ウージーの雑(な)文

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・冬が来た!
(我が家の庭に)
サンシュユ・サンシュユ(アップ)・ジャノヒゲ・アセビ
ピラカンサ・レンギョウ・ユキヤナギ

2016.12.15
サンシュユサンシュユジャノヒゲアセビ
ピラカンサレンギョウユキヤナギ
(写真1)サンシュユの葉がほとんど散った。葉が落ちると、そこそこの実がなっていることに気づく。種を取り除き乾燥させた果肉は、強精薬に使われるという。(写真2)つぼみの割れているのがある。花弁の黄色い色を微かにのぞかせているものもあった。(写真3)ジャノヒゲの実は、綺麗な緑色から全て黒く変わった。(写真5)ピラカンサの実はオレンジが濃くなってきた。娘が小さい時、これらの実を取って並べていたのを思い出した。なかなか美しいものだった。(写真6)はレンギョウの花芽で、(写真7)はユキヤナギの花芽である。下の写真を確認したら、この二つの花の写真はアップしていなかったようだ。来年のお楽しみというこにしておきます。




冬が来た!
(我が家の庭に)
山茶花(桃色)・山茶花(赤)・水仙・万両
ドウダンツツジ・ユキヤナギ・ツツジ

2016.12.06
サザンカ(ピンク)サザンカ(レッド)早咲き水仙マンリョウ
ドウダンツツジユキヤナギ
上の7枚の写真を撮影したのは12月5日。(二十四節気では「小雪」になるそうだ。)サザンカと早咲き(我が家比)の水仙がほぼ同じ頃に咲いた。マンリョウの実はもう真っ赤だ。今年は世間の紅葉が例年より早く、しかも美しい気がする。我が家のユキヤナギもかすかに紅葉した。(下段中)2012年にFさんと、上賀茂神社から下鴨神社まで加茂川べりを歩いたのだが、土手に真っ赤に紅葉したユキヤナギがあった。遠目に見ていて最初はユキヤナギと解らなかった。だって我が家のユキヤナギの葉は、毎年緑から茶色に変わり散っていたのだ。それが今年、ほんの一部だが紅葉してくれた。いや、これから全体が真っ赤になる可能性もまだ残っている。今日は冷たい風が強く吹きサンシュユの葉が散りまくっていたが、先日は暖かい日もあった。そのためだろうかツツジも咲いていた。


続々・秋が来た!
(我が家の庭に)
ヒイラギ・ドウダンツツジ・菊1・ホウチャクソウ
スイセン・ヤツデ・菊2・ヒメツルソバ

2016.11.24
ヒイラギドウダンツツジ菊ホウチャクソウ
スイセンヤツデ菊ヒメツルソバ


・秋が来た!
(我が町に)
2016.10.28
秋の花(名称不詳)ムラサキシキブナンテン秋の花(名称不詳)
秋の花(名称不詳)ホトトギス秋の花(名称不詳)秋の花(名称不詳)


・秋が来た!
(我が家の庭に)
アメジストセージ・赤とんぼ・ツワブキ・ニシキギ
マンリョウ・ピラカンサ・サンシュユ・ドクダミ

2016.10.26
秋の花(名称不詳)赤とんぼツワブキニシキギ
マンリョウピラカンササンシュユドクダミ


秋が来た!
(我が家の庭に)
キンモクセイ・エゴノキ・ムカゴ
キノコ1・キノコ2・ドクダミ

2016.09.30
キンモクセイエゴノキの実ムカゴ
キノコ1キノコ2ドクダミ


2016.09.12
朝食は子供の頃からほとんど食パンである。基本的には、マーガリンを塗って食べていた。お袋がケーキだかクッキーだかを焼いた時は、残ったバターを塗ったりした。たまにイチゴジャム・ピーナッツバターを使ったこともあったが、マーガリンが基本だった。アレンジとして、マーガリンを塗った上から砂糖をかけたり粒あんを塗って食べたりした。トースターを買いに行った時の事を覚えている。親父が「パンが焼けると、自動的に飛び出すねんで。」と言ったら、小さな私は「飛び出たら、僕がパンを捕まえる。」と言った。トースターから、パン全体がジャンプして出てくると思ったのだ。たまに干し葡萄が入った食パンが食べたくなり、遠くへ自転車に乗って買いに行った事もある。いつの間にかトースターがオーブントースターに変わり、現在はガスグリルで焼いている。通勤時「あさイチ」という番組で、ガスグリルを使うと食パンが美味しく焼けると聞いた(走行時は映像が見られない)のがきっかけである。余熱30秒後に食パンを入れ、1分焼き、裏返して30秒焼いて完成である。その場でメモを取らなくても覚えられた。魚を焼いたグリルでも、内部に空気の流れがあるため臭いが移らないという。早速やってみたら、表面カリッと、内部はもっちりと焼き上がった。焼き具合に好みがあると思うが、火力が強いので秒単位で時間管理をする必要がある。グリル焼き食パンの食感を味わうには、マーガリンを塗らずにそのまま食べた方が良いのではと思い、チーズをかじりながら食べてみた。これはいける、ということで、この焼き方・この食べ方が2年以上続いている。

2016.08.29
今年の夏は蝉が多い。(気がする)まず、庭に空いた蝉の穴が例年になく多い。(気がする)(写真左)(巨大ミミズではないことを祈る)当然蝉の抜け殻も多い。(気がする)写真中央など、その混雑ぶりが分る。おまけに、蝉が脱皮しているところを目撃してしまった。(写真右)(7月26日の写真と同じもの)穴と抜け殻はいやというほど過去にも見たが、脱皮を目撃したのは今年が初めてだ。この日は地面で、背中が割れて殻から抜け出そうともがいているもの、穴から出て間無しで蟻がたかっているものも初めて見た。
蝉の穴 蝉の抜け殻 蝉の脱皮


続新夏が来た!
(我が町に)
2016.07.31
花の名前不明花の名前不明アベリア朝顔
風船カズラ猫じゃらしオシロイバナサルスベリ


夏が来た!
(我が町に)
2016.07.26
水連1水連2名前不明向日葵蝉


2016.07.17
yahoo!検索で鳥居の画像を見ていた。『神社参拝記』に掲載している厳島神社の鳥居の写真が画像検索のトップページあった。そこから『神社参拝記』に移ろうとしたら、な・な・なんと!見ず知らずのサイトにたどり着いてしまった。そのサイトには、Mさんから掲載許可を頂いて拝借したお写真(厳島神社の両部鳥居)の他に、私が撮影した伏見稲荷大社の奴禰鳥居も掲載していた。私が写した別種の鳥居の写真ももう一枚掲載していたが、それが何鳥居だったかはもう忘れた。そのページの内容を確認したが、写真の出所の記述がまったく無い。ためしにGoogleで両部鳥居の画像を検索してみた。Yahoo!と同じくトップページにMさんの写真があった。しかし、リンクは『神社参拝記』になっていた。その時は、さすがGoogle!だ、と思った。yahoo!もしばらくしたら(気づいて数ヶ月位だったか?)、リンク先が『神社参拝記』に戻っていた。
『神社参拝記』は、著作権に関する記述をしていなかった。書かなくても一般常識があれば・・・、とか、自分の写真が著作権を主張するほど立派な写真か、とか、そんなことが頭をかすめたため書かずにいた。しかし、拝借したお写真をパクられたとなると、心穏やかではない。拝借した者としての責任を果たさなければ、と遅まきながら思った。
相互リンクして頂いているかわさきさんのHP『白井市のご近所紹介』に<サイトについて>」というページがあり、久しぶりに拝読した。一分のすきも無い文章でした。かわさきさんの文章を参考にさせて頂きたいとお願いしたら、快く了解して下さいました。感謝!


夏が来た!
(我が家の庭に)
ギボウシ・桔梗・ミニトマト・ジャノヒゲ・オニユリ

2016.07.15
ギボウシ桔梗ミニトマトジャノヒゲオニユリ



夏が来た!
(我が家の庭に)
アジサイ・桔梗・ミニトマト
ノウゼンカズラ・ムクゲ・モントブレチア

2016.07.08
アジサイ桔梗ミニトマト
ノウゼンカズラムクゲモントブレチア


春が来た!
(我が家の庭に)
オウバイ・フキ・アジサイ
スイセン・サンシュユ・ツツジ

2016.03.12
オウバイフキアジサイ
水仙サンシュユツツジ


2016.03.09
京都の街を歩いた。ここで話は少しさかのぼる。数年前京都の、貴船神社や橋姫神社について調べていて、「鉄輪の井戸」があることを知った。そして昨年見た『京都人の密かな愉しみ』(NHK)という番組に、その「鉄輪の井戸」が出てきたのだ。この番組を見たのはたしか二度目と思うが、この回は水がテーマだった。(今頃になって、録画しなかった事を後悔している。)俄然、鉄輪の井戸のある場所に行ってみたくなった。『京の町家小路散歩』という本にその場所が記されていた。南北にはしる堺町通にあるので、それなら堺町通を北から歩いてみようと思った。地下鉄を丸太町駅で降りて、京都御苑の堺町御門へ移動、ここを起点とする。通りを眺めながらまず目指したのはハリストス正教会。って、この教会は隣の柳馬場通にあるんですけど、いきなり寄り道だ。予想通り絵に描いてみたくなる教会だった。丸竹夷二押御池姉三六角蛸錦と錦小路通まできて、また寄り道、錦市場商店街を通って錦天満宮へ。そこからちょっと北へ上がり蛸薬師堂へも。再び来た道を堺町通へ引き返す。錦市場商店街は、キャリーバックを持った観光客であふれていた。味見用なのか、一串200円前後の食べ物が並んでいる。腹が減っていたが、我慢する。出汁巻きたまごが130円? いや我慢しよう。この後コンビニでパンを買って昼食とした。鉄輪の井戸は「近くの神社・遠くの神社」でまた紹介するのでここでは書かずに飛ばして、次に行ったのは五条通にある弁慶と牛若丸の像。以前バイクで走りながら横目で見た程度だったので、ゆっくりと見てみたかったのだ。ここにも中国語を話す若いカップルがいた。可愛い弁慶と牛若丸の像だったが、義経が生きていた時代の五条は、現在の松原通にあった。五条を南に下げたのは豊臣秀吉だそうだ。次に市比売神社に向かう。『京都人の密かな愉しみ』において、鉄輪の井戸の精から主人公を救出するのは、市比売神社の御祭神の化身だった。市比売神社から少し南へ行くと七条通だ。京都タワーが見えた。脚はそこそこ疲れていたが、帰るには少し時間が早いので京都タワーにのぼることにした。京都タワーの展望台(高さ100m)へ行くには770円いる。阿倍野ハルカス(高さ300m)は1500円だった。高度からすると京都タワーは割高感があるが、私の場合見下ろす京都の街の方が楽しめた。あそこへも行った、あっちへも行ったと思い出しながら、展望台をぐるぐる廻っているのだった。

2016.02.13
「京大助教授が巨大ナメクジ目撃情報募る」という記事をネットで見た。巨大ナメクジといえば、昔社宅の炊事場で見た。あまりの大きさに私は固まってしまった。後にも先にもあんな大きなナメクジを見たのは、その時だけだ。割り箸かなんかを使って流しまで運び、多量の塩をかけたのを覚えている。最近実家の庭で、巨大なミミズを見た。雑草を引いていたら、知らぬ間に手の側を這っていたのだ。このときも、手を引っ込める前に一瞬固まった。自宅の庭にもミミズはいるが、大きくてもこいつの半分以下だろう。巨大なムカデを見たのは小学生以下の頃だった。大阪城公園に虫取りに行った時のことだ。桜の木だかの幹にそいつは這っていたのだ。成人後、巨大ナメクジがいた社宅で、10数年の間にムカデを数匹捕まえる事になるが、いずれも15cm以下の大きさだった。想像するに、大阪城公園にいたムカデは20cm以上あったと思うのだが、当時は体が小さかったから、反比例して大きく見えたのだろうか。記事の巨大ナメクジは正真正銘這うと20cmに達するという。私が社宅で見た巨大ナメクジは、10cm以下だったと思う。20cmのナメクジって・・・。出逢わないことを切に願う。名前はマダラコウラナメクジで欧州原産だそうだ。

2016.01.03
あけましておめでとうございます。
本年も神社参拝記【かみのやしろさんぱいき】をよろしくお願い申し上げます。


雨が降らなかったので、1日〜3日の早朝にいつものコースを歩いた。2012年の8月から歩き始め、ずっと記録を残してきた。稚内をスタートして西海岸を南下するシミュレーションをしているが、現在島根県を歩いていることになる。累計歩行距離は3000kmを超えた。(ハイキング等の距離がはっきりしない歩行は含まない。)
2日、初詣に近くの神社へ行った。境内を方々眺めていると、新しく出来た参集殿の掲示に「正式参拝」などの文字に交じって「御朱印」の字が見えた。こちらの神社は御朱印を頂いていなかった。3日にもう一度参拝しようかと思ったが、結局来年の初詣の時に頂く事にする。(忘れてはダメだぞ!!!)
録画しておいた映画「ロストワールド」「ランボー」を見た。(一度見た映画だが。)「ロストワールド」は、ジュラシックパーク三部作の中で一番落ちるんじゃないかと思っていたが、ティラノザウルスがけっこう出演して楽しめた。「ランボー」はたしか4まで見たと思うが、第一作だけが強く印象に残っていた。それを久しぶりに見ることが出来たが、やっぱり面白かった。
昨年秋にふくらはぎを痛め、歩けなかった結果体重が1kg強増えた。治ってウォーキングを再開したのだが、体重が減らない。体を動かそうと、2日は草引きをした。正月早々の草引きは、なんだか恥ずかしいと思い、実家の外から目立たない所を引いた。その後、お餅一個入ったぜんざいを食べた。差し引きのカロリーはプラスだったに違いない。
こんなあんなで、正月は終わりそうだ。

2015.12.10
万葉の会で山の辺の道を歩いた事は先に書いた。その資料を読んでいたら以下の歌が目についた。

鳴る神の 音のみ聞きし 巻向【まきむく】の 桧原【ひはら】の山を 今日見つるかも (7−1092)(柿本人麻呂)
 意味:うわさにだけ聞いていた巻向の、桧原【ひはら】の山を、きょう見たのです。(『たのしい万葉集』を参考にさせて頂きました。以下同)

歌が目についたと言うより「鳴る神の」が目についたと言うのが正しい。以前「鳴る神の」で始まる歌をアニメの中で聞いたのだ。そのアニメは、雨や街の風景が美しく描かれ表現されていた。ストーリーもよかった。タイトルは、『言の葉の庭』。(『DKの落書き帳』)

鳴る神の 少し響【とよ】みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ(11−2513)(柿本人麻呂)
 意味:雷【かみなり】が少しばかり鳴って、曇ってきて、雨でも降らないかしら。あなたさまを引きとめたいの。

鳴る神の 少し響【とよ】みて 降らずとも 吾【わ】は留まらむ 妹【いも】し留めば(11−2514)(柿本人麻呂)
 意味:雷【かみなり】が少しばかり鳴って雨が降るようなことがなくっても、私はとどまるよ、君が「いて欲しい」って言うのなら。

ほんのちょこっと万葉集をかじるだけの私なのに、これだけ「鳴る神の」に出会うなんて、ひょっとしてと思い調べたら、やっぱり「音【おと】」もしくは「音のみ聞く」にかかる枕詞だそうです。

2015.12.07
12月の万葉の会は「山の辺の道」だった。自宅から駅までの移動中は雨だったが、ネットの天気予報は9時には上がりそうだったし、雨雲ズームレーダーもそんな感じで、桜井に着く頃には止むに違いないと思った。しかし柳本駅に着いても雨は止まなかった。傘をさして崇神天皇陵(行燈山古墳)を目指す。今回は、そこから桜井駅へ南下するコースだ。若い頃青年婦人部で山の辺の道ハイキングを計画し、下見に来たのが最初だった。結局柳生に変更となったが、古代の道にロマンを感じたのだった。30歳位の頃、桜井から柳本まで歩いた。石上神宮まで行くつもりだったのだが、あちこち寄り道して疲れてしまい、長岳寺散策を最後に柳本駅へ向かったのだった。(このときドクダミの花を知った。)その後は、大神神社から檜原神社までを往復したり、バイクや車で横切ったりと、まともに山の辺の道を歩くことはなかった。だから、今回の計画を早くから楽しみにしていた。万葉歌碑も沢山あるという。歌碑をチェックしながら、ぬかるんだ道を進む。たまに大和青垣に目を向ける。緑と黄が入り混じった中に赤が点在する美しい色をしていた。葉が雨に洗われていい色だ。雨も捨てたものではないと思う。檜原神社の境内で昼食となる。しばらくして雨が上がった。食事も早々に新しくなった三輪鳥居の撮影をする。完全には見えなかった二上山のピークが、はっきり姿を現した。1年前に登った二上山をここから見ると、かなり高い山に見える。この後檜原神社のすぐ西にある井寺池を廻った。ここに川端康成の書になる歌碑がある。万葉集ではなく古事記にある歌だ。

大和は 国のまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し美し (倭建命)

狭井神社、大神神社、平等寺、志貴御縣坐神社、金屋の石仏、海石榴市観音と寄り道、万葉歌碑をチェックし初瀬川に至った。ここには「佛教傳来之地」と書かれた大きな石碑がある。ここは初めて来たところだ。初めてといえば、景行天皇陵(渋谷向山古墳)の南側にある、神籬【ひもろぎ】の旧跡も初めてだった。

今回お近づきになれた万葉歌
紫は 灰さすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰 (12−3101)
雨にけむる山 万葉歌碑を囲む傘
大和青垣 歌碑を囲む

2015.11.20
『日本の有毒植物』(学研)という本を立ち読みしていたら、ノウゼンカズラの頁が目に入った。我が家にはノウゼンカズラがあるのだ。それ以外にも、有毒植物が我が家にあることが分かった。本を購入した。
本をチェックした結果、我が家にある有毒植物は以下の通りだ。

ホウチャクソウ:全草    ニシキギ:果実、種子    マユミ:全草、とくに種子    コニシキソウ:全草(雑草)
アセビ:全株    サクラソウ:葉、花柄、萼片    キキョウ:全草    スイセン類:全草
タマスダレ:全草    ナンテン:全草、とくに果実    オシロイバナ:根茎、種子    アジサイ:全株、とくに葉・根・蕾
カロライナジャスミン:全株、とくに花    ニチニチソウ:全草    ノウゼンカズラ:全株、とくに花

(以下は実家にある毒のある植物)
クレマチス:全草    スズラン:全草、とくに花・根    ハナミズキ:葉

ノウゼンカズラの花(写真左下)は夏頃に咲き、椿の花の様に全体が落花する。食べはしなかったが、いつも素手でひろって捨てていた。葉の方は、今週枝を切り詰め、残っている葉を払い落として、素手で処分した。昨年も同じやり方だった。別に問題はなかった。花の汁液が皮膚に着くと炎症を起すと本にある。又、汁液が目に入ると失明するといわれているそうだ。気をつけなければならない。ウィキペディアに「(ノウゼンカズラの)蜜は毒性があるといわれるが、根拠のない俗説・風評である。」とあった。蜜はだいじょうぶなのか。今、マユミの実(写真右下)がはぜて、赤い種子が顔を出している。ゆめゆめ食べることなかれ。ちなみに、トリカブトは我が家にはありません。
ノウゼンカズラ マユミの実

2015.11.19
三光神社の次に向かったのは玉造稲荷神社だった。初めての訪問である。次の参拝は子供の頃よく遊びに行った八坂神社に八王子神社。参拝は2度目10年ぶりである。
そして次が熊野神社(正確には熊野大神宮)だ。子供の頃名前だけは知っていた。熊野神社のだんじりは何処かで見たはずなのだが、神社は初めての訪問である。事前に場所を調べたら、昔何度も行った今里新道商店街、シンコー市場の近くだと分かった。八王子神社の近くにも市場(森市場という名だったと思う)があった。こちらの方が自宅から近いので母はよく利用していたが、たまに今里新道商店街(商店街の名称は最近知った)も利用した。シンコーは新興と書くのだろうか。ビス進興というスーパーはあったが、市場らしきものは見当たらなかった。この商店街の肉屋さんに、よく母から買い物に行かされた。森市場より遠いので、24インチの自転車に乗って出かけた。肉屋さんは東を向いて商店街に入った左手にあった。しまった!シンコー市場は頭にあったが肉屋さんは忘れていた。今でも営業されているのだろうか。
今回熊野神社に行くのに、当時買い物に使った道をたどる事にした。覚えている交番所は、同じ位置に有った。当時交番の敷地に花壇があったが、今はコンクリートで埋まっていた。近くに東洋鉄線という大きな工場があったが、今はその場所に巨大なマンションが建っている。記憶を頼りにそれらしい道をゆくと、商店街の入り口が見えてきた。小さい頃、私はこの商店街の入り口近くで交通事故にあった。その時私は二人乗りの乳母車に弟と二人乗っていた。弟とは4歳違いなので、私は4歳位だったのだろう。私は乳母車の前に座っていて、弟は後ろで寝ていたと思う。商店街入り口の前の広い道を渡ろうとした時、オートバイがぶつかって来たのだ。私はオートバイのブレーキレバーで左頬を切り、お袋のガーゼのハンカチを切った頬に押し当てて病院へ行ったのだった。白いガーゼが日の丸の様になった記憶がある。病院で3針縫った。十手の様な傷跡が残った。オートバイの運転手が、車のおもちゃを2台もって自宅へお詫びに来たのも覚えている。ワゴン車とレッカー車だった。ワゴン車は後ろの扉が上下に開いた。レッカー車は後ろの荷台にクレーンが付いていて鎖を巻き上げる事が出来た。そんな話を最近お袋にしたら、私を病院に連れて行ったのは、ぶつかって来たオートバイの運転手だったとのこと。そのことはまったく記憶に残っていなかった。
熊野神社に参拝後、今里新道商店街で昼食に山かけそばを食べた。次は比賣許曽神社へ向かって歩き始めたら、左足のフクラハギに軽い痛みを感じた。二週間後に、同じ位置で肉離れを起こし、足を引きずることになる。

2015.11.08
先月、大阪天王寺区にある真田山公園、三光神社へ行ってきた。うん十年ぶりである。小学校の高学年になってからだと思うが、近所の友達と弟連れで遊びに行った場所なのだ。小さい弟を連れて行くのは好きではなかったが、母に「連れて行ったりや。」と言われるのだ。弟連れだと目配り気配りしなくてはならないので、思う存分遊べないのだった。(ってか、割と兄としての責任感があったのだなぁ。)そこでは地元の子供達が、崖に近い急な高い斜面をダンボールに座って滑っていた。私達も彼らを真似て滑った。スリルがあって面白く、恐らくこれが目的で、テクテク歩いて何度かこの場所へ通ったのだった。
鶴橋で降りて、まず真田山公園に向かった。美しく整備された公園を少し歩いて回ったが、何も思い出せなかった。次に数百m離れた三光神社へ向かった。こちらも、「史蹟 真田の抜穴跡」(当時大阪城へ続いている抜穴とうわさし合った。)以外覚えているものはなかった。ただ、神社の地形から、滑り降りて遊んだ場所は三光神社だったのかも知れないと思った。現在社殿が建っているところから階段20段分くらい下ったところに広場があるが、宮司さんの話では、この位置に山があって今の本殿の位置より高かったが、アメリカの爆撃で崩れたのだそうだ。神社を復旧するのに長い期間がかかったそうだ。こんなお話を聞くと、急な斜面があったのは三光神社だったのではないかと益々思えてくる。

2015.10.20
秋の二人ツーリングは桑名だった。私が提案し相棒が了解してくれた。昨年秋の彦根ツーリングは10月末だったので今年はひと月ほど早い。昨年の秋ツーリングは朝夕が寒かった。年をとるごとに寒さに弱くなる。日の暮れるのも早い。というわけで早めに行くことにしたのだ。桑名といえば広重の「東海道五拾三次之内桑名七里渡口」である。この記念切手を持っていたので、絵はよく覚えている。調べたら1959年発行の「国際文通週間」記念切手だった。したがって目的地の一番は七里渡口跡である。ここに大きな鳥居がる。元は伊勢神宮の外宮本殿の棟持柱に使われていた用材だが、棟持柱の次に宇治橋の外側の大鳥居となり、その次に七里渡の鳥居となる。伊勢国一の鳥居と呼ばれている。七里渡口跡近くに再現された蟠龍櫓【ばんりゅうやぐら】がある。「東海道五拾三次之内桑名七里渡口」にも描かれてる櫓である。宮から船で約2時間(順風時)かかって七里渡に近づくと、旅人はまず蟠龍櫓を目にすることになるという。当時桑名のシンボル的存在だったようだ。
目的第二番は六華苑だ。写真で知るだけだったがぜひ実物を見たかった。そして絵に描きたかったのだ。六華苑は諸戸清六という実業家が建てた建物だ。大正二年に竣工している。洋館と和館がつながった形で、洋館には四階建ての塔がある。設計したのは英国人の、たしか鳥の名前と同じイーグル、じゃなかったコンドル(念のためネットで確認)である。大きな建物で、隅から隅まで見学するのに結構時間がかかった。当時としては珍しい水洗便所も、きっちりチェックした。便器は陶器製で部屋はタイルばり(いずれも輸入品)、水槽は頭以上の高い位置にあるタイプだ。これって昔大阪に住んでいた当時のタイプではないか。東成区が水洗になったのは、昭和の中頃である。建物も広いが、庭も広い。庭の隅にある防空壕跡を見落とした。
目的第三番は、九華公園、桑名城址である。松阪城址や彦根城と異なり、立体感に欠ける感じだ。予備知識が無ければ、ただの広い公園と思うだろう。
目的第四番は木曽三川公園。昔二人ツーリングで金華山・岐阜城や大垣城へ行ったおり素通りしたところだ。(カラフルな花が咲き乱れているのを、ものほしそうに眺めながら。)13年前の春だった。今回は秋である。コスモスが咲き乱れていた。ちょっと期待外れ。公園の北側に「輪中の農家」が保存されていた。これは結構興味深かった。
二人ツーリングは結構お城に行っているみたいだ。相棒の好みなのだろうか。なんて言いながら、結果的に神社もけっこう参拝した。七里渡跡と六華苑の間に住吉神社、六華苑の庭園の隅に稲荷社、六華苑から九華公園へ向かう途中に春日神社(銅製の鳥居があった。)、九華公園には鎮国稲荷神社がありました。

2015.09.18
ホラーは若い頃から好きなジャンルだ。映画では「たたり」「ローズマリーの赤ちゃん」「ヘルハウス」「シャイニング」「インフェルノ」「オーメン」などが思い出される。(「オーメン」は1がベストで3は駄目。)「ローズマリーの赤ちゃん」「ヘルハウス」は小説も読んだ。創元推理文庫や角川ホラー文庫も結構読んだ。坂東真砂子さんの「死国」「狗神(いぬがみ)」は映画も見た。「リング」「らせん」「ループ」も読んだ。最初「呪いのビデオテープ」なんて、どうせ荒唐無稽なストーリーだろうと思っていたが、読み出したらやめられなかった。(「リング」は自分で買ったが、「ループ」は職場の女性から借りた。「らせん」は?)読み出して止まらなかった小説は「リング」と「風の盆恋歌」だ。リングは日本版とアメリカ版の映画も見た。
先日、GyaOで「呪われたパワースポット」というホラー映画を見た。(映画の最初に以下の説明文が入る。「パワースポット 地球に点在する特別な”場”のこと エネルギースポット、気場ともいう そのエネルギーは 大地、大気中、生物の体内など様々なところに流れている プラスの波動ともいわれている しかし、その波動がマイナスに転じてしまうことがある それが呪いである」)
オムニバスだが、ラストにそれらの呪いが一人の女性の霊(『リング』の貞子まんまの姿と動作)によってもたらされたものだったと分かる。
後半に神社が舞台となるエピソードがあった。拝殿が二階建てになっていること、諏訪大社春宮の太鼓橋をスケールダウンした様な神橋があること、摂末社と思われる祠が岩の上に乗せられていることなど、神社のたたずまいに強く引かれた。エンドロールに「ロケ協力 信州上田」等があり、以上の情報をもとにネットで調べてみたら前山塩野神社であることが分かった。式内社塩野神社の論社の一つだそうだ。信州へ行きたいと思った。

2015.08.17
ドクダミにまじって、名前の分からない植物が成長してきた。場所は、家の裏側に至る西側の狭い通路である。地面を這うように茎が伸びてくる。人間様が隅を歩かなければならなくなり、ひっこ抜こうかとも思ったが、名前を知りたくて花が咲くまで待つことにした。ただし、人間様が通りやすい様に幅を半分ぐらいに短くカットした。しばらくすると、花が咲いた。思い出した。ツユクサだ。念のためネットで確認もした。アップで撮影し写真をよく見ると、細かいところが気になってくる。ネットで調べてみると、雄しべと雌しべの後ろに白い小さな花弁が1枚あり、青色の2枚と合わせ計3枚となる。青と白のツートーンだったのだ。また、6本の雄しべの内花粉を持つのは長い2本だけで、他の4本は花粉を出さない「仮の雄しべ」だそうだ。また、漢方薬にもなるという。沢山の薬効が書かれていたが、その中の一つに「虫刺され、腫れ物には、生の茎葉を良くもんだ絞り汁を塗布」すればよいそうだ。庭仕事をするときは蚊取り線香を携帯しており大いに助かっているのだが、それでも刺されることがある。そんなときは葉をちぎって・・・って実は、花が咲いてから引っこ抜いてしまったのだ。(泣)来年また生えるだろうか?もし生えてくれたら、きっと抜かずに残すからね。

ツユクサは万葉の時代には、月草と呼ばれていたようだ。

つきくさに 衣【ころも】色どり 摺【す】らめども 移変【うつ】ろふ色と 言ふが苦しさ (7−1339)

相手の男性と結婚することを決めたのだけれど、世間の人は「不誠実な男だから止しなさい」というので苦しい、という意味だそうだ。ツユクサの青は染色効果が大きいが、水に漬けると簡単に色が溶け出すという。それで、友禅染の下描きに使ったという。
ツユクサ

2015.07.08
遅まきながら、6月の万葉の会は「佐保の道」だった。会の資料によると、佐保とは「奈良市の北部、奈良県と京都府の境に東西に横たわる標高100m前後の低い丘陵地帯を平城山【ならやま】とよんでいる。丘陵の南を佐保川が東から西に流れるが、平城山の東部、佐保川の上流地域一帯が佐保と称される。」ということになる。「万葉の会」が新大宮駅を降りて最初に向かったのも佐保川だった。佐保川の両岸に万葉歌碑が点在する。最初に見た万葉歌碑は、

佐保川の 清き川原に 鳴く千鳥 蛙【かはづ】とふたつ 忘れかねつも (7−1123) ←今回一番最初の万葉歌碑

遡るように川沿いを歩いて関西線の踏み切りを越えると、また万葉歌碑に出会う。そして歌碑の近くに野神があった。
野神を見たのは初めてである。山神は「やまのかみ」と読むことが多いと思うが、野神は「のがみ」と読むようだ。「ののかみ」も聞くが、さてどちらが多いのだろう。最初私は「やまがみ」と思っていた。名張市黒田の勝手神社ではじめて碑を見て、「山神」と彫られていたのを素直に「やまがみ」と読んだのだった。名張市内で碑を探していて、農作業をしている方に「やまがみさんを探してるんですけど・・・」と聞いたら、「そんな家【うち】はこのへんにはあらへんなぁ。」と言われたのを覚えている。
「万葉の会」に戻る。次に向かったのは大仏鉄道駅跡だった。現在「大佛鐵道記念公園」になっている。(ここに来るまでに佐保川に残っているレンガ造りの橋脚跡も見た。)昔、関西線の加茂駅と奈良駅の間に鉄道が走っていた。次に向かったのは「興福院」。私のように「こうふくいん」と読んではいけない。「こんぶいん」と読むのが正しいのだ。大門、中門をくぐると石段の上に本堂が見える。石段の手前に竹の柵があり、その先は一般公開されていない。が、ここから見る景観にグッときた。私にとって、お寺ではめずらしいことである。絵に描こうかと思っていたら、このとき一緒に歩いていたOさんが、先に絵を完成されました。Oさんもこの景観にグッとこられたのでしょう。

今回お近づきになれた万葉歌をもう一つ
君に恋ひ 甚【いた】も術【すべ】なみ 平山【ならやま】の 小松が下【した】に立ち嘆くかも (4−593)(笠女郎【かさのいらつめ】) ←今回一番最後の万葉歌碑

2015.06.21
アジサイの花が沢山咲いた。下の左手写真だけでもその数ざっと40を数えることができる。昨年周辺の木を数本切ったので、日当たりが良くなったせいかも知れない。実は、昨日60mmのマクロレンズを買った。(昨年3月に買ったノートパソコン以来の高価な買い物になった。)マクロレンズは被写体にグッと近づけるレンズだ。結果的に、花等は200mmで撮影するより大きく写す事ができる。アジサイをアップで撮影しようと花を観察していたら、花の中央部にある小さい和菓子のような粒が一つ開いているのに気づいた。で、グッと近づいて写したのが右手の写真だ。ネットで調べたら、花と思っていた紫色の部分は萼【がく】で中心の小さい粒が花になるみたいだ。ドクダミの場合は白い花弁に見える部分は花弁ではなく、まして萼でもなく、苞【ほう】だそうだ。難しい。下段写真のガクアジサイは実家の庭に咲いていた。ガクアジサイの周辺に咲いている大きめの花(下段写真右手の白っぽいやつ)は装飾花(萼)で、青っぽい小さいのが花だそうだ。ややこしい。
沢山咲いたアジサイ アジサイの花のアップ
八重咲きのガクアジサイ

2015.06.17
ドクダミを始めて認識したのは、30歳位のころ、山の辺の道を歩いている時だった。「可愛らしい小さな花がいっぱい咲いている。」という印象だった。後で調べたら「ドクダミ」という名前だと分かり、私の第一印象とは似ても似付かない名だなぁと思った。十薬という別名もあり、色々な薬効があるようだ。
我が家の庭では、今年ドクダミの花が一杯咲いた。あるサイトには、「ドクダミは日本ではまぎれもない雑草で、わざわざ庭に植えたりする方も少ないことでしょう。」と書かれていた。我が家のドクダミは、私が植えたのではない。中古の家を買ったとき、もう生えていたと思う。先に住んでいた方が植えたのか、一人生えだったのかは分からない。好きな花なので、引っこ抜かずにいた結果が下の写真です。秋には濃い緑の葉が、シブい赤味を帯びた茶色になり、これもまた私の好きな色である。そして、肥料をやる必要のない、踏まれてもちゃんと育つ強い植物でもある。可愛くて強い、「バイオハザード」のミラ・ジョヴォヴィッチのような花である。
ドクダミ ドクダミ

2015.06.13
元の品質保証部のメンバーを中心にした、年に一度のカラオケパーティーがあった。当時忘年会で、食事の後カラオケによく行ったので、その延長で今でも集まっている。品質保証部プラス技術部の人や業務の人も加わる。
今回食事の時間は1時間半ほど、食べる以上によくしゃべりました。カラオケは2時間で、その間私が歌った歌を記録しておく。(次回ダブらないために)
忍冬(因幡晃)
秋冬(高田みずえ)
霧の摩周湖(布施明)
旅の終わりに(冠次郎)
大阪で生まれた女(ボロ)
別れても好きな人(ロス・インディオス)
よこはまたそがれ(五木ひろし)
時の過ぎゆくままに(沢田研二)
悲しい色やねん(上田正樹)
一週間ほど前なのに、思い出せたのはこれだけだった。いや、歌ったのはこれだけだったのかも知れない。
忍冬【すいかずら】と秋冬はマイ新曲(カラオケ初披露の曲)である。YouTubeで練習しました。

2015.06.01
遅まきながら、五月の万葉の会は「竹ノ内の道」、大阪と奈良を結ぶ最古の官道竹ノ内街道である。近鉄南大阪線の上ノ太子駅で下車し、二つ先の古市駅までを、寄り道しながら歩いた。寄り道先の中に、飛鳥戸神社、杜本神社があった。この二社は2001年に参拝している。この時は車だった。竹ノ内峠ではなく水越峠を越えて、建水分神社に行き、その足で二社に行ったのだった。さらに昔、バイクで竹ノ内峠を越えたおぼろげな記憶もあるのだが、それがいつ頃の事かはっきりしない。20歳代だった可能性が大きいのだが・・・。私の中で竹ノ内街道は、山の辺の道に次いでロマ ンを感じる道なのだ。
竹ノ内街道はR166重なる部分が多い。上ノ太子駅からR166を奈良方面に進むと、「近つ飛鳥」がある。王家の谷とも呼ばれていると聞いたのは、竹ノ内街道を一緒に歩いたOさんからだ。帰ってさっそく調べてみた。近つ飛鳥は、ぜひ訪ねたい御近所リストに加わった。

今回お近づきになれた万葉歌
大坂を わが越え来れば 二上【ふたかみ】に 黄葉【もみぢば】流る 時雨【しぐれ】降りつつ (10−2185)
明日香川 黄葉【もみぢば】流る 葛城の 山の木の葉は今し散るらむ (10−2210)
万葉歌碑

二上山の雌岳にあった万葉歌碑(2014.12撮影)
万葉歌碑

上ノ太子駅前にあった万葉歌碑(2015.05撮影)

2015.05.13
新聞に「子供の頃 あの味」という記事が出ていた。コッペパン、フライドポテト、お子様ランチ等の思い出が紹介されていた。好き嫌いの多かった私にとって、給食は苦い思い出だ。コッペパンといえば、学校で食べずに持って帰り、輪切りにしてフライパンで焼いて、マーガリンを塗って食べた記憶がある。この食べ方は好きだった。また、脱脂粉乳ではなく、たまに出た牛乳は嬉しかった。デパートでの外食といえばチキンライスだった。小学生の頃叔母に映画へ連れて行ってもらい、夕食にデパートでチキンライスを二杯食べた思い出がある。もう一つ、忘れられないデパートでの食事がある。カニサンドを食べたのだ。カニサンドを食べたのは、後にも先にもこの小学生の時一度切りである。経緯はこうだ。大阪日本橋の松阪屋で松阪屋が主催の写生会があった。おそらく担任の先生から、行ってこいと言われたのだろう。デパートの屋上の風景を描いた記憶がある。他校の女の子が私の絵を見に来て、「わぁ!ホースまで描いてる!」と言ったのを覚えている。何日かして、その絵が特選になったと連絡があった。そして表彰式に出席した。同じ小学校の他の子も入賞していて、父親同伴で来ていた。表彰式が終わった後、その子のお父さんに昼飯をご馳走になったのだが、それがカニサンドだった。そんな食べ物が世の中に存在することすら知らなかった幼い私だった。

2015.04.25
最近TVで「ストリート・オブ・ファイヤー」を見た。この映画を見たのは何年ぶりだろうか。映画自体面白く、ロックを歌うヒロインのダイアン・レインが格好良くて、一発で彼女の名前と映画のタイトルを覚えた作品だ。主人公マイケル・パレも、姉に手紙で呼び戻されて彼女の店に帰ってきた時のシーンが格好良く、名前を覚えていた。いつだったか偶然新聞のTV欄にマイケル・パレの名を見つけ、彼が主演する別の映画を見たのだが、こちらはまったくの期待外れだった。映画のタイトルも当然覚えていない。そんなことを思い出したので、「ストリート・オブ・ファイヤー」の監督は誰だろうかとwikipediaで調べたら、監督・脚本がウォルター・ヒルだった。良く聞く名前だったので、他にどんな作品があるのだろうと再びwikipediaで調べてみたら、「ウォリアーズ」(監督・脚本)が出てきた。一度見ただけだが強烈な印象が残った映画で、今でも断片的に場面は覚えているものの、その後タイトルを忘れてしまった作品だった。他には「ゲッタウェイ」(脚本)、「エイリアン」シリーズ(製作)、「プロメテウス」(製作)等がある。「ストリート・オブ・ファイヤー」がなぜ面白いのかを納得した。BookOffに「ストリート・オブ・ファイヤー」、「ウォリアーズ」のDVDが出たら、必ず買います。

2015.04.09
3月は、ずっと草引きに追われていた気がする。と、なにげなく書いて「草引き」という語は正しいのかと疑問に思い、ネットで調べたら大阪弁なのだそうだ。訳語として「草取り」「草むしり」などが書かれていたので、正しいとしておく。大阪の小学校で、草引きをさせられたことを思い出した。窓ガラスを拭くのと同じくらい、したくない作業だったっけ。草引きをして綺麗になったと思ったら、また新しい雑草、別の種類の雑草が生えてくる。最近はスギナ(たぶん)が生えてきた。今までの雑草は引けば根っこが付いてきたが、こいつは切れてしまう。根絶やし(スギナは地下茎w)にしようとすると、大きなスコップで掘らなければならない。ハサミを使い地面すれすれでちょん切ることにする。
その一方、「地面ばかり見やんと、わてらも見てほしいわぁ。」と花が咲き出す。まず黄梅が咲き、サンシュユが咲く。サンシュユは今は黄色い花の色が薄くなって葉が開きだした。
庭の隅に、1mほどの一人ばえの木がある。藪の様になっていたこの一角を昨年整理した時、変わった葉の木だったので残しておいたのだ。よく見ると5mmほどの花らしきものがあった。葉と花の形で調べてみたら、ヤブサンザシだった。秋に赤い実が出来る様だが、この木は雌雄異株だそうで、もし実が出来なければ切らせて頂きます。

2015.02.17
昨日の朝、ベッドの中でウグイスの鳴き声を聞いた。起きてから、こんなに寒いのにウグイスが鳴くのかと疑問に思いネットで調べたら、ウグイスの初鳴き前線の図がヒットした。日本地図に引かれた曲線から推定するに、名張は2月20日〜2月28日頃の様だ。これは気象庁のデータで1961〜1990年の平均値とあるから、温暖化で今日鳴いてもおかしくないと納得した。我が家の庭を見ると、水仙の葉は順調に伸びている。ただし、早咲きは11月の末に花が咲き、その内の一本は今でも花が残っている。サンシュユの蕾は、ほんの少し開いて黄色い色が見えていた。昨年の10月、公民館展でサクラソウの苗を販売していた。一株50円だった。たぶん安いんだろうと思い二株買った。そのサクラソウも、紫がかった赤い花を咲かせている。寒くても春は近づいているのだ。
サクラソウといえば高鴨神社を思い出す。沢山の株があった。神職の方は、ゴールデンウィーク頃が見ごろと言われた。私が買ったのは早咲きなのだろうか。温室で育てられたので早く咲いたのだろうか。

2015.02.01
12月二上山に登ったおり、麓の道の駅で土産物を二つ買った。一つは海老のおかき。近所のスーパーで見つけた海老のおかきが美味しくて、続けて買っていたのだが、最近店に置かなくなり寂しい思いをしてた。
もう一つは「はったいこ」だ。「お〜!懐かしい!」と衝動買いしてしまった。大阪に住んでいた子供の頃、「麦茶〜〜!はったいこ!」(「茶〜」と延ばし、「こ」はプツンと切る。)と呼ばりながら、自転車でよく売りに来たのを思い出す。食べ方を忘れたのでネットで調べ、はったい粉3に対して砂糖1を入れるレシピを採用する。ためしに、コーヒースプーンに「はったい粉」三杯分と、砂糖一杯分を入れて混ぜ、数十年ぶりに食べてみる。こんな味だったんだ。同じ粉でも、きな粉より食べにくい。ネットには、水又は牛乳で溶くと書いてあった。牛乳が無かったので、ブライトをスプーン一杯分追加し、ペースト状になるまで湯をそそいではかき混ぜるを繰り返し完成。こちらの方が食べやすい。私が見たHPでは「まずい」と書いてあった。(「人によっては美味しいと言う人もいる」との但し書き有り)私は悪くはないと思った。近くのスーパーに行ったおり棚を見てみたが、きな粉はあるのにはったい粉が置いてなかったところを見ると、味の一般的レベルが想像出来る。実はこの土産物、内容量が500gある。思い出した頃に食べているだけでは、なかなか減らない。(1回に食する量は、小さじ三杯だ。)そして、例のHPの記述を思い出した。へたな整腸剤より効き目があると書いてあったのだ。試しに、薬と思って毎日はったい粉小さじ三杯+砂糖小さじ一杯を食べてみた。そしたら、一週間も経たない内に効果が現れたのだ。私の場合、お通じは毎日あるのだが堅めだった。腸の中に長い間留まっている観じがしていた。当然腸にある間は栄養が吸収されるわけで、同じ量を食べてもより太りやすくなる理屈だ。はったい粉、美味ではないが、食べる価値は大いにある。

2015.01.02
あけましておめでとうございます。
本年も神社参拝記【かみのやしろさんぱいき】をよろしくお願い申し上げます。


1日、朝目が覚めたら5時を少し回っていた。歩こうと思った。パソコンで雨雲の動きを調べる。これなら歩けると思ったが、一応折り畳み傘を持っていくことに決めた。ジャージを着て、ストップウォッチ替わりの腕時計をして、キーとティッシュ一枚をポケットに入れ準備完了である。外はまだ暗く、道が濡れていた。空を見ると一部星が見える。風が強い。街路樹周辺に白いものが見える。雪がぱらついたようだ。5分以上歩いただろうか。ウォーキングで良く出合う女性が歩いてきた。「おめでとうございます。」ではなく、いつものように「おはようございます。」と挨拶する。彼女とは、この言葉以外交わしたことがない。彼女とこの辺りで出会ったら、もう一度出合う事になる。まだ夜が明けぬこの時間帯、出合ったのは、もう一人ランニングの男性だけだった。「おはようございます。」は彼の方が早かった。いつものようにはっきりと発音される。彼とは月に1度か2度出合う。私より年長だと思う。帰ってから、いつもと変わらぬ朝食を取り、そして風呂に入った。
2日、昨日と同じような時間に目が覚めた。パソコンで雨雲の動きを調べる。傘を持って行かなくても大丈夫な様だ。外へ出ると数センチ雪が積もっていた。雪を踏む音が大きく響く。今日は顔見知りの方とは出合わなかった。昨年の正月は、風邪をひいて最悪のコンディションだったことを思い出す。寒くとも、歩ける事に感謝。昨日は甘いものや辛いものをよく食べた。その様な正月だから、なまけることなく歩こうと思う。数回スリップしたが、転倒することなく家に着く。通常より3〜4分余分に時間がかかった。

2014.12.29
12月の万葉の会は「蒲生野の道」でした。今回のコースには、複数の神社が含まれておりました。何度か参拝した苗村神社や阿賀神社(野口町)以外に、市神神社、山辺神社など、初めて訪問する神社も巡る事が出来ました。山辺神社は、なんと御祭神が万葉歌人の山部赤人だったんです。無知な私めは初めて知りました。「万葉集」「蒲生野」とくれば、額田王の「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」が浮かびます。(私が暗記した最初の歌でもあります。)市神神社は、主祭神ではありませんが額田王もお祀りされております。額田王の木像も拝殿に安置されています。美しく彩色された木像を拝見していて、額田王の絵を描いてみたいと思いました。木像はふっくらとした古代の美人顔です。今回一番最初に訪問した妹背の里にも、大海人皇子と並んだ額田王の銅像がありました。こちらは、現代風の美人顔です。絵に描くとしたら、どの様なお顔にしたら良いだろうと、もう描く気になってきました。

今回お近づきになった万葉歌
君待つと わが恋ひをれば わが屋戸【やど】の すだれ動かし 秋の風吹く (4−488)(額田王)
風をだに 恋ふるは羨【とも】し 風をだに 来【こ】むとし待たば 何か嘆【なげ】かむ (4−489)(鏡王女)

2014.12.16
私は、大阪市内の小学校、中学校に通っていた。その二つの学校の校歌に、共通して登場するのは生駒山である。ロープウエイを使い、また歩いて、車でと手段は色々だが、とにかく最も数多く登った山は恐らく生駒山だろう。生駒山の南には信貴山がある。11月、OBのハイキングの会に参加して、信貴山に登った。生駒山と信貴山は信貴生駒スカイラインでも結ばれている。さらに信貴山の南には二上山がある。信貴山に登ったから次は二上山と言うわけではなかったが、12月、友人のFさんと二上山に登った。黄葉はもう遅いかなぁと思ったが、山全体も、登山道も黄金色だった。当麻山口神社は御免して、傘堂だけちょこっと寄り道して登っていく。「大人の遠足BOOK 奈良大和路を歩く」掲載の地図をたよりに登ったのだが、岩屋峠へ出るつもりが祐泉寺から道を間違えたらしく、雌岳と雄岳の鞍部へ出てしまった。岩屋峠から鞍部までの道は見晴らしがよいと「奈良大和路を歩く」に書かれていたのに残念だった。まず雌岳に登り、次に雄岳に登る。頂上には葛木二上神社、大津皇子の陵がある。雄岳から加守神社へ下りるつもりが、またしても道を違えてしまった。一人でも山歩きするFさんが一緒だったこと、「国土調査」の杭や幹にテープが巻かれていた等の標があったことで不安は少なかったが、一人だったら引き返していたかも知れない。引き返すとなると、せっかく下った道をしんどい思いをしてまた登らなければならないが、そんなこと言ってられないほど、私にとってはすごい下り道だった。急な所はロープが張ってあり、落ち葉で滑り落ちる事なく下ることが出来たのだが、それでもバランスが取りにくく、1mほどの木切れを拾って杖にしなければならなかった。(あるんだから、スティックを持って行こうよ!)そんな登山道だが、登ってくる人達もおられる事に驚いた。
結局、登る時横を歩いた大池の、東の堤へ出てきた。そして、猪等の進入を防ぐ柵を二つ越えなければならなかった。
(下の写真は大池)

大池


2014.11.20
先日、生田神社と神戸北野異人館街へ行ってきた。11年前(2003年)に歩いたのとほぼ同じコースを歩いた。
生田神社に1時間半ほどいて、さらに回教寺院等を回っていたら、お腹がすいてきた。「風見鶏の館」前に広場があることは分かっていたので、そこで昼食を取ろうと行ったら、ベンチに座って絵を描いている女性がいる。近づいてのぞくと、鉛筆で「風見鶏の館」の下描きをされているところだった。(薄く描かれていたので、下描きだとおもった。)彼女と同じベンチに一人分離れて座りコンビニで買ったパンをぱくついていると、やがて彼女が色を塗り始めた。レンガの壁の色がいい感じだ。しばらくして彼女が筆を置いておやつを口にされたので、「いい色ですね。」と話しかけた事から、会話が始まりました。私も水彩画を2年前から描いてますと言ったら、「今描かれたらどうですか?」と言われる。「いえ、いえ。」と断ったのだが、「どうぞ、どうぞ。」と描かれていたスケッチブックの画用紙1枚を破って、B4の鉛筆まで出して下さった。さらに別の少し大きなスケッチブックを取り出し、「これを下にしいて描かれたらいいです。」といたせりつくせり。その積極さに負けて、私は描く気になってしまったのだ。屋外でスケッチするのはこれが3度目になるが、周りにこれほど沢山の人がいる処では初めてだ。
「風見鶏の館」の前には数本大きな木が植わっていて、座っているベンチからは建物の一部が見えない。彼女は木を省略して描かれていた。写真を見て絵を描く場合はそのまま木を描くしかないが、現場でスケッチする場合、隠れた部分を回り込んで確認し、木を省略することもできる。私も木を省略してスケッチすることにした。30分ほどで完成、良い記念、良い思い出になった。
今までスケッチを敬遠していたが、やってみようかなぁという気が出始めた。

2014.11.01
秋の二人ツーリングは彦根と、早くに決まった。が、相方が手を怪我して、また私のスケジュールもあり、約1ヶ月遅れた。世間はすっかり秋めいて、朝など肌寒い。毛糸のセーターを1枚余分に着込むこととなった。一番の目的彦根城は三十年以上前に1度行った切りである。お城散策の後は、城下町を歩く計画だ。9時に阿山道の駅で待ち合わせた。相方が言うのには、家を出る時、気温は4℃だったそうだ。道の駅あいとうマーガレットステーションでトイレ休憩・雑談し、彦根に着いたのは11時半頃だった。
玄宮園【げんきゅうえん】近くのパーキングにバイクを停める。駐車料金100円は安い。(車は400円)黒門橋を渡って急な坂を登り天守閣へ。彦根城天守閣は、松本城、犬山城、姫路城のそれと合わせて国宝である。城内全てを歩く時間はなかったので、天守閣内を見た後は、天秤櫓、大手門橋、京橋を経てキャッスルロードへ出た。信号を渡ったらすぐに、たこ焼きのお店を見つけた。昼食はたこ焼きと決まった。
焼き上がるまで、お城でもらった地図をみているいると、お城の南側に「伊賀町」という地名を見つけた。「伊賀町があるでぇ。昔、伊賀忍者が住んでたんとちゃうか?行ってみよか?」お店の人に聞くと、歩いて10分か15分ぐらいの距離だという。行くことにした。
たこ焼きが焼き上がった。しょうゆ、ソース、マヨネーズ、かつお、青海苔が選べるというので、しょうゆとかつおにしてもらう。お〜!木の舟に乗っているではないか。懐かしくてなんだか嬉しい。早速食べてみる。美味い!10個入り550円は大満足だ。あ、またしても写真を撮るのを忘れるところだった。また彦根に来る機会があったら、必ずまたこの店でたこ焼きを食べると決めた。
大満足の昼食が終わり、伊賀町をめざして出発した。地図ではこの辺りのはずと、すれちがう人に聞いてみたが、明確な回答が得られない。3人目の人に聞いてやっと分かった。現在伊賀町という地名は無く、錦町に変わっていたのだ。帰ってネットで調べたら、昭和44年に旗手町、鷹匠町、勘定人町などと同じように錦町に統合されたようだ。またあるブログには、伊賀町には伊賀忍者が住んでいたと書かれていた。またあるHPには、彦根藩伊賀歩行衆【いがかちしゅう】について書かれており、探索、警備の仕事をしていたとある。陽夫多神社の北に千貝【せがい】というところがあるが、リーダーは千貝出身で、家康伊賀越のおり警護を頼まれ、そのまま召しかかえられたとのこと。
名阪を下りる頃はすっかり日が暮れていたが、セーターのおかげで朝晩肩に力が入る事なく帰宅できた。

たこ焼き


2014.10.13
馬見丘陵公園に行ってきた。最大の目的はナガレ山古墳だ。古墳の半分に葺き石が施され、円筒埴輪が並べられている写真を見て、ぜひ実物を見たいと思った。実はこの公園、私は【うまみおかりょうこうえん】と思っていた。滋賀県の日野町に馬見岡綿向神社【うまみおかわたむき】があり、自然とそう読んでいた。公園でもらった古墳のチラシを見ていたら、馬見丘陵【うまみおかりょう】と名の付く古墳が見当たらない。(馬見二ノ谷遺跡というのは書かれていたが・・・)なにげなく表紙を見たら【うまみきゅうりょうこうえん】と書かれているではないか。誰かに公園の名称を間違って話したかも知れない。 馬見丘陵公園【うまみきゅうりょうこうえん】は広大な公園である。チラシを見ると、公園内に10の古墳があるのだ。(公園に接してもう二つ、巣山古墳、文代山古墳【ぶんじろやま】がある。)地図で調べたら北から南までの長さが2kmを越える。車で公園へ行くには名阪法隆寺ICからのアクセスが解りやすいが、私は高速代をけちって天理東で下りて走り慣れた道を行くことにした。バイクだったのでナビは無い。一度国道24号線に出て鍵から真西へ向かう道を使った。これだと馬見丘陵公園にぶち当たる。予想通りぶち当たったが、駐車場がどこにあるか解らないほど大きな公園だった。後で頂いたチラシによると、駐車場は散らばって4ヶ所あった。私が偶然見つけた駐車場は北エリアにあり、240台停められるもっとも大きなものだった。ここはお花がいっぱい咲いている。私が行った時は、ダリア、コスモス、コルチカム、バラ、その他鮮やかな色とりどりの花が咲いていた。結果的に写真は、古墳より花のカット数が多くなった。さて、最大の目的であるナガレ山古墳である。最初に書いたように、復元されているので建造当時の姿をイメージしやすい。古墳に登ることが出来るので、祭祀に思いを馳せることができる。十年以上前に行った都祁の三陵墓古墳(円墳)を思い出したが、ナガレ山は前方後円墳である。登って前方部・後円部と散策しパースペクティブを楽しんだ。 公園を3時間以上歩き回っても、全てを見られなかった。もう少し歩けそうだったが、ちょうどお腹が一杯になった様な気分だったので、切り上げて帰ることにした。おそらく、日を改めてまた訪問するでしょうね。
馬見丘陵公園北エリア ナガレ山古墳

2014.10.07
3日の休みをはさんだ今日の朝、歩いた。300から0まで3を引き続ける暗算(ボケ予防orボケ改善)を終えてから気が付いたが、足腰が軽い。3日も休 んだせいだろう。昨日は台風なので休んだ理由は分かるが、後の2日間はなんで休んだんだろう。思い出せない。ズル休みだろうか。足腰が軽いのは、1週間ほど前の三輪山登拝で清められて、悪いモノが落ちたからかも知れない。そんなことを考えていると、登り道を歩いていた。呼吸が苦しい。二度息を吸い二度吐くという呼吸方法は実行している。足腰が軽く感じられたので、今までにないスピードで歩 いていたのだろうか。ひょっとして新記録がでるかもしれない。実は三日坊主防止のため、腕時計(Gショック)で毎回時間を計っているのだ。20年以上 前歩いていた頃は、時間は確認程度だったけれど、今は秒単位までExcelに記録している。自己最高の39分27秒を短縮できるかもしれないという期待が高まった。あと10分位でゴールという頃、尿意をもよおした。家を出る前にトイレに行ったのだが、寒さのせいか。目が覚めた時、室温は19℃だっ た。肌寒く、Tシャツの上にジャージを着て出てきたのだ。膀胱の収縮か、それとも起きて間無しに飲んだコーヒーのせいか。ますます足が速くなる。自宅 の玄関に着くと同時にストップウォッチを押した。時間は?
39分39秒28だった。新記録ならず。(泣)

2014.08.28
遅まきながら、7月の万葉の会のご報告です。今回はバスを使って北近江を巡りましたが、入会1年目にして、ついに本格的な雨に降られましたヨ。
お久しぶりにお気に入りの白髭神社に行きました。この時は傘をさすまでもなかったのですが、湖上に浮かぶ鳥居の向こうは何も見えませんでした。天気が良ければ鳥居越しに沖島等が見えるんですけどね。次に向かったのが昼食を頂く菅浦の宿「つづらお」さん。Fさんと私は早々に食べ物をお腹の中に移し、席を立ちました。屋上に上がり、高い位置から望む風景を楽しみました。この時も傘はいらなかったです。目の前に竹生島が見えます。視線を左側に移すと、菅浦の町の突き当り当たり辺りが見えました。道はここで行き止まりです。つづらおさんを後にして、バスで須賀神社の参道入り口まで移動しました。短い距離なので、バスに乗らずに歩いて行かれる方も数名おられました。ここら辺りから雨が降り出しました。メンバーは、須賀神社参道を進むグループと、菅浦の町の中へ進むグループに分かれました。私は須賀神社は2度参拝しておりますが、町を散策したことがなかったので、後者を選択しました。傘はささず、レンズに水滴が付いていないか確認しながらの撮影でした。予定時間は20分しかないので、湖沿いの道を、突き当りの四脚門まで行って折り返しました。絵になりそうなカットを数枚ゲット。山側を見ると、お寺らしき建物が見えておりましたが、行く時間はありませんでした。個人でもう一度ゆっくりと散策したい菅浦の町でした。次の予定は楽しみにしていた賤ヶ岳だったのですが、雨がだんだん強くなって足下の心配もあり、協議の結果木之本の町の散策に切り替わりました。木之本は何度も通過しておりますが、町を巡ったことはありませんでした。実際に歩いてみますと楽しかったです。本陣薬局さん、酒屋さん、くつわの森などが印象に残っています。「菅浦の町、上れなかった賤ヶ岳、木之本の町を個人的にもう一度ゆっくりと散策したいですね。」と、Fさんと二人で話しました。
雨に降られ、写真撮影が大変だった万葉の会でしたが、それはそれで風情のある写真を撮ることができました。個人だったら、観光のために遠出はしない天気予報だったのですが、雨も捨てたモノじゃないと思いました。

今回お近づきになれた万葉歌
高島の 阿渡【あど】の水門【みなと】を 漕ぎ過ぎて 塩津【しほつ】菅浦【すがうら】 今か漕ぐらむ (9−1734)(小辨)

下の写真は本陣薬局さんの古い薬の看板。浅田飴や中将湯など、聞き覚えの商品名もある。

古い看板


2014.07.07
遅まきながら、6月の万葉の会は「飛鳥の道」だった。昨年6月に入会した私は、会で明日香を訪れるのは今回が初めてが、個人的には何度か訪問してる。最初に明日香を訪問したきっかけは、ひょっとしたら松本清張の「火の路」だったかも知れない。もしそうなら、ドラマが放送された1976年(wikipedia)頃のことだろう。NHKのドラマ「火の路」を見ていたく感動した私は、さっそく単行本を買って読んだのだった。そして、弟と二人で石舞台、飛鳥寺、酒船石、亀石、橘寺等を見て回った。当時、石舞台には垣などなく、普通に入れた。同じく20代の頃、労働組合の青年婦人部主催で、レンタサイクルで回ったこともあった。西国三十三ヶ所巡りで御朱印をもらうために、バイクで岡寺(龍蓋寺)へ行ったのは1978年である。於美阿志神社、飛鳥坐神社、甘樫坐神社、飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社、加夜奈留美命神社を回ったのは、2001年頃だった。鬼の俎、鬼の雪隠、天武持統陵、欽明天皇陵近くにある猿石等をバイクで回ったのはいつだったか。甘樫丘に登ったのは別の日だったはずだ。

さて6月の万葉の会、名張は朝から本格的な雨だった。入会一年目にして初の、雨の散策となるはずだった。ところが、橿原神宮前駅に着いた時には雨は上がっていたのだ。その後二・三度水滴が落ちてくる事があったが、傘をさすまでもなかったし、たまに晴れ間がのぞき強い日差しが射す天気だった。橿原神宮前駅から甘樫坐神社までは初めて歩くコースだった。過去にこの前の道を通っているはずの雷丘も、初めて認識した。旧飛鳥小学校の建物を利用した埋蔵文化財展示室も初めての訪問である。すぐ南には落水遺跡がある。この後、飛鳥坐神社、飛鳥寺、蘇我入鹿の首塚などを巡った。名張に戻ったら雨が降っていた。この日一日雨だったという。

毎回頂く資料には沢山の万葉歌が書かれている。今回の「飛鳥の道」の資料にはお気に入りの歌が沢山あり、選ぶのに迷うが、ベスト1はこれしかないので一首だけ掲載します。

今回お近づきになれた万葉歌
采女【うねめ】の 袖吹きかへす 明日香風【あすかかぜ】 京【みやこ】を遠み いたづらに吹く (1−51)(志貴皇子)

右の写真は、弟と行った時に買った猿石の土鈴。頭の後ろに紫色の紐がついているが、ほとんど脱色している。
猿石の土鈴

2014.06.22
朝目が覚めたらまだ雨が降っていた。トイレに行くためベッドから出ようとしたら、体が軋む様な感じだった。結構疲れているのかも知れないと思った。昨日までで、7日間連続して毎朝歩いていたのだ。日本列島ウォーキングシミュレーションは、現在秋田県男鹿半島の南まで来ている。累計歩行距離は1400kmを超えた。しかし、昨年1年間で184日歩いているのに対して、今年はかなり少ない。2回風邪をひいたことが原因の一つと思うが、遅れている分を頑張って取り返そうという気持ちが働いていたから、無理をして歩いているのかもしれない。。今朝の雨は「少し休みなさい。」という天の思し召しだと思うことにした。いつもと同じ頃に目が覚めたので、今日の朝はなんだかのんびりした気分だった。

2014.06.08
庭木の剪定をした。作業前に確認したのが蜂だった。一週間前、蜂で痛い目にあったので、ちょっと気を入れてチェックした。巣を取られたあの蜂は執念深かったから、また襲ってこないだろうか、今度は仲間を連れて団体で攻撃されたりして、ひょっとしてスズメバチに応援を頼み込んで・・・、等とパニック映画みたいなことが頭をかすめた。 以前、「ウージーの部屋」で蜂体験のことを書いた気がしたが、検索しても出てこなかった。実は、私が蜂に刺されたのは今回で4回目なのだ。初体験は、かなり小さい頃だった。母方の祖父母の家に遊びに来ていて、裏庭で飛んでいる虫を網で捕まえた。網を折って逃がさないようにし指でつまんだら刺された。(蜂を知らなかったのだろうか。)腫れた指を祖母に見せたら、水苔を刺された処に乗せてくれたような記憶があるのだが。二回目は中学校の二年生か三年生の時だった。教室で胸にチクッと痛みを感じた。蜂だと思い、シャツの上から痛い処をたたいたら今度はお腹に痛みが走った。私の廻りをクラスメートが取り囲んだ。「蜂に刺された!」「嘘つくな!」さらにたたき続けてズボンからシャツを引っ張り出したら、飛ぶことも出来ない蜂が床に落ちた。昼休みに家に帰った時、汗で濡れたシャツを脱いで干している時に蜂が付いたのだろう。3回目は二十を過ぎた頃だと思う。バイクで名張街道を走っていて、蔵持小学校が見える辺りまで来た時、蜂が胸元へ飛び込んできて胸を刺された。後は中学生の時と同じ経過をたどった。胸から腹にかけて複数回刺された。 それから数十年後4回目に刺されたのが先週である。刺され慣れしているとは思わないが、学習能力が無いと言われれば、その通りだと思う。スズメバチ以外の蜂でも、なめてはいけません。

2014.06.07
朝日新聞に人工知能の記事が出ていた。ディープ・ラーニング(DL)と呼ばれる人工知能のプログラムが、2012年に驚くべき結果を出していた。DLは、「最も特徴的なものを選べ」という(人間からの)命令を受けて、一千万件のユーチューブの動画から三日間をかけて「猫」を選んだ。DLは、選んだ結果を文字で出力したわけではなく、正面から見た猫の顔を絵に描いて出力したのだ。その絵は人間が見ても猫に見える。最も特徴的なものとしてDLがなぜ猫を選んだかは解らないが、DLが猫を認識したことは間違いないという。プロ棋士との対戦で、コンピュータが好成績を残していることは知っていたが、正直そこまで進化しているとは知らなかった。人工知能で思い出すのは「2001年宇宙の旅」に出てくるHAL9000だ。ハルが、宇宙船ディスカバリー号の船員を識別していたのは当然として、さらに読唇術までもやってみせた。 ホーキング博士を含む4名の科学者が、進んだ人工知能の研究についてメッセージを出しているとの記事もあった。「人類の歴史上、最高もしくは最悪かも知れない事態に我々は直面しているが、真剣な研究はなされていない。今何が出来るか自問する必要がある。」記事は、人工知能の自律型兵器への応用を例に挙げていた。この部分を読んでいて、思い出した映画が「ターミネーター」であり「マトリックス」だった。

2014.05.31
涼しい内にと、7時頃から庭木の剪定を始めた。金木犀と山茶花に切りをつけ、3mある剪定用のハシゴをモッコクの木へ移した。ノコギリを持ってハシゴを上りかけたら、早くに剪定の終わっていたピラカンサの枝に、蜂の巣を見つけた。10cm位の小さな巣で、足長蜂らしき蜂が一匹巣に留まっていた。巣のある枝の根元をノコギリで切り始めたら、当然震動が伝わり、蜂は巣の廻りを飛びまわる。蜂が近づきそうになると、ノコギリで追っ払った。あわよくば首をはねてやろうと思うが、宮本武蔵じゃあるまいし、私に斬られるような蜂はいないだろう。巣付きの切れた枝を2mほど遠くにほうり投げた。蜂は地面に落ちた巣に未練は無いのか、同じ様な位置で飛び回っている。目に入る蜂は一匹しかいなかった。2m先の巣にも蜂はいなかった。さて、モッコクの剪定をしようとハシゴを四段ほど上ったところで、右手の親指にピラカンサの棘が刺さったような痛みを感じた。しかし痛みがかなり強く、蜂に刺されたと思い、見えない蜂を追い払う様に、刺された方の手を振り回しながらハシゴを下り、地面の蜂の巣を四、五回思い切り踏みつけた。ピラカンサの方を見ると、蜂が巣の有った辺りの枝に留まっている。新たに巣を造るつもりだろうか。殺虫剤を買ってこようと思った。本日の剪定は中止とする。手袋を取ったら親指が腫れているのが解った。指を曲げようとすると突っ張る。親指の第一関節と第二関節の間に、赤い点がありそこを押さえると特に痛かった。刺した蜂は、巣のあった辺りを飛び回りながら、スキを窺っていたのだろう。人相でだか、臭いでだか知らないが、私が巣を取った犯人と認識していて仕返しをしたのだ。

2014.05.17
五月の万葉の会は「平城の道」。ハイキングをするようになってお馴染みになった近鉄奈良駅前、噴水の行基さんを見ながらのスタートだ。まずは奈良町資料館へ。資料館へ至る道中にも、見るべきモノが沢山ある。ハイキングの醍醐味である。資料館では、江戸時代のものという絵看板のコレクションが興味深かった。(撮影禁止なので紹介出来ません。)元興寺の塔跡を確認して、区を回り込む様に元興寺へと向かう。元興寺の前は数回通っているが、中に入るのは初めてだった。
昼食後、頭塔【ずとう】へと向かう。その途中、以前個人で参拝した瑜伽神社【ゆうがじんじゃ】の前を通る。当社には万葉歌碑があるが、あいにく鳥居の工事中だった。幸か不幸か、地面から引っこ抜かれた鳥居を見ることが出来た。さて頭塔である。早くにTVで動画を見て、是非実物を見たいと思っていた。今回の万葉の会のコースの中で、期待度1の物件である。万葉の会のメンバーOさんの説明によると、堺市にも同じ様なものがあり、それは土塔【どとう】と呼ばれているとのこと。頭塔【すとう】は土塔【どとう】のなまったものとの説もある。頭塔は奈良時代の僧玄ムの首塚との言い伝えもあり、その伝説から「土」が「頭」になったとか。会社の昼休み、同僚のNさんと奈良時代の歴史の話をする時、NHKのドラマ「大仏開眼」が喩えによく出る。たとえば藤原仲麻呂だと「高橋克典が演じていた」と言えば「解った、解った」となる。で、ドラマの登場人物玄ムは、当時の市川亀次郎(現猿之助)が演じていた。
今回のコース期待度2は、新薬師寺の伐祈羅【バサラ】大将像である。美術本で何度も見た像だが、実物を見たのは今回初めてだった。本尊薬師如来の廻りを取り囲む十二神将の一体である。十二体ゆっくりと見て回ったが、やっぱり伐祈羅が好みですね。絵に描いてみたいと思いました。 新薬師寺で解散となりましたので、Fさんと二人、涼しそうな春日大社の禰宜道を通って帰ることにしました。境内を歩いていたら素通りはないだろうということで、若宮と本殿に参拝致しました。そして、前に参拝した折り、摂社水谷神社の床下にある磐座を撮り損なったことを思い出し、さらに西へと足を伸ばした次第です。

今回お近づきになれた万葉集歌
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど道の知らなく (2−158)(高市皇子)

十市皇女の死を悼んで詠んだ歌である。(新薬師寺の門前に、十市皇女を祀る神社がある。)黄色い山吹と山清水で「黄泉」【よみ】を表しているそうだ。
下の画像は頭塔

頭塔


2014.04..27
4月の万葉の会は初瀬街道を歩いた。ちょうど桜が満開で史跡に彩りを添えてくれた。そして翌日がOBのハイキングだった。こちらは奈良市を歩いた。それぞれ歩いた場所は異なるるが一つの共通点があった。それは「聖武天皇」である。OBハイキングで最初に行ったのが聖武天皇陵だった。隣には光明皇后陵がある。では、初瀬街道と聖武天皇はどういう関係があるか。天平740年、聖武天皇は奈良の都から山辺郡の堀越頓宮を経て名張郡に至ったと「続日本紀」にある。都祁の山中を通って名張に至る近道を通っているのだ。さらに安保(青山町阿保)の頓宮で一泊し伊勢国一志郡川口の頓宮に至り、ここで10日間滞在している。すなわち名張から初瀬街道を使った可能性がきわめて大きいということになる。

今回お近づきになれた万葉集歌
妹【いも】に恋ひ 吾【あ】の松原ゆ 見渡せば 塩干【しほひ】の潟に たづ鳴き渡る(6−1030)(聖武天皇)

万葉の会とOBハイキングの日がずれたので両方参加できたが、二日続けてはさすがに疲れた。
初瀬街道

初瀬街道
聖武天皇陵

聖武天皇陵

2014.04.26
消費税が上がる前にノートパソコンを買った。Windows8.1が搭載されたやつだ。ある家電量販店の店員が「Windows7は、XPの操作性に近いので違和感なく使えますよ。」と勧める。しかし、マイクロソフトのサポートが終了するという理由で、まだまだ使えるXPパソコンを買い換えなければならない状況に至った事を思うと、少しでも長く使えるWindows8.1の方が良いように思えた。 今までXPで使っていたVer.のアプリケーションソフトがWindows8.1でも使えるか懸念していたが、高価なソフトから順番にインストールして、よく使う機能をいくつか試してみた結果、これならいけるという感触を得た。全てのアプリケーションをインストールしたわけではないが、新しいノートパソコンで動作確認したアプリケーションの合計金額が、そのパソコンの価格を上回った事は有難い。

2014.04.20
「2014年2月4日」に書いたyahooジオシティーズのサービス「アクセス解析」が終了するみたいだ。アクセス解析を覗きに行ったら「重要 ツール提供終了のお知らせ」と頁のトップに書かれていた。無くなれば、私の大きな楽しみが一つ減ることになる。作った頁のアクセス数が増えたら嬉しいし、また次に頁を作る励みにもなっていた。いまちょっと調べてみたら頁毎のアクセス数は、時間(48時間分)、日(48日分)、月(24ヶ月分)のアクセス数が確認出来るようになっていた。ほかに、お客様である訪問者の「利用環境」として、ブラウザ、OS、画面解像度、色数(ビット)、JavaScript(Ver.)、Java(有効、無効)の%比率の情報も提供されていた。「ジオシティーズは、昔こんなに良いサービスがあったのだよ。」と、後々言えるようにここに記録しておく。

2014.03.15
宇津井健さんが亡くなった。私の中の宇津井さんは、映画「スーパージャイアンツ」とドラマ「ザ・ガードマン」だ。スーパージャイアンツの恐い場面だけを覚えている。私の記憶なので当然曖昧だが、宇宙人に子供が追いかけられる場面だ。暗い実験室だったか、図書館だったか、ゆっくりと迫ってくる宇宙人の動きに合わせて、子供が宇宙人の視界を避けるように、これまたゆっくりと逃げるのだ。このゆっくりさが恐さを増す。この宇宙人、外見は黒ずくめで人間のようだが、やられると牛乳みたいになる。黒ずくめが倒れた後、溶けて白い倒れたままの人型が残るのだ。映画「ジュラシックパーク」で、子供達が調理室でラプトル(2mほどの肉食恐竜)に追いかけられる場面があるが、初めて見た時、スピルバーグはスーパージャイアンツからアイデアをもらったのではないかと思った。(そんなはずはないか。) ザ・ガードマンは、少しHなアクションドラマである。複数の友人も見ていて、翌日よく話題に上がった。今でも鮮明に覚えているHな場面(Hな場面は鮮明な記憶?)があるが、これは書かない。 宇津井健さんは、「スーパージャイアンツ」と「ザ・ガードマン」と共に、私の中では永遠に不滅であります。

2014.03.08
WindowsXP のサポートが終了する。私のパソコンはXPである。マイクロソフトのサポートが終了しても、セキュリティーソフトを入れていれば大丈夫だろうと思っていた。先日会社のシステム担当者が、WindowsXP機はWindows7に入れ替えると話していた。個人のパソコンなら、セキュリティーソフトを入れていれば大丈夫でしょって聞いたら、セキュリティーホールの問題があるとのこと。他人がパソコンに進入してきて、そのパソコンで犯罪行為を行ったという事件を思い出した。犯人が犯行声明を出したので、無実の罪で逮捕された複数の人が釈放されたという事件だ。なんだか恐くなってきた。 帰宅しネットで調べていたら、サーポート終了後は危険度が10倍にアップと書いているサイトもあった。 OSがヴァージョンアップすると、ハードが追いつかず重たくなるという話がある。というか、今どき、ハードとOSは一体という認識なのだろうか。ハードとOS をセットで買うとして、現在使っているアプリケーションがOSに対応するのかと心配になってくる。それまで全て買い換えるとなったら、莫大な費用がかかる。とりあえず、古い方のノートパソコン(WindowsXP)を新しいのに買い換えて、そこに現在使っているアプリケーションをインストールし動くのならOK、そうでないなら、今のデスクトップ(WindowsXP)はネット接続せず、アプリケーション専用機ということにするのが一番安上がりか。

2014.02.08
私のウェブページは、2005年5月23日に開設した。開設はその通りなのだが、作り始めたのはそれより半年以上前からである。HTMLというウェブページを作るためのプログラム言語の入門書と、「無料でホームページを作る」とかいう本を2冊買ってきて勉強しつつ、こんなもので良いのだろうかと自問自答しながら、50ページ近く作った。50ページ作ったあたりでやっとアップする決心がつき、開設したのだった。当時使っていたパソコンのOSはWindows98だった。このOSにフロントページというウェブページを作るソフトがついていることを知り、途中からそれを利用しだした。ところが自動で作成されるHTMLファイルが、入門書と矛盾するところがあり、それを手動て訂正しながらつかっていた。その作業がじゃまくさくなり、2006年にホームページビルダー(Ver.9)を購入することにした。しかしこれが結構重いソフトで、Windows98ではシステムリソースが足りないとかで、ホームページビルダーの機能が一部使えなかったりした。で、XPの入ったデスクトップを新しく購入するはめになった。ホームページビルダーは約1万円ほどしたが、7年以上使ってきた。私のパソコンでは、インターネットエクスプローラーに次いで起動している時間の長いソフトである。そのホームページビルダーが、ここへきて強制終了するようになった。使っていると、急に画面から消えてなくなるという理不尽なことが頻発するようになった。HTMLファイルが500以上になってきているが、それが原因なのだろうか。今ホームページビルダーはVer.18になっている。これを購入すれば改善されるのだろうか。改善されるのなら、1万円は安いと思うが、もし同じ事が起こったら・・・。機能的には現在のVer.9でまったく問題は無いのですが、ただただ強制終了が恐い。

2014.02.04
私のHPで前から気になっていることがあった。「鳥居の分類」の閲覧数が異常に増えてきているのだ。当然各鳥居のページの閲覧数もそれに伴って増えている。(感謝でございます。)右の画像は、geocitiesが提供しているサービスの一つで、ページ毎の閲覧数を月単位で棒グラフ化したものだ。最下段が2012年2月、最上段が2014年1月である。(棒の右端に実数が表示されているが、それは恥ずかしいのでカットしました。)グラフの型が違うので適切な表現では無いが、いわゆる右肩上がりに増えていると言えると思う。過去には、突発的に1〜2ヶ月だけドカッと増えることが何度かあった。「リンク元」から調べると、そのような増え方は「2チャンネル」さんからのリンクが多い。しかし今回のケースは、「リンク元」を見ても分からなかった。ある時、リンク元に英語版のWikipedia「Torii」が出た。そちらに行ってみると、「鳥居の分類」と「鳥居色々」のページがリンクされていることを知った。(「鳥居色々」は"torii no iroiro"と「の」が加えられていたが。)英語版のWikipediaであるが、結構詳しく鳥居を紹介している。鳥居の各部のパーツなんかも「笠木」を"kasagi'とローマ字で書いてある。ひょっとして、「鳥居の分類」は外国の人が閲覧してくれているのではないかと思った。「よし、それなら英語版の『鳥居の分類』を作ろう。」というのは嘘で、日本語もおぼつかない私の語学力ではバーツ名と鳥居名にローマ字を追加する位が関の山でした。訪問者は外国の方、というのは単なる私の妄想かも知れませんが、何年か前、外国の写真家が「鳥居のある風景」とう写真集を出されてる。日本人にとってはあたりまえの施設でも、異国の方からすると興味を引かれるめずらしいものに見えるのかもしれません。
閲覧数の棒グラフ

2014.01.16
学生の頃京都へ、K君と二人でルネ・マグリット展を見に行った。当時の私はシュールレアリズムの絵が好きだった。大阪で万博が開かれた時、ダリの絵が来るというので楽しみにしていたのだが、期間限定だったらしく、私が行った時にはもう展示されていなくて口惜しい思いをした。マグリット展の情報を知った時は、口惜しさをはらすためにもぜひ行かねばと思った。K君とも共通の友人であるH君が京都の大学に行っていて、その日彼の下宿に泊まることになっていた。絵を堪能したあと、K君と二人でジャズ喫茶に行った。煙草の煙がもうもうとした店内で、ジャズを堪能した。H君との待ち合わせはどのようになっていたのか記憶にないが、三人そろって夕食に行ったことは覚えている。行ったのは餃子の王将だった。王将初体験だった。どこの店かは記憶にない。(開業から数年たっていたので、当時はすでに多数の店が有ったと思う。)社宅にいた頃、一番近い王将といえば滋賀の三雲店だった。国道1号線に面しておりでかい店だった。当時、若かったので餃子三人前にチャーハンともう一品食べた記憶がある。やがて上野市(現伊賀市)、名張市にも店が出来た。
大阪の通学路にaaがあった。外食餃子体験は王将よりaaの方が先だった。年上だが同学年だった人にaaでご馳走になったのが最初である。その人が餃子とジンギスカンを注文したので同じ物を注文して気に入り、いまだにパウロイーガー・チャオツリャンガーです。餃子は王将に比べ小ぶりで、皮も薄い。好みで言えばaaの餃子の方が好きだ。ただ、値段が高い。いや王将が安すぎるのかも知れない。大阪に行ったおり、昼食はaaか王将か悩むことが多い。どちらかといえば、安く腹一杯食べられる王将へ行く回数の方が多いかも知れない。そんな「餃子の王将」の社長が、射殺されたと先月ニュースで聞いた時はほんと驚いた。

2014.01.03
あけましておめでとうございます。本年も『神社参拝記』をよろしくお願い申し上げます。

年末から年始にかけて風邪をひきまして、大型連休の予定がすっかり狂ってしまいました。年末に行きたいところが2ヶ所あったのですが、咳がひどく、自宅でおとなしくしておりました。家族は風邪をひいていないので、28日に行った病院でもらったのでしょうか?もらったのがインフルエンザでなくて、不幸中のさいわいでした。熱がそんなに高くなかったので、起きていることが出来ました。しかし、咳と鼻づまりがだんだんひどくなり、ちょうど元日が最悪でした。瞬く間ティッシュの箱が空になってゆきます。病院が休みなのが、タイミングが悪かったですね。ぐだぐだと風邪のことばかり書いてしまいましたが、まあ、そこそこ回復してきた結果でしょうか。



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