頃数回行ってその後ずっと御無沙汰でした。再建された金堂も西塔も、実物を見るのは始めてです。それにうん十年前と比べると、ずいぶん境内が広くなりました。。金堂再建は高田好胤さんが中心となり、一人1000円の写経納経で浄財をつのって達成された話は有名です。その写経は、金堂の倉庫に収められております。
日光、月光両菩薩様は当時と変わらず、腰を少しひねって立っておられました。昔行ったとき、画学生でしょうか、二・三人の女性が仏像を模写していたのを記憶しています。彼女達は、薬師如来様を描いていたのでしょうか、月光・日光菩薩様を描いていたのでしょうか。描いているのを横からしばらく見ていたと記憶してるんですけど。
凍れる音楽とたとえられた東塔は、腰をひねらずまっすぐ立っておりました。(笑)この日、普段は未公開の東塔内部を見ることが出来ました。平城遷都1300年祭のおかげであります。東塔は修復工事が行われると聞いていたんですけど、足組もされておらず、これも平城遷都1300年祭のおかげかもしれません。金堂を再建するについては、この東塔の木組が参考とされたと聞きました。当時の建物の再建は過去に例がなく、東塔の存在がなければ出来なかったといいます。このとき棟梁となったのが、西岡常一氏。彼が言った、千年を経た木を用材として使うには、千年保たさなければならない、とか、木は山で買えという言葉を思い出します。「木は山で買え」の意味は、一山の北側に生えていた木は、建物の北面に使用するという意味だったと思います。
すこし離れたところにある玄奘三蔵院にも足を運びました。玄奘三蔵像が安置されております。少し期待していたんですけど、像は、夏目雅子さんのような美形ではありません。(笑)意志の強そうな、がっちりとしたおじさんって感じでした。
薬師寺五重塔

2010.05.24
名張在住の飯田淳子さんの個展を見に行った。個展とは思えないほど色んな画風の作品が展示されていて驚く。以前にも書いたが、「作品を一つ頂けるとしたら」という視点で今回も拝見させて頂きました。「女は少なくとも5人の違ったタイプの男と結婚したいと思っている」でしょうか。娘さんの描いた絵をモチーフにされた「花瓶」でしょうか。迷います。

展覧会の会場は、青蓮寺湖畔にあるログハウスレストラン、カナディアンクラブさんの2階。本格的なログハウスの中に入ったのは私今回が始めてです。1階がレストランになっていますが、色んな小物も販売されていおり、こちらにも結構長い時間いました。

おだやかな天気の土曜日、ゆったりとした、すごく贅沢な時間を過ごさせて頂きました。
個展の風景

2010.05.09
そんなこと、思いもしなかった。年齢の順序から言ったら当然私が先だし、医療機関への出費額は、断トツで私の方が多いと信じていたし・・・・ そんなこと、私の少ない脳味噌に入る余地など全然無かった。口に出して言った事は無かったが、私が往ったら後の事はよろしく頼むと常々思っていた。とにかく、順番が逆なんですよ。

2010.05.04
今年の正月、弟の家に遊びに行った。弟が言った。「宝くじ当たったぞ。」「へぇ〜、またかいな!」と私。宝くじは買わないと当たらないが、弟の場合、当たった金額の方が、買った金額を優に上回っている。(本人に確認済み)弟は、小さい頃から当てもんが強かった。駄菓子屋であてもんを当てるのはいつも弟だった。長さ2〜30cmほどのプラスチック製のウクレレだか、ギターだかのおもちゃを当てた事がある。一等賞だった。そんな想い出話をしていたら、弟の嫁さんが、「私を射止めたのが最高のヒットよ。」と言った。私は大笑い。弟は苦笑い。その弟が死んだ。

2010.04.03
あれは20歳代の頃だったか、それとも30歳代の頃だったのか。仕事中に、急に腹が痛くなり、思わず身体がくの字型になった。何分かすると、何事も無かったかの様におさまった。食あたり位しか思いつかなかったが、さりとて腹を下すわけでもなかった。そして、思い出したかのように再び痛みが襲った。そんなことが数日続き、そして収まった。それから何年かたったある日、TVで何かの番組を見ていて、ひょっとして、あの腹痛はこいつが原因だったのではないかと思った。「こいつ」とは、アニサキスの事である。開いた生の魚の中に身体の一部を食い込ませた数ミリの白い線虫が、くねくねと動いている当時の映像を今でも覚えている。魚肉が自分の胃袋の様に見えた。私はしめ鯖が好物だ。アニサキスは酢くらいでは死なないそうで、腹痛の原因がアニサキスだとすると、しめ鯖から摂取した可能性が大きい。おかげて、暫くはしめ鯖が食えなかった。とにかく並の痛さではなかったのだ。鯖は好物で、焼いても煮ても美味しく頂きます。中まで熱を十分加えれば、アニサキスは死んでしまう。魚でも肉でも、生や半生は要注意だ。白魚の躍り食いが好物だというグルメの貴方、中まで火が通っていない焼き肉に箸を出す、せっかちな貴方、とんでもない寄生虫を自身の身体に取り込んでおられるかもしれません。人間の身体に入ったアニサキスは一週間ほどで死んでしまうそうだが、寄生虫の中には、人体の中を這い回り、脳に入って人間に死を与えるものもいるとか。

2010.03.09
音楽は小さい頃から好きだったが、高校時代の二人の友人の影響で音楽を再生する道具も趣味になった。オーディオである。まず、小さい頃聞いていた真空管ラジオ(5球スーパー)を分解して、友人に書いてもらった回路図を元にモノラルアンプを作った。シャーシやシャーシパンチ、コンデンサ、抵抗,、トランス等の部品は日本橋で買った。当時の日本橋には、駄菓子を売るように抵抗やコンデンサを並べて売っている店が沢山あった。次はスピーカー作りだ。もう一人の友人は三菱のダイアトーンというシングルコーンスピーカー(口径16cm)を使って自作していた。同じスピーカーを使うのは面白くないので、私はパイオニアのPE16を買った。ダイアトーン(P610?)は背後のマグネットがむき出しで、鉄の板をプレスしてぶち抜いたまんまって感じだったが、PE16はマグネットがカバーされ、本体も含め塗装されていた。見た目PE16の方がカッコ良かった。それって、スピーカーボックスに入れてしまえば見えないんですけどね。(笑)箱はパーチクルボードをノコギリで切って作った。木のクズを固めて作った板だったので、木目のある木と違い共振しないから良いのだと何かの本で読んでいた。友人はバスレフ方式の箱を作っていたが、私は工作が簡単な密閉形を作った。自作のスピーカーを家のステレオのスピーカーと取り替えて聞いていた。家のスピーカーはツイターとウーファの2ウエイでウーファは20cmあった。自作スピーカーの口径は家のスピーカーより小さかったが、箱は家のより大きかったので、自作の方が音は良かった。(と信じていた。)しばらくして、低音がもう少し締まってほしいと思い、スピーカーボックス内部に5cm角の角材で十文字につっかえ棒を入れた。低音が締まって聞こえた(と信じた)時は大いに喜びかつ満足いたしました。

2010.02.20
右写真(関宿にて撮影)に写っているモノをご存知だろうか。同僚は知っていたが、20歳代の女性は知らなかった。アンプルである。中に薬剤が入っている。柱のように伸びたガラス管の部分を指で押すと根元のくびれた部分でポンと割れる。私がこれを知った当時は小さなヤスリが付いていて根元に傷をつけてから割った。丸い小さな穴に、細いストローを差して栄養ドリンクを飲んだ記憶がある。そういえば、缶ジュースを飲み始めた頃は、小さな穴を開ける道具とストローがセットで付いていた。アンプルといえば、藤田まことさんだ。たしか落語家のように和服で座布団に座っておられたと記憶しているが、そんないでたちで健康ドリンクのCMをされていた。アンプルを割ってストローを差し、中の薬剤をチューチュー吸われると太鼓がドンドンドンと鳴って、藤田まことさんがすかさず「効いてきた」と決めゼリフを発するのだ。「てなもんや三度笠」も欠かさず見ていた。決めゼリフは「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」「口(耳の穴?)から手ーつっこんで、奥歯ガタガタいわしたろか!」。前田製菓のバタークラッカーは好物でありました。この文章を書いていて、「てなもんや−」で、あんかけの時次郎役の藤田さんが調子の良い唄を歌い、珍念役の白木みのるさんが足を上げて踊っている場面が浮かんできました。必殺シリーズ中村主水役の藤田さんの殺陣は凄味があった。NHK大河ドラマでの柳生石舟斎は暖か味のある役作りだった。藤田まことさんと出会っていたはずの話は「2009.06.21」に書いた。もう、ナマの藤田まことさんに出会うことは不可能になった。すごく寂しい。
アンプル

2010.02.17
先週末、御陵餅本舗におはぎを買いに行った。以前、同僚にここのおはぎが美味しいと言ったら、ちゃんと知っていた。十年以上前、崇神天皇陵に始めて行った時目に止まり、フラッと入ったのが最初だった。その時、みたらし団子とおはぎを買った。どちらも美味しかったが、特におはぎが美味しかった。外にお饅頭等も置いてあるのだが、どうしてもおはぎを買ってしまう。お饅頭もおはぎ以上に美味しい可能性があるが、やっぱりおはぎを買ってしまうのだ。最初の頃は、粒あんと黄粉(中は粒あん)を半々にしていたが、ここ数年は黄粉一本である。今回、私はそれを四個食べた。ここのおはぎは結構大きく、沢山食べたいので、昼食を抜いた。
私は粒あんが好きである。同僚は漉しあんが好きだというので言い争った事がある。「漉しあんは上品である。」「上品とか下品とかは関係なく、とにかく美味しいのだからそれで良い。」などと、ごく平和な、しかし決して交わらない議論でありました。

2010.02.07
子供が小さかった頃、トマト&オニオンへよく行った。焼肉スパゲティーなんてのがメニュー にあり、よく注文した。「2009.11.15」にカレーが好きだと書いたが、一度激辛のカレーに挑戦した事がある。最高のランク5を注文した。 「辛いですよ。」とウエイトレス。「お願いします。」「本当に辛いですよ。」と念を押された。食べたら本当に辛かった。全部食べたあと、もう一品の焼肉スパゲティを食べた。スパゲ ッティの温度が、口に残っていた辛さを刺激して二度辛かった。ココイチの場合ランク2か3を注文していたが、最近は普通を注文して香辛料をふりかけて食べている。その方が少し安く なります。

2010.01.24
何を見るとも無しにTVのチャンネルを変えていたら、NHKでポアンカレ予想に関する番組をやっていて、途中からだが最後まで見てしまったことがある。また、新聞のTV番組表を見ていたら、同じくNHKでリーマン予想の番組があることを知り録画しておいた。再生したのを見たのだが、おもしろくて数日後また見てしまった。「おもしろくて」なんて書くと、uziは、学生時代さぞかし数学の成績が良かったのだろうなんて、とんでもない想像をする方がひょっとして一人位おられるかもしれないが、それは間違いなくとんでもない想像です。私は、なぜおもしろいと思ったのだろう、と考えてみた。しばし1分間ほど自分なりに熟考したが、リーマン予想自体がおもしろかったのではなく、数学のおもしろさにちょこっと触れることが出来たからではないか、という結論に達した。もしNHKさんがうん十年前に、今回の番組の様なスタンスで微積分の番組を制作放送されて、偶然私がそれを見たとしたら、私は好んで数学、物理の勉強をしたかもしれず、もう少しましな成績を残せたかも知れないと思った。(なんと他力本願な人間なのだろう) さだまさしさんの「主人公」の歌詞に「♪時を遡る切符があれば欲しくなる時がある あそこの別れ道で選びなおせるならって♪」とある。高校一年生まで、欲を言えば中学一年生まで遡る切符が手に入ったら、私一生懸命勉強致します。授業中に小説読むなんてことは致しません。
「後悔先に立たず」と言うお話でした。

2010.1.20
何十年も前の東北旅行の事だ。八甲田山からロープウェイで下りてきたら、私より若そうな男性(24,5歳位?)から話しかけられた。「山上の見晴らしはどうですか?」登った時は結構見晴らしが良かったのだが、遊歩道を歩いている内にだんだん霧が濃くなってきたと答えた。二言三言会話があって、八甲田山に登るのをあきらめた彼が、近くを案内すると言う。彼は車で来ていた。私はワイド周遊券を活用した鉄道と定期バスの旅だったので、願ってもない提案だった。最初に連れて行ってくれたのが酸ヶ湯温泉だった。総ヒバ造りの千人風呂である。おまけに混浴という。広い脱衣場だったと記憶している。入り口は男女別だが、行き着く先は同じである。私は近眼でメガネをかけていた。しばし迷った。すなわち、メガネをかけて入るべきか、はずして入るべきか。結局はずして入った。ピントの合った千人風呂を見たいので、もし男湯だったらかけて入ったはずだ。混浴が躊躇させた。さて中に入ったら、間違い無く混浴でした。千人風呂という建造物よりやはりまず女性に目が行った。私より年上の女性が多かった。八甲田山を下山した若い女性クライマーが入浴していることもあると彼が言った。酸ヶ湯温泉の湯の色は思い出せないが、浴槽に腰掛けていた女性の白い背中は昨日のことの様に思い出した私であります。彼は東京の大学を出て地元に戻り、親の仕事を手伝っていると言った。たしか木材を取り扱う仕事と言っていた。10月10日を含む連休に年休をプラスして行ったので、ちょうど紅葉が美しい頃だった。モミジと一くくりに言う私に対して、彼は詳しく種類を分類解説してくれた。この後、十和田湖一周ドライブをしてユースホステルまで送って頂きました。
今朝の新聞に以下の記事が出ており、東北旅行のひとこまを思い出した次第です。

読者が決める湯治の湯日本一(2010年1月20日 朝日新聞)
回答総数4132人
1位 乳頭温泉(秋田)1309   2位 草津温泉(群馬)1289   3位 酸ヶ湯温泉(青森)807   4位 別府鉄輪温泉(大分)621
5位 ニセコ温泉郷(北海度)518   6位 霧島温泉郷(鹿児島)510   7位 玉川温泉(秋田)486   8位 野沢温泉(長野)385
9位 十津川温泉郷(奈良)367   10位 三朝温泉(鳥取)359

2010.01.11
新聞に、オリオン座の一等星、ベテルギウスが「明日、超新星爆発してもおかしくない」状態だという記事があった。オリオン座と言えば、私が自信を持って指さすことが出来る数少ない星座の一つである。ベテルギウスは赤色超巨星と呼ばれる巨大な星で、直径は太陽の千倍あるという。太陽系にあるとしたら木星まで覆われる大きさだそうだ。水金地火木だから、勿論地球も呑み込まれる。太陽も歳をとると巨大化し、地球も呑み込まれてしまうと何かの本で読んだ。ずっと先の話だろうが、あまり良い話ではない。地球とベテルギウスは600光年離れているそうだ。600光年といえば、ベテルギウスが発した光が、600年かかって地球に届く距離だ。ってことは、現在見えているベテルギウスは600年前の姿である。現地では、もう爆発して消滅している可能性もある。
友人K君の今年の年賀状は、皆既日食の写真でした。ふじ丸で日食観察に出かけたそうだ。賀状をもらった時、「ふじ丸 皆既日食」でネット検索したらNHKの放送がヒットし、太陽が隠れた時、オリオン座が見えると実況していた。普通、オリオン座は冬の夜しか見られない。

2010.01.02
大昔、私は電車を止めた事がある。いえ、タクシーじゃありません、電車です。ある私鉄のローカル線での話だ。その電車は2両編成だったが、車両の間に幌のない、隣の車両に移ろうと思うと一旦ホームに降りなければならないタイプだった。私は親父にだっこされていた。(とすると、1歳から5歳の間位の年齢だったのだろうか。)その場所は車両の連結部だった。目の前に赤く塗られた部品から紐がぶら下がっていた。私はそれを引っ張ったのだ。電車は非常停止した。その後の記憶は、運転手さんか、車掌さんかが線路脇を歩いてこちらに来る場面、親父が平謝りに謝っている場面の二つだけ。当時の状況を詳しく知りたいと思うのだが、親父はもういない。

2010.01.01
2010年(平成22年)明けましておめでとうございます。本年も変わりませず、神社参拝記【かみのやしろさんぱいき】をよろしくお願い致します。

2009.12.31
「年末年始の外出は『安近短』がキーワードになりそう」と今朝の新聞にあった。私には元々縁の無い『高遠長』であるし、混雑が嫌だから、今回の年末年始も自宅にすっこんでパソコン三昧となるだろう。好きなことに限られた時間を使うのだから、これはこれで贅沢な時間の過ごし方だと思う。
安近短で思い出した言葉がある。『楽精早安』だ。昔、伊賀地区のQCサークル活動の発表会を聞きに行ったおりの講演で出てきた言葉だ。目の前に解決しなければならない問題点があれば、それをQCサークル活動によって改善すべきテーマとすれば良いが、テーマを何にするか困ったときのキーワードが『楽精早安』なのだそうだ。最初の『楽』は、仕事を楽にするテーマを選べということ。自分達の仕事が少しでも楽になるのなら、サークルメンバーも積極的に知恵を出し動いてくれるという訳だ。この発表会に家電メーカーのN■Cも参加されていた。当時のプレゼンはOHPを使うのが一般的だったが、彼らは、ノートパソコンのデータを直接プロジェクターで出力していた。今でこそ、こちらの方が一般的なのだろうが、当時ノートパソコンは100万円位したと記憶している。プロジェクターも同じ位高価ではなかったか。「さすが98のメーカー」と、発表内容よりそちらに感心していた私でありました。いえ、発表内容がいまいちという意味ではありません。この発表会で優勝したのは、たしかN■Cさんだったと思います。

2009.12.30
12月初め、カラオケに行った。何を歌ったか思い出してみる。一番最初は景気付けにモーニング娘の「恋のダンスサイト」。これは練習不足でだめだった。あと、さだまさしさんの「天までとどけ」、野口五郎さん「私鉄沿線」、平浩二さん「バスストップ」、そして森進一さんの「年上の女」。(「女」を「ヒト」と読ませます。)これは演歌である。年を重ねるほど演歌を歌うことが多くなってきた。すごく小さい頃、祖母や叔母からおだてられて、春日八郎さんや三橋美智也さんの歌を歌っていた。一桁の年で、「泣けた泣けた、堪えきれずに泣けたっけ・・・」とか「惚れて、惚れて、惚れていながら行く俺に・・・」とか歌っていたのだ。親父はマヒナスターズが好きで、レコードを数枚持っていた。当時まだ珍しかったステレオも家にあって、私も聞いていた。「お百度こいさん」が好きだった。(あ!「お百度こいさん」って「2009.12.15」に書いた法善寺横丁が舞台だったんでした。)しかし、マヒナスターズは演歌とは言えないのかも知れない。ムード歌謡なんて言葉もありましたけど・・・。分類は苦手だ。TVはポップス系の歌番組を好んで見ていた。当時我が家にはTVが一台しかなく、両親が選局した番組から演歌も当然耳に入ってくる。覚える気はなくても、メロディーや歌詞が断片的に脳味噌に残っている。森進一さんの「年上の女」もそんな曲の一つだったと思う。ユーチューブで「年上の女」を検索したらありました。GyaOのカラオケにもありました。ユーチューブでメロディーを覚え、GyaOのカラオケで覚えたか確認しながら練習しました。ほかに、練習している演歌が数曲あるのだが、いつだったか、ビートルズの「Let It Be」を歌ったら、「○○さん、小節が利いてましたヨ。」と言われた。顔が熱くなりました。

2009.12.15
カニつながりで、巨大ガニを紹介。(笑)「紹介されんでも知っとるわい。」と言われること間違い無しの有名なカニであります。ご近所には、くいだおれのピエロ姿のお人形もありました。「一粒400メートル」の巨大ランナーもご近所に居ます。撮影したのは3年ほど前だった。日本橋に行くついでに、大阪の街をスナップしようと1時間ほど早く家を出たのでした。道頓堀のとある場所を撮影していたら白人の若い女性に「なぜこの場所を撮影しているのですか?」と流暢な日本語で聞かれた。「昔ここで映画を上映していて、若い頃私も見に来たことがある。」と私も流暢な日本語で答えましたよ。彼女の首には一眼レフカメラがぶら下がっていた。彼女も道頓堀をスナップしていたのかも知れない。「このおっさん、なんでこんな訳の分からん建物を撮っとんねやろ?」と思ったのだろう。私の答えに「なんじゃ、しょうもない。」と思ったのかもしれない。「ありがとう。」と言って撮影もせず立ち去りましたよ。話がはずんで、もし「大阪を案内して頂けませんか?」なんて彼女に言われたとしたら、日本橋なんかほったらかして案内させて頂いたんですけどね。この後、HPで使えるかも知れないとドンキホーテの巨大恵比寿さんを撮し、さらに法善寺横丁へも行ったのでした。この時で3度目になるのだろうか。一番最初は学生の頃で、偶然に入り込んだのでした。有名な法善寺横丁って、こんなところにあったのか!と少し驚きました。そうそう、お初天神の時もそうだった。美術クラブの展覧会があって、梅田の画廊に通うとき偶然に出会ったのでした。「法善寺横丁」も「お初天神」も、子供の頃よく耳にした言葉だったのだろう。日が暮れて画廊を引き揚げ、曾根崎新地を通った。お客さん達を送りに出た生【なま】のホステスさん達を生まれて初めて見た。学生の私には、綺麗なお姉さんがすごく眩しかった。お初天神とセットで記憶に残っている。
道頓堀のカニ

2009.12.08
先日、友人と越前にカニを食べに行った。2年ぶりである。酒を飲まない(飲めない)私が帰りの車を運転した。友人の車はカーナビ付きで、ETC付きだ。私はあまり高速道路を使わないので、私の車にETCは付いていない。その日は日曜日だったので一律1000円の恩恵を生まれて初めて受けました。(笑)そういえば北陸自動車道、こんなに車が走っているのを初めて見た。帰り、お魚市場へ寄ろうということになったのだが、すぐそこに見えているのに渋滞で車が進まない。お魚市場から出た後も渋滞で進まないであろうことは、反対車線を見れば明らかだった。結局お魚市場をあきらめ、右折車線から外れて違う道から敦賀インターを目指した。この場面でカーナビの恩恵を生まれて初めて受けました。すなわち、私の車にはETCも高価なカーナビも付いていないのであります。男性と女性では脳の働き方が異なるそうで、女性にナビゲーションを頼むと、地図をくるくる回す。カーナビも、進行方向に合わせて地図を回してくれる。そういえば会社のMさん。「カーナビが無かったら、車で京都へは行けません。」と言っていた。カーナビの恩恵を最大限受けているのは女性なのかも知れない。
越前ガニ

2009.12.01
鳥居アクセスランキング第5弾発表!

アクセス期間:2007年12月1日〜2009年11月30日21時59分
総アクセス数:9797件

順位 名  称 09.11.30  09.04.30 08.10.30 08.04.27 07.08.30
1位 三輪鳥居  15.8%   1位   1位   2位   6位
2位 伊勢鳥居  10.9%   2位   2位   1位   2位
3位 両部鳥居   9.7%   3位   3位   3位   1位
4位 春日鳥居   5.9%   5位   8位   8位   9位
5位 明神鳥居   5.7%   6位   5位   6位   8位
6位 黒木鳥居   5.6%   4位   4位   4位   3位
7位 靖国鳥居   5.1%   9位   9位   10位   12位
8位 八幡鳥居   5.0%   7位   7位   9位   11位
9位 鹿島鳥居   4.9%   8位   6位   5位   4位
10位 宗忠鳥居   3.8%   11位   11位   19位   13位
11位 中山鳥居   3.54%   13位   17位   17位   20位
12位 三柱鳥居   3.50%   10位   10位   6位   4位
13位 山王鳥居   3.4%   12位   12位   11位   13位
14位 白木鳥居   3.2%   14位   14位   14位   18位
15位 台輪鳥居   2.8%   15位   15位   13位   15位
16位 伊香式鳥居  2.5%   17位   15位   15位   7位
17位 内宮源鳥居  2.4%   16位   13位   12位   9位
18位 唐破風鳥居  2.11%   18位   19位   18位   17位
19位 奴禰鳥居   2.10%   20位   20位   19位   18位
20位 住吉鳥居   2.0%   19位   18位   16位   16位

2009.11.15
入社まなしに、本社にあった技術部で研修を受けた時、半年ほど寮にいた。寮では朝食夕食が出たが、朝は、食べるより寝ている方が良かったという20歳代であった。退社後は、梅田の地下街をよくぶらついた。カレーを出す店があると、ふらっと入ってカレーを食べた。カレーは好物だ。社宅にいたときは、自炊だったので、色々具を変えてカレーを作っていた。寮にいた当時カレーは250円位だったと思うが、ピッコロという店は倍の500円した。角切りにした牛肉がたっぷりと入っていて、よく煮込まれているので柔らかく美味しかった。
先日友人と二人で近江八幡に行った。八幡堀の側にあった店で昼食をとることにした。壁にメニューが貼ってあり、二人ともカレーを注文した。食べ終わり請求書を見ると、1900円×2名也。そそいでくれた水がミネラルウォーターだそうで、また食器も凝っていたので1000円位は覚悟していたのだが。カレー自体不味くはなかったが、コストパフォーマンスに納得がいかなかった。それに、ご飯に固まりが幾つもあった。1900円取るんだったら、飯をもっと上手に炊いてほしい。1900円って、CoCo壱でチキン煮込みカレーが3杯食えるんですよ。店を出た後友人が一言、「二度と入ることは無い。」
ネットで「ピッコロ カレー 大阪」で検索したら、ちゃんと梅田にありました。30年ぶりに行ってみるか。
寮は、60歳前後のご夫婦+お手伝いの女性1人で管理されていたと記憶している。朝食は食べないし、夕食も外食して帰ることの多かった私だが、寮に事前にちゃんと連絡を入れていなかった気がする。今頃反省しても遅いが、かなり遅いが、お詫び致します。

2009.11.08
さらにパイプの話。前回、パイプの中にたまった水が厄介と書いたが、コーンパイプだと、本体がある程度水を吸収してくれるので吸いやすかった。(コーンパイプといえば、進駐軍のトップであったマッカーサーのトレードマークだった。)特殊なトウモロコシの芯をボウルに使ったパイプで、1000円以下で買えた。耐久性はブライヤに比べると極端に悪かったが安価で吸いやすく、3本ほど買った。メシャムパイプも苦い水を吸収してくれると読んだ記憶がある。海泡石ともいう多孔質の素材だが、なにぶん高価で手が出なかった。メシャムといえばシャーロック・ホームがくゆらすキャラバッシュパイプにも使われている。ボウルの外側が特殊なヒョウタンで出来ていて、その内側がメシャムという構造だ。もちろん高価で、私は手が出なかった。10000円以下で買えたブライヤか1000円以下で買えたコーンパイプを愛用した。右の写真は、二人の友人からもらったブライヤ製のパイプだ。持ち運びに便利なようにコンパクトに造られているのだが、私はうまく吸えなかった。煙が熱くなってしまうのだ。だから、数回吸っただけでずっ〜と自作のパイプスタンドに鎮座している。
友人から頂いたパイプ

2009.10.24
パイプをくゆらすには、まずパイプタバコをパイプに詰めなければならない。非常に重要な作業であるが、買った本は、そのへんのところを詳しく書いていなかった。聞ける人はおらず、試行錯誤の繰り返しだった。強く詰めると空気の流れが悪くなり、ゆるいと火が移らず、すぐに消えてしまう。火を消さないために、吸引を強くしたり吸引回数を増やすと、煙の温度が高くなり口の中を火傷(?)し、熱い料理が食べられなくなったりした。さらに、パイプの中に水がたまりやすくなる。この水はニコチン等が溶けているのか、苦く、えづく様なたまらない味であった。ややゆるめに葉を詰めて点火し、吸引中にダンパーで燃焼面を軽く押してやるという方法を編み出した。この方法によって、初めてパイプタバコを楽しめたのである。

2009.10.17
昔のタバコが出てきた。若い頃愛用していたアンホーラというパイプタバコだ。パイプを始める25才頃まで、私はタバコを吸わなかった。父母は、酒も飲まず(飲めず)タバコも吸わなかった。そんな環境だったので、吸いたいとも思わなかった。小学生の頃、祖父のキセルに刻みタバコをつめ火をつけてふかしたことがあるが、肺には入れない真似だけのものだった。ただ、吸わないくせに、粋なデザインのライターには興味を引かれた。ダンヒルとかジッポーとか、デパートで眺めたことがよくあった。モンブランの万年筆を眺めたのと似ていた。ライターの延長でパイプにも興味が広がり、眺めているうち吸ってみようか、となったのだろう。最初のパイプは上野(現伊賀市)のタバコ屋で買った。ブライヤ製のストレートタイプで当時3000円だったと思う。タバコはロックンチェアを買った。こちらは300円位だったか。国産のパイプタバコは、飛鳥、桃山と合わせ3種類しかなかった。この時点では、パイプやパイプタバコの情報を本から得て、初心者には水分が少ないアメリカタイプのロックンチェアが向いていることを知っていた。またその本には、最も売れているパイプタバコとしてアンホーラのフル・アロマが紹介されていた。フル・アロマは赤い色のパッケージで、他に緑や青のパッケージがあったと記憶しているが、商品名は覚えていない。アンホーラは近くでは手に入らず、大阪や京都でまとめ買いをしていた。
アンホーラ

2009.10.08
会社の先輩から、能面展の招待状を頂いた。先輩は、趣味で能面を作られている。いや、「作る」ではなく「打つ」と言うのでした。今回は伊賀上野城の天守閣1階で開催された。上野城内に入るのもひさしぶりだった。私は、絵等も含めて作品を拝見するとき、「一つ頂けるとしたら。」という観点で鑑賞する。絵画の大作等、私の家では、掛ける壁面どころか玄関にすら入らないが、とにかく私自身何が一番気に入ったか、である。世間の評価など関係無いのだ。先輩は10作品出品されていたが、小面【こおもて】や若女【わかおんな】は出品されていなかったので、大飛出【おおとびで】と中将で悩んだ結果、中将に致します。(笑)他の方々の作品も含めると、かなりの数になる。霊女【りょうのおんな】という面にも引かれました。恐かったけど。
帰宅してから、女子ゴルフを見た。この日優勝したソン・ボベ選手を見ていて、小面がちらついた。


(写真の能面のマグネットは金閣寺で買ったものです。)
能面展

2009.09.26
吉野山へ行った。今年4月の桜のシーズンにも行ったのだが、あまりの人の多さに金峯神社と水分神社の参拝はあきらめたのだった。そのときのリベンジである。金峯神社から600mほどのところに西行庵がある。行ってみる事にした。8年前の参拝のおりには行かなかった。今回行く気になったは、辻邦生著「西行花伝」、夢枕獏著「宿神」を読んでいたからだ。金峯神社からいきなりの登りだった。久しぶりの山道でしんどいながらも、何故か楽しんでいる自分がいた。「西行庵まで600m」という表示は直線距離のことではないかと思うほど歩いた。途中、苔清水があった。「とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでも なきすみかかな」という西行の歌がある。一口飲んでさらに進む。平坦な処に、西行庵があった。まず思ったのは、「西行は、ここからあの苔清水まで生活するための水を汲みにかよったのか。」と言うことだった。近くに水道の蛇口がある生活をしている身には不便この上ない。次に思ったのは食料はどうしたのだろうと言うことだった。山は、私のとぼしい知識以上に豊かなのかもしれない。次に冬の寒さを思った。苔清水は凍らないのだろうか。冬は、下山していたのかもしれない。いや、西行庵は桜のシーズンだけに使う別荘だったりして。
西行庵

2009.09.19
小さい頃、母方の祖父母の家によく行った。いや、行かされた、と言った方が正確かも知れない。4つ下の弟が生まれた時は、かなり長期間祖父母の家で生活した記憶もある。長くいると里心が出てくるが、大阪にはない空間があり楽しくもあった。近くの小川でメダカ、オタマジャクシやザリガニを捕って遊んだりもした。この小川で捕れるオタマジャクシは大きく、友達に自慢したくて、缶詰の空き缶に入れて大阪まで持ち帰ったものだ。電車の中で水をこぼさないように、気を遣った記憶がある。オタマジャクシやメダカは網ですくって捕ったが、ザリガニは釣り上げて捕った。当然網ですくってとることも出来るが、釣る方が面白かったのだろう。餌はスルメを使った。5cm位に裂いたスルメをタコ糸でしばり、1m位の細い棒にぶら下げる。川にザリガニを見つけると、ザリガニの前にスルメを下ろす。ザリガニはハサミでスルメをつかむ。それを引き揚げ、水を入れた金盥に移すだけだ。ザリガニは釣り上げられても、スルメを挟んだまま決して離さない。面白い様に釣れる。沢山釣って持って帰ると、祖母はザリガニをゆでてくれた。子供の目から見れば相当にデカいザリガニだったから結構食べごたえがあったと思う。Yahooトピックスの「ザリガニ激減、高値の花に?」を読んで、そんなことを思い出した。

2009.09.05
先日、森口博子さんが司会をするアニメソングの番組を見た。懐かしい曲を聴くことが出来た。子供が小さかった頃、テレビのアニメ番組を録画して、主題歌とエンディングテーマ部分をカセットに録音し、アニメソング集を作った事がある。子供のために録音したつもりが、私も車の中で結構楽しく聞いていた。『うる星やつら』の「あーあー男の人って、幾つもー愛を持っているのねー」や、『Dr.スランプ』の「きーたぞ、きたぞアラレちゃん」の部分は歌詞もメロディも覚えている。
「ロマンティクあげるよー、ロマンティックあげるよー」も同じ様に覚えていたが何のアニメソングだったか? Wikipediaで調べたら『ドラゴンボール』の主題歌だった。『宇宙船サジタリウス』のテーマソングも好きだったが、これは歌詞もメロディも正確に出てこない。そうだ、このアニメの登場人物(人物?)の一人はラザニアが好物だった。当時、私はラザニアを知らなかった。他にはドラえもんやパーマンや、サザエさん、アルプスの少女ハイジなんかも録音したはずだ。そうだ、『タッチ』も録音したんだ。カラオケパーティで女性が歌うのを聞く事がある。私も、『日本むかし話』をレパートリーの一つにしている。「坊や、良い子だねんねしな。」ってやつだ。エンディングテーマだったか、「いいな、いいな、人間っていいな。」の方もいい曲だが、私は歌えない。

2009.08.22
会社の女性が、秋に出雲大社に参拝すると言う。 「出雲大社、今、本殿の工事してるはずや。本殿を見られへんかもしれへんで。」
「平成25年完成だそうです。」(さすが、ちゃんと調べている。)
「あの巨大な本殿、大迫力やからなぁ。工事終わってから行った方がええんちゃうか。」
「私、そこまで待てません。」
一瞬「?」と思ったが、独身の彼女は20歳代後半に入っていた。 出雲大社に祀られている大国主命は縁結びの神様でもある。 納得しつつも、そんなにあわてやんでもええんちゃうか、と思うのだが、これは口には出さなかった。

2009.08.13
友人から、無料のカラオケサイトとしてGyaOを教えてもらったのだが、GyaOでは映画も見ることが出来る。初めて覗きに行った時、やっていた映画の中に007シリーズがあった。しかも、初期のショーン・コネリー版である。きっちり見てしまった。ジェームズ・ボンドはショーン・コネリーが一番と私はかってに思っている。「ドクター・ノオ」「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」「サンダーボール作戦」が好きな作品だ。これらの作品のショーン・コネりーは冷徹、非情でセクシーなところがいい。(ただしお歳をおめしになった「ネバーセイ・ネバーアゲイン」はいただけません。)4作品を上げたが、中でも「ロシアより愛をこめて」が私は一番好きだ。タチアナ・ロマノーヴァ役で出ていた、ダニエラ・ビアンキが良かったからかもしれません。(笑)イアン・フレミングの原作は全て読んだが、一番最初に買ったのが「ロシアより愛をこめて」だった気がする。たしか早川書房の文庫版だったが、裏表紙全面に彼女の写真が使われていた。その本を買ったのも、ダニエラ・ビアンキの写真が気に入ったからかもしれません。(笑)
ボンド以降のショーン・コネりーの作品では、「薔薇の名前」が一番好きです。原作も読んだが、私には難しすぎてやっぱり映画の方が面白い。

2009.08.09
0011ナポレオン・ソロという、好きなTV番組があった。スパイものだ。ロバート・ボーン演じるナポレオン・ソロが愛用していた銃がワルサーP38だ。それはアンクル・スペシャルで、ロングバレルにサイレンサー、銃床、スコープ、等のアタッチメントが付けられていた。アンクルとはソロが所属していた組織の名称だ。アンクル・スペシャルのモデルガンも発売されていたが、もちろん親に買ってもらえるはずもなく、少ない小遣いで買えるわけもなかった。(以前の私のメールアドレスはwaltherp38@・・・・である。)そこで私は、ワルサーP38のモデルガンのカタログで我慢することにした。カタログを請求するための手紙をメーカーに送った。そのための情報源は、ボーイズライフという雑誌だった気がする。しばらくして、ワルサーP38のカタログが送られて来たのだが、なんと、007のソノシートも一緒に入っていたのだ。P38のカタログは、何度も何度も見るほど良かったが、このソノシートの方が格段に嬉しかった。この中に「ジェームズ・ボンドのテーマ」が入っていた。シャーリー・バッシーの「ゴールドフィンガー」が入っていたかどうかは思い出せない。しかし、映画「007ゴールドフィンガー」のサウンドトラックの一部が入っていたのは覚えている。スイス山中でのカーチェイスの場面の音声だ。2台の車のエンジンが唸る音、タイヤの軋む音が続いてから異様な音がする。当時映画を見ていなかった私は知らなかったが、ジェームズ・ボンドが乗っていたアストンマーチンのホイルから(ベン・ハーの戦車レースの時のような)鈎爪が出て、相手のタイヤを切り裂いた音だったのだ。(この車にはその他色々な仕掛けが取り付けられていた。)
2台の車が停止して、ドアの開く音。「だいじょうぶか?」「よけいなお世話よ。修理工場まで乗せていって。」というような会話が英語で交わされ、「ジェームズ・ボンドのテーマ」が流れてくるのだった。当時、あのメロディーを聞くと胸がときめいた。
 あ、今時ソノシートなんて知ない方のほうが多いのかも知れない。ペンペラペンの薄いレコードで、よく雑誌の付録に入っておりました。え〜!レードもご存知無い?レコードはソノシートより硬くて、黒くて、丸くて、いや、赤い透明なのもあった。その盤に外側から内側に向かって蚊取り線香の様に溝が切ってあって、その溝にはアナログ音声が・・・興味のある方はネットで調べてくださいませ。

2009.08.01
天理から名張に帰るとき、すごい雨が降ってきた。ワイパーを最速にしないと前が見えない。溝の合流地点だろうか、雨水が盛り上がって噴き出し道路に川の様に流れ出している。道が下って登る辺りは水たまりになっているが、前を走るトラックが左右に跳ね上げる水の量が半端ではない。私はおそるおそる進入し、徐行で通り抜けた。名阪に乗ったが、雨はますます強くなる。速度は45〜55km/hしか出せない。しばらく走ると、道の脇に50km/h制限の赤い表示が点滅していた。強い雨だとこの表示が出ているのは知っていたが、本当にその速度を守らなければならないような雨に出会ったのは今回が初めてだ。大型トラックが追い越してゆく。(トラックは大雨に強いのか?)トラックの跳ね上げた水が、フロントガラスにバシャバシャとバケツを次から次とぶっちゃけた様にかかる。前が見えない。こんなことが、何度も続く。前の車はハザードランプを点滅させて走っている。ヘッドライトを付けるのが正しいのではないか。走るのをやめて止まっている車を何台も見た。一瞬雨足が弱くなった。シャワーをスパッと止めた様な感じ。でも降っているのでワイパーを通常に戻した。通常の速度ってこんなに遅かったのかと思う。しかし、またシャワー全開状態の中に突入した。名阪を降りてもそれは続いた。いつものガソリンスタンドに寄った。給油する場所は屋根が着いているが横殴りの雨を防げない。渡された領収書は水に浸けたようだった。どうにか家にたどり着いた。家の前の溝もすごい量の水が流れている。
「すごい雨やなぁ。」と言うと、何と10分位前に降り出したという。私は天理から名張まで、この雨雲と一緒に移動していたのか。20分位したら、雨の音がしなくなった。テレビを見ていたら、愛知県で大雨警報が出たとテロップが流れた。私に付きまとっていた雨雲は愛知県へ行ったようだ。

2009.07.23
ユースホステルを初めて利用したのは、学生時代、紀伊半島一周ツーリングをした時だったかもしれない。その時私は会員では無かった。友人の一人が会員だった。会員と一緒であれば非会員も宿泊可能などと言っていたが、実際のルールは知らない。田辺の海辺にあるユースホステルに一泊したのだった。食後だったかにミーティングがあった。私には初めての光景で珍しく、少し離れた場所で眺めていたが、友人達が海に行くというので席を離れたのだった。
ユースホステルの会員となって初めて宿泊したのは、出雲だった。旅慣れた弟と一緒だった。当時弟は学生で、旅行が趣味だった。ユースホステルを利用して、何週間も旅をしていた。勤めて2年目、金に余裕の出来た私は、旅をしてみたくなった。旅の計画は弟がたてた。弟に教えてもらってユースホステルの会員になった。会員登録をしたのは心斎橋そごうだった気がする。専用のシーツなんかもそこで買ったと思う。それから、結婚するまでの約10年間に何泊しただろうか。独身最後の一人旅は、東北だった。田沢湖にあるユースホステルのミーティングで、私はポールアンカのダイアナを唄った。アメリカ人の男性の前で英語で唄うというだいそれた事をしたのだ。一部発音の修正を受たが、そこそこ通じる英語だったようだ。
ユースホステルに宿泊すると、記念のスタンプを押してくれる。一枚の台紙がスタンプで一杯になると、台紙を継ぎ足してくれる。一度旅に出ると十泊以上が当たり前の弟の場合、台紙が何枚もつながれていて納経帳の様だった。実は、ホームページのリンク集を見ていて、ユースホステルの記念スタンプを思い出したのだ。色とりどりのバナーと記念スタンプの形が似ていたのだ。当時の記念スタンプどこへ行ったのだろう。捨てるはずが無いので、どこかにあるはずだ。

2009.07.05
長谷園さんから、土器が焼き上がったとの連絡が入った。どんな感じに仕上がったのか楽しみだ。連絡を頂いた翌日の土曜日に取りに行った。陶器祭に何度も足を運んでいるお馴染みの場所なのだが、この日は静かな落ち着いた空気が流れていた。連絡をもらったと引換券を渡す。「ひょっとして、あの大作の方ですか。」あの日は、たしかに私の作ったものが他の方の作品に比べ桁外れにデカかったです。運ばれてきた土器は、良い色に焼き上がっていた。二つの角の様な飾りも割れなかった。この角は、蛇を表現しようとした成れの果てである。持つと、作った直後に比べずいぶん軽く感じた。
持ち帰ってから、あらためて焼き上がりを眺めていた。赤みを帯びているのはもともとの土が持っている色なのだろうか、焼く条件からくるものか。白く粉をまぶした様になっているのは、どんな技法によるものなのだろうか。口の部分を指で弾いたら、カンと乾いた音がした。伊賀焼きは、かなりの高温で焼くと聞いたことがある。なんか、陶芸の魔力にひきこまれそうである。



焼きあがる前の状態は、このページの「2009.05.06」を参照。

2009.06.28
墓参りに行ったら、夾竹桃が咲いていた。夾竹桃の花を見ると、小さい頃遊んだN公園を思い出す。公園の周辺に夾竹桃が植わっていたのだ。凧揚げはこの公園でした。凧は揚げるとき、有る程度走らなければならないので、広い場所でないと駄目なのだ。ソフトボールもこの公園でした。勿論三角ベースだ。四角ベースで出来るスペースがあったが、年上にいつも取られて、我々は使うことが出来なかった。いつだったか、メンバーが足りなかったためか、年上から声をかけられ四角ベースでやったことがある。軟球でピッチャーが上から投げてきた。ファールが精一杯だったのを覚えてる。それより、早い球が恐かった。
それから30年ほど経って、神社参拝と兼ねて昔住んでいた処に行ってみた。当時利用した銭湯やお店の数々、小学校、いくつかの通りを懐かしく歩いた。そしてN公園にも行ってみた。こんなに狭かったのか!と思った。私の記憶ではこれより3、4倍の広さがあった。辺りの風景から推察して、規模を縮小したわけでは無いようだ。そうそう、住んでいた家の前の道も、行ってみたら実際は記憶の半分位だった。この道で、独楽回し、缶蹴り、馬飛び等をして遊んだのだった。

2009.06.21
親父はバファローズファンだった。昔は近鉄パールスと言った。森ノ宮にある日生球場によく連れて行ってもらった。当時、南海ホークスは強かったが近鉄パールスは弱かった。「浪商とやってこい!」とヤジが飛んだことがあった。(浪商は高校野球の名門だ。だった?)私の記憶では、パールスファンが味方をヤジったものだ。日生球場のヤジはホントすごかった。当初私は野球のルールが分からなかった。打球をキャッチされて、なぜ拍手が起こるのか不思議だった。2チームが攻守交代することすら分からなかったのだ。
そのくせ、「万年最下位」などという難しい言葉を覚えていたようだ。パールスからバファローズに名称変更したのは、パールスという名前があまりに弱々しかったからと聞いた記憶がある。その近鉄バファローズが強くなった時には、私テレビ、ラジオにかじり付いていた。完全にバファローズファンになっていたのだ。最終試合、勝てば優勝だったのに無念の引き分け、日本シリーズで巨人に3連勝後の4連敗など、ドラマチックな試合が思い浮かぶ。日生球場に藤田まことさんが来ていたこともある。親父が見つけて指さしたが、私にはどの人が藤田まことさんか見分けられなかった。藤田まことさんは大のバファローズファンである。野球のルールは知らなかったが藤田まことさんは知っていた。そう、あんかけの時次郎である。

最終試合引き分けで優勝を逃した試合をネットで調べたら、「10.19の悲劇」「涙の10.19」「伝説の10.19」とか「パリーグの一番長い日」など色々キーワードがある。You Tubeで1988年1989年の動画を見て、20年ぶりに感動していた私でありました。

2009.05.31
大阪の街を車で走っていて、「天満宮」の文字が目に入った。大阪天満宮だろうか?と思いながら外を眺めていたら、アーケードの入り口の文楽人形が見えた。
大阪天満宮に初めて参拝したのは2001年の8月だった。母親に連れられて天神橋筋商店街で学生服を買ったのは中学入学前だったが、ひょっとしたら小さいときに連れられて参拝しているかもしれない。が、記憶がまったく無いので、2001年8月が初めてということにしておく。この日、入院している会社の2つ歳上の先輩のお見舞で、大阪へ出てきた。病院に向かう前に、大阪天満宮にお参りし、Mさんの完治をお祈りした。私は、バイクで神社に参拝したおりは交通安全をお祈りする時もあるが、無心であることが多い。Mさんと私はカラオケのレパートリーが似ていた。グループサウンズ、フォークソング、堀内孝雄、etc.・・・ お酒が飲めないが、飲まなくてもカラオケで盛り上がることが出来るという点も似ていた。若い頃は組合の書記長として、ちょくちょく三重に来られた。職場が三重に変わられてからは、仕事の面でよく助けていただいた。病院で会ったMさんは、薬の副作用で髪の毛が無かった。「喫茶店へ行こう。」「外出してもいいんですか?」病院の許可を得て外出する。Mさんは野球帽をかぶられた。スラッとしたMさんに野球帽は似合っていた。喫茶店は近くにあると思っていたが、結局駅まで歩くことになった。歩きながらMさんは煙草に火を付けた。「吸ってもいいんですか?!」私、Mさんに質問ばかりしていた様だ。
Mさんのレパートリーに「河内のおっさんの唄」がある。Mさんが歌うたび、私はいつもお腹が痛くなるほど笑ってしまったのだった。

2009.05.24
私は南海ホークスファンだった。小学校の時よく眼科に行っていたと前に書いた(2009.2.12)が、そこで知り合った男の子が「南海ファン?」と、私に聞いたのだ。私がかぶっていた野球帽にホークスのマークが付いてたのだ。この時思わず頷いてしまったことから、私はホークスファンになってしまった。男の子は、杉浦や野村の名前を口にして、熱く語ったと記憶している。彼もホークスファンだったのかもしれない。当時杉浦の名は知っていたが、野村は知らなかったと思う。「少年マガジン」に「アパッチ投手」という漫画があって、言うまでもなく主人公はジャイアンツに所属していた。漫画の中の日本シリーズで、ジャイアンツはホークスの杉浦に敗れたのだった。当時の野球漫画は実際のプロ野球の勝敗に連動していた。たぶんこの漫画で杉浦の名を覚えたのだと思う。この「少年マガジン」はカバヤのココナッツキャラメルの景品として貰ったものだったかも知れない。箱に入っているカードを「カ」「バ」「ヤ」とそろえると少年漫画週刊誌がもらえたのだ。当時一冊40円位だったと思う。杉浦投手はアンダースローだった。私も真似したことがある。杉浦さんは亡くなられたが、野村さんは現在楽天ゴールデンイーグルスの監督をされている。先日、監督1500勝達成との記事が出ていた。史上5人目の快挙という。ちなみに歴代1位(1773勝)は鶴岡一人監督だそうだ。野村、杉浦が活躍していた当時の南海ホークスの監督だ。

2009.05.06
3日に行った陶芸教室、新潟県笹山遺跡出土の火炎型土器を目標になんて書いたが出来たのは写真の通り、似ても似つかないシロモノである。持参した1枚の写真では装飾の細部が分からず、時間も無く、技術もなく、妥協に妥協を重ねた結果である。この文章を書く前ネットで調べていたら、詳しいイラストなんかもアップされており、予習をしておけばもっと違ったものになっていたかもしれない。

割れても良いように、記念に写真を撮っておいた。色が黒いが、乾燥すれば薄いベージュ色になるという。野焼きすればよりそれらしくなるかもしれないが、焼く場所が無い。こちらで焼いて頂くことにする。5000円也。釉薬はかけないで焼いて欲しいとお願いしたら、担当者が異なるので保証は出来ないとの返事だった。

6時間わき目もふらず制作していた訳では無い。どんな人がどんな作品を造っているのかやはり気になる。会話にみみを傾けることもあった。
私より先に来ていた30歳代位に見えるお父さん、正倉院にある漆胡瓶の様な凝った壺をうまく造っていた。
私の隣に座って、「抹茶茶碗を造りたい」と言われた女性、付き添いの方が言われるのには92歳だそうだ。「好奇心が強くて、何でもやりたがるんですよ。」さすがに堅い粘土は造りにくい様で、先生が柔らかい粘土に交換された。最初のは形も大きく広がりすぎ(すなわち、丼鉢のような)、潰して造り直された。付き添いの人は娘さんだろうか、と言っても私より年上とお見受けした。
同じく私の隣に座った女の子、「おじいちゃんの灰皿造るねん。」と言って制作開始。「おじいちゃん、泣いて喜ぶよ。」と付き添いの女性、年齢的には、おばあさんだろうか。女の子が造った灰皿、大きさも形も使いやすそうだった。私の火炎土器もどきより、ずっと実用的だ。
参加するのは小さな子供が圧倒的に多い。次は子供と一緒に自らも造る父さん、お母さんと言ったところか。近くに座った子供がちらちらと私の作品を見る時がある。私もその子達に「何造ってんの?」と話しかけたりした。「○○ちゃん。」と聞いたことのない名前が帰ってくる。聞き直しても解らなかった。子供達の間では有名なキャラクターなのだろう。後で気が付いたのだが、私その子達の作品を誉めてあげるの忘れていた。
3人の若い女性が参加した。女3人よれば文殊の知恵、ではなく、かしましい。場が華やいだこともたしかだが、やっぱりかしましい。ただし、3人とも魅力的な女性だったので、私にとっては好ましいかしましさでしたが。ところが、造り始めてしばらくすると静かになった。土をいじっていると手元に意識が集中して口がお留守になってくるようです。そういえば、子供に色々アドバイスしていたお父さんも、しばらくすると自分の作品造りに熱中してた。

2009.05.04
丸柱の窯出し市へ行って来た。今回の最大の目的は焼き物を造ること。イベントで窯出し市の期間だけ陶芸体験コーナーを開催しているのだ。(予約をすれば随時開催して頂けるようです。)陶芸は2度目の挑戦だ。いや3度目になる。1度目は子供が小学生の時、野焼きで焼き物を造った。親も出品出来るというので造ったのだが、私の作品結構評判が良かった。しかし、庭に飾っておいたら雨で崩れてしまった。焼きが甘かったのだ。

で、2度目は丸柱の窯出し市で壺を造ったのだった。一輪挿し風で、ヘラで表面を大胆にカットしたのが特徴。完成した時は「まあまあ」と思っていた。焼き上がるまで3ヶ月ほどかかるのだが、その間に頭の中でどんどん美化されていったのだろう。、焼き上がってきた作品を見てガックリ来た。その失敗作は、送られてきた段ボール箱に戻したままどこかにしまわれている。

3度目の今回、作戦を立てた。プロの真似をしようとしても出来る訳がない。プロが造らないものを造ろう。で思いついたのが縄文土器だ。縄文土器の中でも「ど派手」な火炎型土器を造るのだ!モデルは新潟県笹山遺跡出土の例のヤツ。歴史の本掲載の写真をコピーして持参した。今回は一人で行く。「造るのに何時間かかるか解らへんで。」との脅しが効いた。端でまだかまだかとうろつかれては集中出来ない。
窯出し市は9時からだが、丸柱に着いたのは8時半。駐車場には車が沢山止まっていた。2日目とあって、出品されているものは普通に見ることが出来た。が、鑑賞もそこそこに9時少し前に登り窯近くの特設教室に向かう。お! すでに一組始めている。小学生の低学年の男の子とそのお父さんって感じだ。

土と格闘すること3時間。出来たのは、植木鉢に大皿を乗せたような代物だった。口をすぼめたいのだが、伸びてしまう。ギブアップしかかった。次回挑戦する時のためにアドバイスを仰ぐと、厚みがあるから大丈夫ですと言われ、実演して下さる。内側にげんこつを支えにし、外側から手のひらを当てていく感じだ。

この時、空腹に気づいた。トイレにも行きたい。こんなに夢中になったことは最近無かった。中断して、まずトイレに駆け込む。昼食は、モクモクの粗挽きウインナ2本ですませる。(1本350円って、50円値上がりしてるぞ。)
頭を冷やすために、少し作品を見て回る。永谷園ほか30軒の窯元が参加し、出品数は10万点という。

30分ほど中断したが、休憩した事が功を奏したようだ。水分が蒸発して土が程よい固さになっている。再び土と格闘すること3時間、どうにか自己満足できる作品に仕上がった。造っている時「縄文土器ですか?」と小さい子供のお父さんに尋ねられたので、少しは意図が表現出来ているのではないだろうか。いや、横に置いてあった写真のコピーを見られただけかも知れないな。

休憩を挟んで正味6時間、あっと言う間に時間が流れた。まあ、充実した休日でした。

2009.05.01
鳥居アクセスランキング第4弾発表!
アクセス期間:2007年5月1日〜2009年4月30日21時24分
総アクセス数:7586件
(前順位):2008年11月1日発表の順位  (前々回):2008年4月27日発表の順位  (前々々回):2007年8月30日発表の順位

順位 名  称 アクセス% (前順位)(前々回)(前々々回)
1位 三輪鳥居  12.8%   1位  2位  6位
2位 伊勢鳥居  10.3%   2位  1位  2位
3位 両部鳥居   9.0%   3位  3位  1位
4位 黒木鳥居   6.5%   4位  4位  3位
5位 春日鳥居   5.9%   8位  8位  9位
6位 明神鳥居   5.6%   5位  6位  8位
7位 八幡鳥居   5.2%   7位  9位  11位
8位 鹿島鳥居   5.0%   6位  5位  4位
9位 靖国鳥居   4.7%   9位  10位  12位
10位 三柱鳥居   4.1%   10位  6位  4位
11位 宗忠鳥居   3.8%   11位  19位  13位
12位 山王鳥居   3.7%   12位  11位  13位
13位 中山鳥居   3.2%   17位  17位  20位
14位 白木鳥居   3.1%   14位  14位  18位
15位 台輪鳥居   2.9%   15位  13位  15位
16位 内宮源鳥居  2.8%   13位  12位  9位
17位 伊香式鳥居  2.6%   15位  15位  7位
18位 唐破風鳥居 2.40%   19位  18位  17位
19位 住吉鳥居  2.37%   18位  16位  16位
20位 奴禰鳥居   2.0%   20位  19位  18位


2009.04.25
3日前、近くの家電量販店で2ギガのSDメモリーを買ったら1780円だった。
ちょうど2年前、今のカメラに買い換えた時に同じモノを2枚買っているが、その時は1枚5400円だった。2年で三分の一に下がっている。
私は、8年前に初めてデジカメ(一眼レフ)を買った。そのデジカメはコンパクトフラッシュとスマートメディアが同時に使えた。それぞれ128メガ2枚づつを買ったが、1枚12000円した。1メガ当たり94円だ。先日買ったSDメモリーの場合は、0.9円である。1メガ当たりの価格が8年で100分の一に下がったのだ。(車にたとえると1200万円のポルシェ911が8年たったら12万円に下がったということだ。)消費者とすれば、安くなることは大歓迎である。しかし貧乏性の私は、過去に高い買い物をさせられたという考えがつきまとうのだ。
デジタル技術の進歩は早く、価格すら私にはついて行けない。
そうだ、昔、8キロバイトの内部メモリを40000円で買ったのだ。もう、計算するのもおぞましい。

2009.04.19
吉野山へ初めて行ったのは小学5年生の時だった。ひょっとしたら、4年生だったかも知れない。担任の先生から誘われたのだと思うが、壁新聞のリーダー講習会に参加した。その会場が吉野山だった。当時私は壁新聞を担当していた。私の学校からは4,5名が参加したと思う。一泊二日で、壁新聞の作り方の実習を行ったのだ。初めて家族以外の人と外泊したこと、初めて上級生と長い時間コミュニケーションしたこと等、すごい体験をさせてもらった。その場が吉野山だったことと共に私の記憶に長く残っている。旅館にこもっての研修だけではなく、全員で外出もした。金峯山寺へ参拝したのかもしれない。「せっかく登ったのにまた下らなあかん。」1歳上のひょうきんなK君がその時言った。いつも面白い事を言って、皆を笑わせていた。もう一人、記憶に残っている女の子がいる。彼女も上級生だった。背が高く長い髪、落ち着いた感じで、彼女のリーダーシップで壁新聞が完成したのではなかったか。彼女の名前は忘れた。K君の名前を覚えているのは、その後彼の家に遊びに行ったりしたからだ。吉野山に行く度に、リーダー講習会の体験を思い出してしまう。

2009.04.04
母親が、クロスワードパズルをしていて一つ解らないから教えてくれと言う。DVD等の容量を表す単位で略語はGBで5文字だそうだ。「ギガバイト」と教える。

「マイコン」という雑誌を買っていた頃は、ビットやバイトで事足りた。個人で購入し仕事でも使っていたワープロ文豪miniのミニフロッピィディスクは720キロバイトだった。(当時たしか1枚170円だった。)キロ(k)という単位はkgやkmでお馴染みの単位だ。PC-9801ESを使い出して1.2メガバイトのミニフロッピィを使うようになる。CPUのクロック周波数は十数メガヘルツ(MHz)。20年近く前の話だが、私もメガ(M)という単位を使うようになった。マルチメディアという言葉をよく聞くようになったのは、CD−Rが普及しだした頃だったろうか。しかしまだメガの時代だ。

今の私のパソコンはCPUは2ギガヘルツ代。内部メモリ2ギガバイト、内蔵ハードディスク160ギガバイト、4.7ギガバイトのDVDの読み書きが出来るドライブを持っている。買い足した外付けハードディスクは300ギガ。ギガの時代だ。

ところがである。先日、写真のバックアップ用に1テラのハードディスクを購入したのだ。価格は300ギガのハードディスクを購入した時と大差なかった。テラという単位は10の12乗、兆という単位と同じだ。国家予算のニュース位でしか縁のない単位である。個人的にはギガすら分不相応って気がする。キロとメガで十分だ。

母親が言った。「私らにはついていかれへんわ。」息子の私も同感です。

2009.03.26
会社で使っているパソコンが新しくなった。起動時間がメチャメチャ早くなった。いや、以前使っていたのが遅すぎたとも言える。OSはXP。システム管理はVistaを避けているのだ。画面も大きくなった。1280×1024ピクセルが実用可能だ。これで快適に仕事が進む。
とはならなかった。 (T_T)
インストールされているOfficeが2000から2007に変わっていたのだ。Wordの罫線が改善されたのではないだろうかとの期待とともに起動したら、「なんじゃこら?!!」
「なんやねん、ほんまにも〜?!!」とも言う。
GUIがすっかり変わっているのだ。罫線をひくのにもヘルプ、消すのにもヘルプ。本当、ストレスがたまる。今日も1頁40行を45行にしようとしたが出来なかった。ヘルプを探しても解らなかった。 遅くても良い、思うように使えた800MHzのパソコンを返してほしい。

2009.03.04
PPMをご存知だろうか。
「100万分の1」の方じゃなくフォークシンガーの話です。ピーター・ポール・アンド・マリーという男性2人女性1人のグループだ。頭文字をとってPPMと言われていた。
話は大昔へ飛ぶ。高校に入って初めての文化祭で、コンサートがあると友人からさそわれ行くことにした。コンサートホールは生物の授業が行われる教室だった。(同じ場所で、我が校文化祭恒例の犬の解剖も行われるのだった。)コンサートでは、男性2人、女性1人のグループが歌った。そう、PPMのナンバーをそのメンバーが歌ったのだった。男性2人がギターを弾きながら歌っている。素晴らしい演奏(歌+ギター)だった、はずだ。なぜなら、私、そのコンサートの直後に弦奏クラブに入部したのだから。ということで、男性2人は弦奏クラブの先輩ということになったのだが、実は女性はクラブ員ではなく他校生だった。卒業して、10年後だったか20年後だったかのクラブの同窓会で、顧問だった先生が話された。職員会議で問題になったのだそうだ。
PPMの曲で一番好きなのは、500 MILES。英語の辞書で発音記号を調べながら歌詞を覚えたものだ。DON'T THINK TWICE IT'S ALL RIGHTはスリーフィンガーをマスターした(?)曲だ。楽譜をコピーさせてもらって練習したのだった。当時カラオケは無く、歌を歌うにはギターが一番手頃だった。
ピーター・ポール・アンド・マリーは英語読みで、読み方を替えると、ペテロ・パウロ&マリアになるということをある本で知ったのは、数十年後の事である。

2009.02.26
高校一年の冬休み、百人一首を暗記する宿題が出た。各人好きな歌を三十種選び暗記するという趣向だった。万葉集のTV番組を見てみようという気になったのも、この時の教育のおかげではないかなんて思ったりもする。この時の副読本を残していたはずだと、あちこち探したら出てきました。「解釈と鑑賞 小倉百人一首」、定価80円なんて、歳がばれそうだ。
目次を見ると「1 秋の田の かりほの庵の   天智天皇 (頁)」という風に上の句を1から100まで列記してある。その番号に私が付けた印が残っていた。数えたら、やっぱり30あった。
あれ、「5 奥山に もみじふみわけ」「7 天の原 ふりさけ見れば」「12 天つ風 雲のかよひ路」「17 ちはやぶる 神代もきかず」に印がない。「40 しのぶれど 色にでりけり」にもない。「60 大江山 いく野の道の」もないではないか。各人好きな歌を選んで暗記したのではなかったのだろうか。「37 白露に 風の吹きしく」「51 かくとだに えやはいぶきの」に印があるが、下の句がまったく出てこない。「これとこれを覚えてこい。」という宿題だったのだろうか・・・・

2009.02.16
2009年2月1日に万葉歌ベスト10のことを書いたが、以下の写真を思い出した。万葉の森船岡山(滋賀県東近江市野口町)にて撮影(2007.3.18)した。陶板絵だろうか。高さ2m位あったと思う。額田王の「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」の情景が描かれている。左端で手を振っているのが大海人皇子、右端の女性が額田王なのだろう。




2009.02.12
小学校5年生か6年生頃の事だった。友人から、薄いプラスチックで出来た地図(?)(どのような呼び名か知らないが、紙にその地図を置いて鉛筆でふちをなぞれば、地図が書けるという代物。)をもらった。大きさは指をひろげた大人の手のひら位あったと思う。どこの国の地図だろうと思い、担任の先生に聞いた。先生も分からないと言う。家に持って帰り親父に聞いた。「関東地方」と親父は言った。すぐに答えた親父を、小学生の私は尊敬した。その時親父は、関東地方にどのような県があるのかを教えてくれた。親父は、私が覚えるまで何度も言わせたのだろう。「いばらぎとちぎぐんまちばさいたまかながわとうきょう」と、今でもスラスラ出てくる。近畿地方に所属する県を言えと言われたら、地図を思い浮かべて、西の兵庫あたりから1県1県確認しながら言うことになるが、関東地方に関しては般若心経を唱えるように出てくる。
同じようにスラスラ出てくる言葉に「にしんさけますたらかにこんぶ」というのがある。小学校低学年だったと思うが、眼科で一緒だった男の子に教えてもらった。これは北海道の名産品だったか。小さい頃、結膜炎とかトラホーム(=トラコーマ)とかになって、よく眼科に行った。もう一つ「けいこにいへついにけへり」もスラスラ出てくる。視力検査の文字を上から読んだものだ。眼科で覚えたのである。

2009.02.01
NHKの「万葉集への招待」という番組で、万葉集ファンが選んだ好きな歌ベスト10を発表していた。結果は以下の通り。

1位 茜【あかね】さす 紫野行【ゆ】き 標野【しめの】行【ゆ】き 野守【のもり】は見ずや 君が袖振る  額田王【ぬかたのおおきみ】
2位 石【いわ】ばしる 垂水【たるみ】の上の さ蕨【わらび】の 萌え出【い】づる春に なりにけるかも  志貴皇子【しきのみこ】
3位 新【あらた】しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや頻【し】け吉事【よごと】  大伴家持【おおとものやかもち】
4位 春過ぎて 夏来【きた】るらし 白妙【しろたへ】の 衣干したり 天【あめ】の香具山【かぐやま】  持統天皇【じとうてんのう】
5位 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺【たかね】に 雪は降りける  山部赤人【やまべのあかひと】
6位 恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛【うつく】しき 言【こと】尽【つ】くしてよ 長くと思はば  大伴坂上郎女【おおとものさかのうえのいらつめ】
7位 東【ひむがし】の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾【かたぶ】きぬ  柿本人麻呂【かきのもとのひとまろ】
8位 熟田津【にきたつ】に 船【ふな】乗りせむと 月待てば 潮【しほ】もかなひぬ 今は漕【こ】ぎ出【い】でな  額田王【ぬかたのおおきみ】
9位 銀【しろがね】も 金【くがね】も玉も なにせむに 優【まさ】れる宝 子に及【し】かめやも  山上憶良【やまのうえのおくら】
10位 我が背子【せこ】を 大和へ遣【や】ると さ夜【よ】更けて 暁【あかとき】露に 我れ立ち濡れし  大伯皇女【おおくのひめみこ】

額田王の歌が二首入っているのはさすがだ。

2009.01.21
カラオケの練習をしようとGyaOを開いたら、「個人教授」をやっているではないか。我が青春の懐かしの映画である。別荘でナタリー・ドロンとルノー・ヴェルレーがダンスをするシーンがあり、そして思い出した。マッキントッシュのMC275が写るはずだと目をこらしていたが、映像が暗くよく解らなかった。いや、違う映画だったかな。主題歌が流れてくる。ああ、この曲だった。フランシス・レイの曲だ。レコード持っているはずだ。ナタリー・ドロンこんなに若かったのだろうか。(映画では25歳位の役だ。)映画館で見たナタリー・ドロンはもっと年上だったような。あ、そうでした。この映画を見たとき、私十代でした。映画の中の彼女はそのまま年をとらず、私は彼女を追い抜きさらに数十年歳を重ねているのでした。ラストシーン、窓辺に立つ彼女を道路から見上げるヴェルレー。窓ガラスに雨の滴が流れている。この映画のポスターは、たしかこのシーンだったのではなかったか。
結局最後まで見てしまった。

2009.01.18
「魅惑のスタンダードポップス」というTV番組(NHK)がある。新聞の番組表を見落とさなければ、必ず見ている。昔FMで聴いた曲が次々と出てくるので、あっという間に時間が過ぎてしまいます。中にワンテーマ・メロディーのコーナーがある。たとえば、「色」というテーマの時は「恋は水色」「ブルー・ベルベット」「ネイビー・ブルー」「夕陽に赤い帆」「黒いオルフェ」「ゴールドフィンガー」等が歌われた。 懐かしい!
曲自体も懐かしいのだが、「ブルー・ベルベット」といえばデヴィッド・リンチ監督の同名の映画を思い出し、「ゴールドフィンガー」からショーン・コネリリーの007シリーズを思うと言ったぐあいに、引出の奥の奥から、色々な想い出がジワーと染み出してくる。(もっとも、私の引出は数も少ないし容量も少ないが。) 「夕陽に赤い帆」といえば、私にとってはビリー・ボーン楽団のそれである。「恋は水色」といえばポール・モーリア楽団のそれである。45回転のLPも買ったのだった。
若い頃聞いていたFMでも、テーマにそった曲の特集なんかをやっていた。梅雨時には「雨」のテーマというように。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」、カスケーズ「悲しき雨音」、普通の会話が無く、すべて歌のミュージカル「シェルブールの雨傘」等々・・・。
ところで私、「魅惑の・・・」に出ておられるリナさんのファンになっていまいました。彼女のこと、この番組でお会いするまで知りませんでした。
m(_ _)m
ノリノリの歌を聴かせていただいていると、こちらまで元気になります。

2009.01.11
1月3日の項で「昨年6月7日に・・・」と書いた。物忘れのひどい私なのになぜその日が解ったのか? 実はこの日は明和町の斎王祭りの日だったのだ。で、ネットで2008年&斎王祭で検索したら、この日が出たというわけ。ではなぜその日が斎王祭の日と知っていたのか。
その日スーパーで朝食のパンを買って、駐車場でバイクにもたれて立ち食いしていたら、年輩の男性が話しかけてきた。バイクの話から会話が始まったのだが、その男性の乗っている車は49年式の日産チェリーだという。後のピラーの幅の広いのが特徴で、そうだった、こんなデザインだったと懐かしく、しばし眺めていた。さすがに良く見ると傷みが目に付くが、35年前の車なので当然といえば当然。私なんてそれより短い期間なのに、今の車5台目なのだ。彼がチェリーから取り出した地図を見たら、これも車に負けない位の歴史を感じさせるものだった。近畿地方の地図だったが、頁には印しが沢山入っている。「今日は伊勢の方で斎王祭がある。行こうか、どうしようか。」とその男性が言ったのだ。「私も前から一度行ってみたいと思っていたんですけど。今日だったんですか。今日は診察があるから私は無理ですね。」なんて話したのだった。
今年の斎王祭は、6月6日・7日だという。斎王歴史博物館とセットで行ってみたい。しかし、物忘れのひどい私が覚えていられるかどうか・・・

2009.01.03
近年、1月1日に目覚めるとしていることがある。ひとつは、朝風呂に入ること。それも、かなり長時間。もう一つは新しい歯ブラシで歯を磨くことだ。この日のために12月に買って置いたブラシである。
話は飛ぶが、昨年6月7日天理の病院へ行った時のことだ。その日は寝過ごして、朝食もとらずに家を出た。病院の予約を済ませ、近くのスーパーへ朝食のパンを買いに行った。診察待ちの時間はたっぷりあるのでスーパーの中をぶらついていると、箱入りの歯ブラシが目に付いた。箱のメッセージを読むと、「天然毛ハブラシ」と書かれていた。値段は安い歯ブラシの数倍する。その場はやりすごしたのだが、結局その歯ブラシを買った。すごい贅沢をしてしまった。(と言っても数百円也)贅沢と言ったが、この歯ブラシ、樹脂の毛を使ったものよりかなり長持ちした。私が歯を強く磨くためかもしれないが、樹脂製だと毛先がじきに曲がってしまうのだ。
「天然毛ハブラシ」を使っていたら、毛先が切れて短くなったりでブラシ面がでこぼこしてきた。ぼちぼち替えどきかと思ったので次に樹脂製を使ったが、ほんと瞬く間に、呆気ないくらいに毛先が曲がった”気がした。”程度にもよるのだろうが、毛先の曲がった歯ブラシで磨いていると、なんかすごく無駄な作業をしている”気がする。”ためしに残してあった「天然毛ハブラシ」で磨いてみた。磨いた後舌で歯を当たったら、古い「天然毛ハブラシ」の方が良く磨けている”気がした。”各歯ブラシの価格を各々の使用期間で割ったら、そんなに価格差が無い”気がした。”
ということで、昨年12月、天理の病院へ行った帰りに例のスーパーに寄って、「天然毛ハブラシ」を購入した次第です。
(すべて”気のせい”かもしれません。)

天然毛の内訳が箱に書かれており、以下に転記します。
「馬の毛と山羊の毛と穴熊の毛を混合しています。軟毛○○ハブラシは、ハブラシに適した太さと堅さを持つ部分の毛(馬の毛:タテガミ/山羊の毛:頬、尾/穴熊の毛:背中)を使用しています。また、毛筋の安定した毛の根本部分のみを使用しているため、曲がりにくく長持ちします。」

たしかに、樹脂製に比べ曲がりにくく長持ちしました。(これは気のせいではありません。)

2009.01.01
2009年、明けましておめでとうございます。本年も神社参拝記【かみのやしろさんぱいき】をよろしくお願いいたします。

2008.12.21
最近GYAOのカラオケの曲目がど〜んと増えた。以前は、たとえば1990年代のベスト20曲とかいうふうに約100曲ほどだったのが、一気に8000曲以上になった。曲別歌手別に検索も出来るようになった。 ためしに歌いたい曲を検索してみる。(以下敬称略)
雅夢の「愛はかげろう」があった。堀江淳の「メモリーグラス」は無かった。 イのつく歌手で検索してみる。 石川さゆりは「津軽海峡冬景色」「天城越え」「風の盆恋歌」が無いぞ。しかし「越前竹舞い」が入っている。 井上陽水は「青空ひとりきり」「なぜか上海」「リバーサイド ホテル」がある。 イルカは「雨の物語」「海岸通」「なごり雪」がある。この3曲があれば十分だ。 石原裕次郎はというと、あれ、20曲近くアップされているのに知らない曲ばかり。「北の旅人」「ブランデーグラス」「夜霧よ今夜も有り難う」等の定番が全く無い。 堀内孝雄は「影法師」は無いが「恋歌綴り」があった。 演歌の選曲に作為的なものを感じるが、しかし無料だし、総合的には「GYAOさん、ありがとうございます。」
若い人達とカラオケに行ったとき用に、GYAOで新曲を練習するか。以前、たしかタモリが司会をしていた歌番組でサザンオールスターズの特集をやっていて、サザンの曲で最も人気のあったのが、たしか「真夏の果実」だった。調べたらちゃんと入っていた。よし、この曲を練習するぞ。念のため調べてみたら、18年以上前の曲だったが、しかし、私の中では新曲なのだ。「芸者ワルツ」や「憧れのハワイ行路」に比べたらズ〜ンと新しいのだ。

2008.12.14
高齢者が車に付けなければならない標識がある。漠然と自分はまだ付けなくても良いと思っていたためか、ろくに調べもしないで、自分の頭の中では「枯葉マーク」なんていう名前になっていた。高齢者のドライバーの方々、すみません。後期高齢者医療という名称に、何か失礼な響きを感じた自分なんですが。 ウィキペディアで調べましたら、正式名称は高齢運転者標識とのこと。紅葉マーク、シルバーマーク、高齢者マーク等の通称があるという。私はこれから『紅葉【もみじ】マーク』と覚え、また口にするようにします。
実は、ウィキペディアで調べてみようという気にさせた出来事がありました。伊賀地方を車で走っていて、赤信号で停車したときのことです。私のすぐ前に止まっている軽トラックを何気なく見たら、車体に紅葉マークが貼られておりました。これだけなら別にめずらしいことではないのですが、なんと、その隣に初心者マークが貼ってあったのです。 「70歳以上の方が自動車学校へ行って運転免許を取得したのか?」と最初に思いました。「すごい!」と思いました。次に思ったのは、「いや、お爺さんとお孫さんがこの軽トラを利用する可能性もあるなぁ。」 そんなことを考えていたら、普段より早く信号が青に代わりました。前の軽トラックは私と同様右折します。あれっ、止まった。「エンスト?」 あわててセルを回している(?)その方を見たら年輩の女性でした。「70歳以上の方が自動車学校へ行って運転免許を取得した」という最初の考えがぐぐっと比重を増した次第です。
ウィキペディアによると、75歳以上のドライバーは紅葉マークを付ける義務があるそうだ。ただし、70歳以上75歳未満で、加齢による運転能力の低下がある場合は標識を付けて運転するよう努めなければならないという。一つ賢くなりました。
初心者マークもついでに調べました。正式には初心運転者標識というそうで、通称として初心者マーク、若葉マークとも言われているそうだ。「若葉マーク」から連想して、勝手に「枯葉マーク」と命名していたのかもしれない。
m(_ _)m

2008.12.07
20年位前のことだ。娘を乗せて自宅の近くを車で走っているとき、火の玉を見た。昼だったか夕方だったかは忘れたが、ヘッドライトを点ける必要のない明るさの中で、空から火の玉が落ちてくるのだ。
車を道の端に寄せて止め、フロントガラス越しに見る。「なんや!あれは!?」と指さし娘の顔を見た。娘はどう答えて良いかわからない複雑な顔をして私を見た。言葉は無かった。見てはいけないものを見たような気分になり、そのまま車を発進させたのだった。
私は流れ星を見たことがありません。何やら流星群が来るとかの情報が入っても、睡眠を最優先させる人間であります。(K君! 惑星や星雲の写真入りの年賀状、今から楽しみに待ってま〜す。寒い夜中の撮影ご苦労様で〜す。)流れ星って写真やドラマから推定すると、白い点が高速で斜め下方に走るって感じだろうか。私が見た火の玉は、点ではなく太陽や月のように広がりをもっていた。(だから、見たとき「火の玉」という言葉が浮かんだ。)こちらに向かって落ちてくるためか、一箇所に停止しているように見えた。
こんな話、友人知人に言っても信用されないだろうと、10年以上一言もしゃべらなかった。逆の立場だったら、私は一笑に付したでしょうから。
ある日、新聞の写真に釘付けになった。火の玉の写真が出ていたのだ。新聞によると火球というそうだ。「火の玉」だと観念論的な響きになるが、「火球」となると唯物論的に聞こえる。
ってことで、この貴重な体験談、以後持ちネタとして何度か使いました。

2008.11.12
ひさしぶりに大阪へ行った。目的は、絵画鑑賞、神社参拝、古本屋さんだ。座れる時間帯に、電車に乗った。進行方向に向かって左手の席につく。そうすると私の好みの北方向の車窓を楽しむことが出来る。
山の木が紅葉しはじめている。うるしの仲間だろうか、鮮やかな赤色が、所々に散らばっている。榛原近くにくるとおっぱい山が見えるはずだ。正式な名は額井岳。R370から見ると漢字の「山」の字形に見える。この時は私も額井岳と呼ぶが、近鉄大阪線から見ると、理想的なおっぱいの形に見えるので「おっぱい山」と呼んでいる。乳首に相当する部分は高い木で、通学通勤していた頃は乳首の形、乳房とのバランスもすばらしかった。通勤が車に変わり、年に数えるほどしか大阪へ行かなくなったある日、乳首の形が変形していることに気付いた。木を切ったのかもしれなかった。
さて、久しぶりに見るおっぱい山はどうだろうと窓の外を見ていたのだが、この日は家を出る直前まで雨が降っていたので、残念ながらかすんで見ることが出来なかった。
「おっぱい山と呼ぶ」なんて書いたが、声に出して言った事はない。言えません。でも、近鉄大阪線からこの山を見た何千何万の人達の99%以上はこの山がおっぱいに似ていると思ったにちがいない、と私は思っている。

2008.11.01
鳥居アクセスランキング第3弾発表!
アクセス期間:2006年11月1日〜2008年10月31日23時39分
総アクセス数:5372件
(前順位):2008年4月27日発表の順位   (前々順位):2007年8月30日発表の順位

   順位 名  称 アクセス% (前順位) (前々順位)    順位 名  称 アクセス% (前順位) (前々順位)
   1位 三輪鳥居  12.8%   2位   6位      11位 宗忠鳥居   4.3%   19位   13位
   2位 伊勢鳥居  11.0%   1位   2位      12位 山王鳥居   3.8%   11位   13位
   3位 両部鳥居   8.8%   3位   1位      13位 内宮源鳥居  3.3%   12位   9位
   4位 黒木鳥居   6.8%   4位   3位      14位 白木鳥居   3.0%   14位   18位
   5位 明神鳥居  5.53%   6位   8位      15位 台輪鳥居   2.9%   13位   15位
   6位 鹿島鳥居  5.49%   5位   4位      15位 伊香式鳥居  2.9%   15位   7位
   7位 八幡鳥居   5.0%   9位   11位      17位 中山鳥居  2.81%   17位   20位
   8位 春日鳥居   4.9%   8位   9位      18位 住吉鳥居  2.76%   16位   16位
   9位 靖国鳥居  4.62%   10位   12位      19位 唐破風鳥居  2.5%   18位   17位
   10位 三柱鳥居  4.60%   6位   4位      20位 奴禰鳥居   2.0%   19位   18位

    (15位の台輪鳥居&伊香式鳥居は同アクセス数。)

2008.10.18
ひさしぶりに、いい小説を読んだ。タイトルは「風の盆恋歌」。
きっかけは、相互リンクして頂いている「きよみっちの京都紀行」さんが、八尾おわら風の盆の写真をアップされていたことだった。写真の数々を拝見していて、梶芽衣子さんが出演していたNHKのTVドラマを思い出した。そして石川さゆりさんの「風の盆恋歌」。(大好きな歌だが唄うのは難しい。)さらに、「風の盆恋歌」という同じタイトルの小説があることを思い出した。作者は、高橋治さんだったか橋本治さんだったか? TVドラマは小説「風の盆恋歌」をドラマ化したものなのだろうか?
さっそく、インターネットで調べてみた。TVドラマは、NHKの銀河テレビ小説シリーズで1981年放送の「風の盆」だった。小説「風の盆恋歌」の作者は高橋治さんで、あらすじを読むとTVドラマ「風の盆」とは異なるストーリーであった。小説が読みたくなり、図書館で借りた。夜、ベッドに寝っ転がって読み始めたのだが、やめられないとまらない、かっぱえびせん状態になった。翌日が休日ということもあったのだが、読み終えたのは夜中の2時。こんな時間まで眠らなかったなんて、めったにないことだ。その後ぐっすり眠ったが、起きてからも小説の余韻をひきずっていた。
小説を読んで初めてわかったのだが、石川さゆりさんの「風の盆恋歌」はこの小説をモチーフにしている。というか、この小説を、とことん凝縮した歌詞なのだ。歌詞を思い出してみる。(大好きな曲なので、歌詞はそらんじている。)蚊帳、酔芙蓉、風の盆、鮎などと言う言葉が出てくるたびに、小説の場面が浮かんでくる。3番目の歌詞に「命をかけてくつがえす」というのがある。以前から意味を考えていた。小説を読んで、やっぱりそういう意味だったのかと納得した。小説を凝縮した歌詞と書いたが、一つ異なる部分がある。小説では蚊帳を吊るのは二階の部屋で、酔芙蓉はたしか玄関近くの小さな庭に植えられていた。蚊帳の中から酔芙蓉は見えないのではないかと思ってみたりもしたが、100%小説に合わせる必要もなく、歌詞のすばらしさがそこなわれる訳でもない。
名張図書館は2週間本の貸し出しが可能だ。「風の盆恋歌」、一週間後また一気に読んでしまった。この小説、特に中年の貴男・貴女にお勧めです。

2008.10.09
ISO9001という規格がある。工場の外壁なんかに「ISO9001認証取得」とか大きく書かれているのを目にすることもある。写真のフィルムに「ISO400」等と表示されているが、これは感度というフィルムの品質を規定するISO規格だ。それに対してISO9001は、品物の品質を規定するのではなく、品質保証を行うための方法を規定した規格だ。ここでいう品質保証は、品物の品質保証だけではなくサービスの品質保証も含まれる。だから役所でISO9001認証取得をしたところもある。ISO9001は品物、サービスなどあらゆる業種に適用出来るように要求事項が記述されているため、規格を解釈するのが難しい面もある。
ISO9001の要求事項の中に「文書管理」というのがある。文書管理についてしなければならないことが10ぐらい書かれている。その中に「文書が読みやすく、容易に識別が可能な状態であることを確実にする。」という文言がある。「文書が読みやすく」という言葉、文書の表現力と解釈すると大変なことになるので、ここは、「ワープロで作る」、「手書きなら楷書で書く」、「汚れて読みにくくなった文書は作り直す」というレベルで解釈する。次の「容易に識別が可能な状態」とは、文書を種類別にファイリングして背表紙にタイトルを書くというレベルに解釈するとよい。要は、必要な文書がいかに素早く取り出せるかだ。ある企業では、必要な文書を3分以内に取り出せることを目標に、文書整理を行ったそうだ。

 ここで、自身のHPを振り返ってみる。
「文書が読みやすく」に関しては、HPはワープロ文書レベルになっているのでOKだ。表現力が優れていれば言うことは無いが、無い物ねだりをしても仕方ないし、ISOの審査員から「文法的に間違ってます。」「脱字があります。」と言われるかも知れないが、不適合にはならないだろう。(たぶんならないと思う。ならないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておこう。)
「容易に識別が可能な状態」が問題だ。「近くの神社」、「遠くの神社」は、名張からみて近いか遠いかで分類していた。これって、本当に不親切な分類だ。ISO9001には顧客満足度に関する要求事項もあるが、顧客重視という観点からすると不適合だ。

ということで、「近くの神社」「遠くの神社」を合体し、「近くの神社・遠くの神社」に致しました。さらに神社を県別に分類致しました。

2008.10.04
私は複数の病気があり毎月病院に通っている。それらの中のいくつかは体重を減らせば改善出来ると主治医は言う。体重を減らせと言われ続けて10本の指ではたらないほどの年が経過したが、私なりに努力した結果、最盛期(?)から比べると7kg減量した。(ジーパンのウエストサイズが2インチ減った。)体格指数(Body Mass Index)というのがある。BMI=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で計算して、18.5以上〜25未満なら適正と判定される。ためしに計算してみたら、上限一杯で適正だった。デジタル処理じゃあるまいし適正だからと別に喜んでいるわけではない。理想の数値は22なのだそうだ。逆算するとあと6kg減らさなければならない。まあ、私なりに努力を継続しよう。
そうそう、最近ジーパン用の革のベルトを買い換えました。今まで使っていたのは10年位前に買ったもので厚手の一枚革のベルトだ。私としては当時清水の舞台から飛び降りたつもりで買った。結構傷んだが、それも風格と感じて使い続けていた。ただ、このベルトは切ることが出来ない。先にも書いたようにウエストが少し細くなったので、使いにくくなった。というこで引退して頂くことにする。と言いながら、貧乏性の私は普段着として使用していたりする。

2008.09.28
小さい頃、祖母に連れられて小道を歩いている時、美しい花がいっぱい咲いていたので思わず手を出した。瞬間、祖母が素早く私の手をさえぎった。その時祖母は「その花はさわったら駄目。」というようなことを強く言った。その花を祖母は「葬れん花」(そうれんばな)と呼んだように思う。「葬れん」とは葬式と関係がある言葉と知っていた私は、不吉な花なので触ったら駄目なのだと解釈した。毒を持つ花と知ったのはもっと後のことである。祖母は、可愛い孫を毒から守ったのか、けがれから守ったのか、今となっては分からない。(「可愛い孫」とは、私の事ですよ。念のため。)

あちこちで彼岸花が咲いている。
ウィキペディア(Wikipedia)によると、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)などの異名があるようだ。「葬れん花(そうれんばな)」は書かれていなかったが、それにしても彼岸花にはきのどくな名前の数々である。韓国では、彼岸花は花と葉が同時に出ないことから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華」とも言うそうだ。日本と違い、なんともロマンチックな名ではないか。

彼岸花には曼珠沙華【まんじゅしゃげ】という別名もある。仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」だそうで、梵語での発音は「まんじゅしゃか」に近いという。(以上もWikipedia)そういえば、山口百恵さんは「まんじゅしゃか」と歌っていた。彼岸花は赤いし、やわらかな花というイメージではない。盛装した、しかも凛とした女性って感じだ。「恋する女は、罪作り、白い花さえ真っ赤に染める」って、作詞の阿木耀子さん、ちゃんとご存知だったのだ。百恵さんの「曼珠沙華」【まんじゅしゃか】、また聞きたくなった。

2008.09.06
新しく入られた方の歓迎会があった。ことあるごとに飲酒運転厳禁の通達が出ており、酒を飲む方々は、家族に迎えに来てもらう人がほとんどだ。遠方から通勤している人は、ビジネスホテルに車を移動してから会場へ来られた。一泊して明朝帰宅されるとのこと。酒は飲めるが、車で帰るのでウーロン茶という人もいる。私は、身体が酒を受け付けずまったく飲めない。だから当然車で帰る予定だった。飲み物はまずカルピスを注文した。次はグレープフルーツジュース。よく冷えて口当たりがよく美味しかった。半分以上飲んだだろうか。何かおかしい。身体が変だ。やがてこめかみがドキンドキンとしてきた。 「これ、グレープフルーツジュースと違うんちゃうか。」
「ちょっと貸してください。」と一口飲み「間違い無く酎ハイ入ってます。」
「顔真っ赤ですよ。」
「大丈夫ですか?」
手のひらも真っ赤だ。どこでどう間違ったのかは別にして、とんでもない事になった。トイレに行こうと席を立つが足元が定まらない。靴がうまく履けず壁によりかかる始末だ。幸い頭はまだ痛くはない。入社まなしに会社の旅行の宴会で飲まされて、二日目は散々な目にあったのを思い出した。 結局、同じ方向へ帰る方の車に乗せてもらって帰宅した。
今後「グレープフルーツ」という単語を含む飲み物は絶対注文しないぞ。(美味しかったが。)

2008.09.04
西国三十三ヶ所観音霊場を廻ったのは20代後半の頃だった。会社の同僚が親に頼まれて掛け軸に御朱印をもらいに行くというので、バイクの慣らし運転を兼ねて私も便乗したのだった。目的地は一番札所の青岸渡寺、往復400km余りの那智日帰りツーリングである。
青岸渡寺で御朱印帳なるものを見た。これは面白そうだと思った。駅にある記念スタンプ、スタンプラリー、そんなことを連想した。青岸渡寺が一番札所だったので、どうせなら一番から順番に廻ろう、バイクで全て日帰りで廻ろう、そう決めたのだった。
動機は不純だったかもしれないが、それまでしたことがなかった、お賽銭を上げ手を合わせ頭を下げるという事が自然に出来るようになった。バイクで廻っていたので交通安全をお願いしていたように思う。「お若いのにようお詣り。」とよく言われたものだった。
三十三ヶ所それぞれにいろんな思い出がある。全てバイクで廻ろうなんて決めたが、三十番法厳寺は琵琶湖に浮かぶ竹生島にあり船に乗らなければならない。また山の上にある四番施福寺、十一番上醍醐寺、三十二番観音正寺は徒歩で登らなければならない。いずれも息を切らして登ったのだった。十一番上醍醐寺に参拝したのは8月の熱い日だった。伏見に着いて納涼兼昼食のため喫茶店に入ったら、エアコンが故障していて風が生ぬるく汗をたらしながらピラフを食ったのだった。上醍醐寺への登りのきつさはトップクラスだった。途中、休むためのベンチが置かれていたと記憶している。だが若い私は、一気にとは言わないがぼちぼちと一度も休まずに登り切ったのだった。山上にいくつか建物があるが、准胝堂が札所となっている。
その准胝堂が先日8月24日、落雷が原因と思われる火災で焼失したのだ。そのことを知らなかった私は、先日同僚から聞いて大変驚いた。大変驚いた自分にも驚いた。今まで自覚したことは無かったが、札所廻りという体験が、私の心に何かしらの大きな影響を与えているのかも知れない。実は、現在二回目の西国三十三ヶ所廻りをしているのだ。二回目は、目的の神社の近くに三十三ヶ所札所があればセットでという方法なので、のんびりとしたお詣りなのだが。
上醍醐の准胝堂(及びご本尊)が消失したので、現在は、下醍醐の女人堂で納経を受け付けているという。(昔は上醍醐は女人禁制だったそうだ。女人堂は、いわば遙拝所といった感じか。)ということは、トップクラスのきつい坂を登らなくても御朱印が頂けるということだ。そんなことを思う反面、登ってこその十一番札所という気持ちもあるのだ。さてどうするか。

2008.08.10
9日、病院の会計を待つ間に「とんよし」へ行く。11時半頃だったが店はほぼ満員。いつものように調理場の前にあるカウンターの席に着く。そして、いつものようにカツ丼を注文した。550円也。安い。行き始めた頃、カツ丼がこの値段なのに豚カツ定食の900円って高いのではないかと思ったが、なんとカツが2枚出てくるではないか。安い。ただし私の場合、お腹がパンパンになってしまいます。夕食がおいしく頂けなくなってしまいます。カツ丼なら大丈夫かというと、これもまたボリュームがある。ご飯部分を残してしまうことがたまにある。大、特大なんてのもメニューにはあるが「あっしには関わりのねぇことでござんす。」
注文を受けたら、冷蔵庫から肉を取り出しパン粉を付けて揚げるという作業が目の前で行われる。その間、私は本を読む。待っている間、携帯を持って何やらしている方もいる。この日は客が多かったので、2サイクル目か3サイクル目に私のカツ丼が出てきた。まずカツを一切れ食べる。カツがデカイのでご飯をとるためのスペースを空ける必要があるのだ。食べ始めは注意しないと、衣で口の中を突いて痛い思いをする。火傷をする場合もある。(私は熱々の料理が好きだ。中華料理を食べていて、口の中を火傷して皮が剥けるなんてことは珍しくない。)「とんよし」のカツ丼、行き始めの頃は私の好みから言うと甘く感じられたが、何度も行くうちに洗脳されました。(笑)


お詫びと訂正
「2008.07.31」に記載致しました文章の中に不適切な表現がございました。誠に申し訳なく、深くお詫び致します。
不適切な表現
「とった瞬間、四谷怪談のお岩さんのようにバサッとまとめて毛が抜けた訳じゃ無し、・・・」
バッサッと抜けるほど毛があるのか、と、事実と文章のギャップの大きさに自分で気が付きました。したがいまして、以下の様に訂正させて頂きます。
「とった瞬間、パラパラっとまとめて毛が抜けた訳じゃ無し、・・・」
再発防止対策と致しまして、今後は二枚鏡で十分確認し、出来るだけ客観的に表現するよう心がけたいと考えます。

2008.07.31
今日は私の誕生日で、他の方々と同様例外無く一歳増えました。これからは、書類なんぞに年齢記載欄があったりしたら新しい歳を書くことになります。一つ歳をとった訳だが、とった瞬間、四谷怪談のお岩さんのようにバサッとまとめて毛が抜けた訳じゃ無し、まとめてしわが刻まれた訳でもない。が、やっぱり今日一つ歳が増えたわけで・・・。
子供の頃、誕生日(とクリスマス)にはプレゼントがもらえました。夏休み中で祖父母の家に泊まっている場合が多く、父が会社の帰りにプレゼントを持って来てくれました。ブリキ製の豪華客船なんかが記憶に残っている。船底に電池を入れるようになっていた。小さなゴムのコマが付いていてゆっくり滑る様に走った。ブロックを組み立てて家を造る、レゴの様なモノももらった。中学2年の時だと思うが、ギターを買ってもらった。これは私がリクエストしたのかも知れない。教則本の最後に入っていた曲が「湯の町エレジー」だった。ギターは、高校の弦奏クラブに入るまで、ものにはならなかったっけ。小学校低学年だったか、鉛筆削り機なんてのももらった。それまでは親父がナイフで鉛筆を削ってくれていた。親父は器用で、削り上がりがとても美しかったのを覚えている。たしかに当初鉛筆削り機を回して鉛筆を削るのを面白がった記憶はあるが、なんかプレゼントとしては期待外れだった記憶もあるのだ。
この歳になってもう誰も誕生日のプレゼントをくれないので、自分で自分に何かプレゼントをしようか。少ないながらもボーナスが出たことだし・・・

2008..06.29
友人に誘われて、ポートメッセ名古屋であったノスタルジックカーショーに行ってきた。軽食コーナーで「あげタコ」なるものを初めて食べていると、少し離れたところで何かやっているのが見えた。西部劇のガンマンスタイルの人が数人いるではないか。食べ終わってから見に行く。ピストルの早撃ちをさせてくれるみたいだ。無料だし、やらせて頂くことにした。テッポは子供の頃から好きだが、ホルスターを装着するのは初めてだ。拳銃は当然リボルバータイプだ。子供の頃、蓮根式なんて言ってたヤツだ。合図があってから、ホルダーから銃を抜き親指で撃鉄を起こし引き金を引く、この時間を計ってくれるのだ。右手で銃を抜き、左手のひらで撃鉄を起こして、「こうしては駄目ですか?」と聞くと、笑って「いいですよ。」との事。子供の頃TVの西部劇でよく見た撃ち方だ。2回ほど練習したら、拳銃に二発弾を詰めてくれる。いよいよ本番である。
1回目、1.192秒だった。「あわてたら、かえって遅くなります。」「銃のそばで手を構えてもらってもいいですよ。」との事。両手を垂らし余裕のあるポーズを取りながら、合図があってから慌てて、トリガーガードに人差し指をぶつけた結果が以上の数字だ。
2回目、0.886秒。我ながらスムーズに抜けた。「早いですよ。」「早いですね。」受付の若い女性にも誉めてもらって思わすニッコリ。(記録認定証を頂く。)
ところがである。私の後にやった小学5、6年生ぐらいの男の子(写真)が0.67?秒をたたき出したのだ。私に対する「早いですね。」は社交辞令だったようだ。
昔、クリント・イーストウッドは0.3で抜くと聞いた記憶がある。ローハイドかマカロニウエスタンの時代だろうが。

2008..06.15
会社の「グルメ会」で、関へウナギを食べに行った。『グルメ会』は私が勝手に名前を付けているだけで、実体は「○○食べに行こか?」「いいですね。」「行こ、行こ。」って程度の集まりです。今回の「ウナギを食べに行こう!」は私の提案だった。関のウナギ屋『初音』さんとは30年来のつき合いだ。(向こうは私をご存じないだろうが。)名張で待ち合わせをし、1時間もかからずに亀山市関町に到着。レジでもらった整理券は31番だった。並んで待たなければならないのなら別の店へ行く私だが、『初音』さんだけは例外だ。店の外で待ち、玄関内で待ち、テーブルに着いてから待つこと合計約1時間。『御ひつまぶし』がやっと出てきた。他の『グルメ会会員』は、こちらのウナギは初体験だったが「どこそこの○○より美味しい。」「△△の□□より美味しい。」と好評だったので、案内した私は少々鼻が高い。ホント、ここのウナギは皮まで美味しいのだ。
以上のように美味しいお店を紹介すると、行く人が増えて待つ時間がより長くなってしまう可能性が大きいことは理解している。しかし、たまには有益な情報を発信しないと、このコーナーに訪問して下さるお客様に申し訳がない。

この後、JR関駅近くの道の駅に車を移し、関宿の町並を観光した。

2008.05.22
鳥居をくぐり手水舎で身を清める。参道を行くと一対の狛犬が迎えてくれる。拝殿の前に進み 、お賽銭を入れ鈴を鳴らし柏手を打つ。拝殿の奥に、本殿の扉が見える。
私の神社【じんじゃ】のイメージはこんな感じでしょうか。だとすると、『神社参拝記』【じんじゃさんぱいき】のコンテンツの一つに山ノ神があるが、 これって神社【じんじゃ】なのか? 倶留尊大権現はどうなんだ?
安易にタイトルを決めたツケは、ボディブローのように後で効いてくるのだ。

相互リンクして頂いてる高坂さんの『丹波の神社』では、「サイト案内/編集方針」でその辺 りを、「神社を広くカミ信仰として捉える場合もある」とはっきり断っておられます。
同じく相互リンクして頂いているtonさんの『赤目滝』には、「かみさまのおうち」があります 。神様が降臨してもおかしくない空間をカメラで切り取られております。(必見です!)

で、私は思いました。『神社参拝記』は、【じんじゃさんぱいき】ではなく【かみのやしろさんぱいき】なのだ、と。
3周年を迎えるにあたり、タイトル名の読みを以上のごとく変更致します。今後とも【かみのやしろさんぱいき】をよろしくお願い致します。

2008.04.27
鳥居アクセスランキング第2弾発表!
アクセス期間:2006年5月1日〜2008年4月27日9時30分
総アクセス数:3675件
(旧 順 位):第1弾の2007年8月30日発表の順位

   順位 名  称 アクセス% (旧順位)   順位 名  称 アクセス% (旧順位)
   1位 伊勢鳥居  11.2%   2位     11位 山王鳥居  4.1%    13位
   2位 三輪鳥居  10.9%   6位     12位 内宮源鳥居 4.0%    9位
   3位 両部鳥居   9.1%   1位     13位 台輪鳥居  3.3%    15位
   4位 黒木鳥居   6.7%   3位     14位 白木鳥居  3.2%    18位
   5位 鹿島鳥居   6.0%   4位     15位 伊香式鳥居 3.1%    7位
   6位 三柱鳥居   5.2%   4位     16位 住吉鳥居  3.0%    16位
   6位 明神鳥居   5.2%   8位     17位 中山鳥居  2.9%    20位
   8位 春日鳥居   4.9%   9位     18位 唐破風鳥居 2.7%    17位
   9位 八幡鳥居   4.9%   11位     19位 宗忠鳥居  2.8%    13位
   10位 靖国鳥居   4.5%   12位     19位 奴禰鳥居  2.8%    18位


    (三柱鳥居&明神鳥居,宗忠鳥居&奴禰鳥居は同アクセス数。春日鳥居181件、八幡鳥居179件。)

2008.04.01
私が好きな観音様がもう一体ある。渡岸寺にある十一面観音様がそれだ。百済観音様より年上の、中年の女性って感じがする。なかなか官能的な観音様である。色気すら感じるのは私だけか。
美術の本をスキャンして携帯の待ち受け画像の一つにさせて頂いている。十一面観音様を待ち受け画像に設定しているときの着うたは、当然「般若心経」だ。(正確には摩訶般若波羅蜜多心経)「色即是空 空即是色」というフレーズが有名だ。「CDブック 声に出して読みたい日本語」の中に入っていた。般若心経といえば、とある神社で、拝殿に向かって地元のご婦人達が般若心経を唱えられているのを見た。明治以前の神仏習合の信仰が、途切れること無く現在まで続いているのだろう。

(今日は4月1日、エイプリルフールです。上の文章に一つだけ嘘があります。)

2008.03.23
法隆寺へ行った。5年ぶりに百済観音様にお会いした。法事でお参りするお寺を除くと、寺に 関しては法隆寺への参詣が一番多いと思う。
始めて法隆寺へ行ったのは中学1年生のときだ。遠足で行ったのではない。少ない小遣いをやり繰りして行ったのだ。中学の美術の時間に、法隆寺の建築の四大特徴なるものを習った。美術は好きだったのですんなり頭の中に入り、この時の美術のテストはめずらしく100点だった。 100点とって気をよくしたのだろう、その四大特徴なるものの実物を見に行きたくなり、親父に カメラを借りて法隆寺へ一人で出かけた。そして、百済観音様と出会ったのだった。ググッと来た。中学1年生当時、仏像鑑賞なんて趣味は持ち合わせていなかったはずだ。仏像と言えば遠足で行った東大寺の大仏(奈良のだいぶっつぁん)ぐらいしか知らなかったはずだ。だが、ググッと来た。「若い大人の女性に微笑みかけられて、ボーっとなった少年の図」って感じだったのかも知れない。
高野山の奥の院参道に、胸のふくらんだ観音像があったと記憶している。仏像に性別など無いのだろうが、観音は女性的な面を持っていると思う。
帰宅後女子プロゴルフを見ていて、李知姫 (イチヒ)さん、なんとなく百済観音様に似てるなぁと思った。

ちなみに、法隆寺建築の四大特徴とは以下の通り。
1.柱がエンタシス
2.卍崩しの高欄
3.人字型割束
4.雲型肘木
個々の特徴は、ネットで検索可能だが、「4大特徴」って、美術の先生がかってに言ってただけかも知れません。

2008.03.07
ついにくるべきものが来てしまった。大江町の天岩戸神社を更新したら、HPの容量が49.95MBになってしまったのだ。geocitiesは50MBまで無料なのだが、ついに年貢の収めどきとなった。3年間(少し足りないが)無料スペースをお貸し下さったYahoo Japan Corporation に感謝。
そして感謝の気持ちを形に現すべく、昨日ジオライト(300MB/\315/月)に申し込みました。登録はあっと言う間に終了し、200近いhtmファイルから広告が全て消えたのでした。広告の無くなったページを見たら、なんだか違和感を感じてしまった。収まりが悪いというか、しまりが無いというか・・・。(「もともとそうだった。」という声は無視。)まあ、しばらくしたら慣れるだろう。

2008.02.16
「なんで、寺ではなく神社なんだ?」と聞かれることがある。そんなときは「拝観料いらんから。」と答えることにしてる。でも、なんで神社なんだろう。お寺にもお参りするが、その数は神社の比ではない。運転していても電車に乗っていても、鳥居が目にはいると首が動いてしまう。そんな状況が10年近く続いている。なぜ神社なんだと考えるが、明確な答えは思いつかない。現時点ではお寺より神社の方が好き、というしかない。「なぜ、サツマイモではなくジャガイモなんだ?」と聞かれたら、明確な理由を説明出来ないのと同じことか。(たとえが悪いぞ。)
そうそう、神社の全てが拝観料いらない訳ではありません。昨年参拝した滋賀県の坂本にある日吉大社は300円いりました。(駐車場は無料)見所の多い神社なので大満足の金額です。奥宮を含めて、5時間おりました。(夜の約束がなければもう1〜2時間は間違い無く延長でした。)京都の地主神社【じしゅ】も拝観料がいります。ここは清水寺の敷地の中にあるのです。この神社の見所は、私的には、なんと言っても丑の時参りの釘跡です。五條市小島町にある御霊神社も栄山寺の境内 にあり、拝観料がいります。栄山寺には国宝の梵鐘があります。

2008.01.03
何年かぶりに紅白歌合戦を見た。いや2桁年ぶりかも知れない。とにかく、思い出せないほど前に見たきりだった。年越しソバを食べながら紅白歌合戦を見るのが年中行事になっていた時代もあったのだが。(以下敬称略)「美川憲一」・「小林幸子」の衣装合戦なるものを見るのも今回が初めてなのだ。
では2007年度はなぜ見る気になったのか。
昨年は若い人達とカラオケに行く機会が複数あった。彼らが唄う曲は、ほとんど私の初めて聞く歌だった。
「良い曲やな。誰の歌?」「中島美嘉。」
歌の巧いNさんの「雪の華」を聞いたときの会話だ。こんなことが何回かあった。
12月になって、なにげなく紅白出場歌手の記事を見ていたら、その時聞いた歌手の名前をいくつも見つけたのだった。さらに「一青 窈」【ひととよう】も出ることを知った。(一時期「一青 窈」と「元ちとせ」がこんがらかっていたが。)ひさしぶりに見る紅白歌合戦はよかった。若い歌手が唄う歌も、心に響いた。「絢香」もよかった。「コブクロ」とのセッションもよかった。(若い人達と行ったカラオケで下地が出来ていたからか?)
あ!そうそう、「じょんから女節」を初めてオリジナル歌手(「長山洋子」)で聞いた。この曲はIさんの持ち歌で、何度か聞かせて頂いておりました。

2008.01.01

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。


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