ウージーの雑(な)文

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2019.12.31
2019年の記録。下期。

今城塚古墳 今城塚古墳の再現された埴輪
写真左:今城塚古墳。濠の手前の出っ張りに埴輪(レプリカ)が並んでいる。  写真右:創建時の埴輪の状態を再現
7月、万葉の会で高槻に行った。今城塚古墳の埴輪(屋外にあるレプリカと古代歴史館内部にある本物の両方)に感動した。

月の誕生石 蛇つなぎ石
写真左:月の誕生石  写真右:蛇つなぎ石

益田の岩船
写真;益田の岩船
磐座巡り第二弾、7月にOさんと、天の香具山周辺の磐座を巡って来ました。すでにアップしている「御厨子神社」「天香具山神社」「天岩戸神社」も参拝しました。この三社にも磐座があります。
益田の岩船は私は初めての訪問。松本清張の『火の路』を読んでからぜひ行きたいと思ったが、それから何十年経過したことか。

田丸城址 田丸城復元模型
左写真:田丸城址  右写真:田丸城天守閣復元模型
9月、万葉の会で西伊勢を回りました。雨の中田丸城址の写真を撮りましたが、この約1分後猛烈な雨が30分以上降り続きました。膝より下、靴の中までビショビショ。

耳成山望遠 二上山望遠
写真左:耳成山を望む  写真右:二上山を望む
11月、万葉の会で三輪駅から、素佐男神社、磯城瑞籬宮跡、大神神社、桧原神社などを巡り、巻向駅まで歩きました。

息速別命の墓 阿保頓宮跡(阿保城址)
写真左:息速別命の墓  写真右:阿保頓宮跡(阿保城址)
11月に開催されたふるさと歴史ハイキングに参加しました。青山町を巡りました。

阿部山城址から見る箸墓古墳 安部文殊院から二上山を望む
写真左:土舞台の奥、阿部山城址から見る箸墓古墳  写真右:安部文殊院。畝傍山(左手枝の後ろに見えます)、二上山、耳成山が望めます。
11月、OBのハイキングに参加しました。桜井駅から八木駅まで歩きました。(天の香具山で昼食)

斎王の往復路 斎王の居室
写真左:斎王が往復した道。(斎宮歴史博物館展示)赤が往路、黄色が復路。淀川を下り、難波三津浜で禊を行ってから京都に入る。
写真右:斎王(奥)の居室を原寸大に復元したもの。手前は命婦。(斎宮歴史博物館展示)
12月に、万葉の会で斎宮に行きました。

2019.12.30
2019年も押し詰まって来ました。
今まで載せてなかった2019年の記録を残します。まずは上期から。

飛鳥京跡苑池のレプリカ ミハ山
写真左:飛鳥京跡苑池のレプリカ  写真右:「飛鳥甘南備」の最有力候補ミハ山
2月にOさん、Kさんと飛鳥へ行きました。飛鳥は20回以上行っていると思いますが、今回は今までと違った視点で回ることが出来ました。
万歩計の記録は30000歩・20km。雷山・ミハ山・甘樫丘に登り、実に内容のある30000歩でした。

祇園白川の桜 三年坂の枝垂れ桜
写真左:祇園白川の桜  写真右:三年坂の枝垂れ桜
4月にFさんと京都へ花見に行きました。高台寺にも美しい枝垂れ桜がありました。

雲出川河岸より桜を望遠 逆さ地蔵
写真左:一志町雲出川河岸より  写真右:雲出川沿いにある逆さ地蔵
4月に万葉の会で初瀬街道を歩きました。雲出川河岸の桜並木は、残念ながら片方の列が切られておりました。花のタイミングも悪かったです。
少し歩くと名松線の伊勢川口駅があります。川口頓宮跡が近いです。


唐古・鍵遺跡にある楼閣 楼閣の絵がある土器片
写真左:唐古・鍵遺跡にある復元された楼閣  写真右:遺跡から出土した絵画土器の破片。
5月に万葉の会で唐古・鍵遺跡、下ツ道(部分)を歩きました。

中之島のバラ園 大阪中之島バラ園にて
左右写真:大阪中之島のバラ園
5月にFさんと文房四宝特別展(東洋陶磁美術館)を見に行きました。常設展示に国宝の油滴天目茶碗があった。写真でしか見たことがなかったので少し感動した。

牛ヶ峯岩屋 牛ヶ峯枡形岩 枡形
写真左:岩屋(巨岩正面には大日如来が線刻されている。岩屋内部には、五輪塔や石仏等が安置されている。)  写真中央:枡形岩
写真右:枡形(枡形岩は枡形が刻み込まれた岩ということ。知らなかった。)
6月にOさんと、山添村の磐座巡りに行きました。便宜上「磐座」と言いましたが、磐座とは神が降臨する岩のことで、岩屋や枡形岩は、弘法大師の伝説がある岩で仏教遺跡です。
岩屋・枡形岩は、初めての訪問です。このあと、六所神社、岩尾神社等、吉備津神社などを回りましたが、こちらにある岩は磐座と推定致します。(神社のページにup済み。)

2019.12.09
登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」に夢中になっていたのは2017年だった。YouTubeの動画を何度見たかわからない。その動画のアクセスカウントを今確認したら8千4百2十1万5千9百6十8回になっていた。2年前より3倍近く増えているとゆうことは、まだまだ人気が続いているんだろう。「バブリーダンス」だけではなく、「ヒーロー」や大阪のおばちゃんをテーマとしたダンス等もよく見た。何度見ても飽きないのが不思議だ。2018年を振り返ってみたが、面白い動画を思い出せないのでパス。そして今年2019年は、なんといっても渋野日向子さんである。彼女が全英オープンで優勝するまで、私は彼女の名前も存在も知らなかった。彼女が優勝する全英オープンの動画を何度も見た。これもまた、何度見ても飽きなかった。樋口久子さんと戸張捷【とばりしょう】さんが解説している全英オープンの動画で、樋口さんが「渋野さんはこのくらいの距離の方が入りやすい。」とバーディーを予想して的中していたことが複数あったのと、カメラ目線で笑いながらおやつを食べたり移動中にギャラリーとハイタッチしたりする渋野日向子さんのことを「新人類」と表現したことが印象にのこってる。さらに岡本綾子さんが解説している全英の動画では、渋野さんが18ホールで優勝のバーディーを決めた瞬間、岡本さんが悲鳴のような長い雄たけびをあげたことが、強く印象に残っている。日本人の海外メジャー優勝は、樋口久子さん以来、42年ぶり二人目だ。岡本さんは海外メジャー選手権での優勝経験はないそうだ。渋野さんを知ってからは、彼女の試合の結果を必ず確認した。全英オープンの動画も面白かったのだが、その後の各試合の流れもドラマチックだった。8打差逆転優勝とか、予選落ち後次の試合で優勝とか、ホント目が離せない。と言っても、試合の放送は見ない。私は昔、ミュンヘンオリンピックの男子バレーを父と弟三人で見ていて、途中で「こらあかんわ、もう寝る。」と抜けた男なのだ。しかし、私が寝ている間に日本は、大逆転して最終的に金メダルをとったのだった。仮に私が全英オープを見ていたとしても、最終日第三ホールで渋野さんがダブルボギーをたたいた時点で、私は「こらあかんわ、もう寝る。」と言うに違いない。

2019.11.03
1970年の大阪万博に関して以前ここに書いたと思っていたが、頁検索したら、ダリの絵を見損なったことだけ書いたようだ。ダリの絵は期間限定の展示で、私が行った時には、展示されていなかった。(他の展示で今覚えているのは源頼朝の肖像画だけである。)
学生だった私は、夏休みに弟と二人で万博に行った。すごい人・人・人で、翌日の新聞に入場者数新記録の記事が出たすさまじい日だった。月の石を展示していたアメリカ館や三菱館など、4時間待ちだったと記憶している。母は開催間なしに行ったので、三菱館もすんなり見れた様だ。三菱館は良かったと絶えず言っていたので、ぜひ行きたかったがあきらめた。あきらめたのはそれだけでは無い。結局見れたのは、コダック館、モルモン館、美術館だけだった。それならジェットコースターに乗ろうと遊園地区域(エキスポランド?)に向かったのだが、橋だったか通路だったか人がいっぱいで動きがとれず、ジェットコースターもあきらめたのだった。入場料結構したと思うが、疲れただけだったと思う。
何年か後の休日、千里にあった会社の寮から、散歩がてらに同僚と二人で歩いて万博公園に行った。まだ撤去されていない博覧会当時のモニュメントだか建物だかがまだ一部残っていた。帰りに出汁に浸けて食べるたこ焼きを食べた記憶がある。(明石焼き?)
次に万博公園に行ったのは、チックコリアのコンサートが開催されたときだ。音楽好きの同僚二人と三重から車で行ったのだが、このときまだジェットコースターが残っていて、乗ることが出来た。(リベンジその一)
次は、家族と国立民族学博物館目的で万博公園に行った。このとき買った「国立民俗学博物館 展示案内」というガイドブックに、当時のチケット等が挟まっていた。「万博公園だより ’87.8」というパンフレットも挟まっていて、1987年8月に行ったと思われる。当時の料金は以下の通りだ。
乗用車駐車料金 ¥700(現在¥1000)
国立民俗学博物館入館料 一般 ¥350(現在¥580)
    同   小中学生入館料  ¥100(現在高校生以下無料)
当時の万博公園の入園券は残っていなかった。無くしたのか? 1987年当時は無料だったのか?ちなみに現在の入園料は¥260也。
「万博公園だより ’87.8」にはジェットコースターの写真が出ている。娘が怖がりでジェットコースターには乗らず、観覧車に乗ったのだった。(リベンジその二)高度が上がると風が強くなりゴンドラがゆれて、妻と娘は観覧車でさえ怖がっていた。
今年、9月に国立民族学博物館目的で万博公園に行った時、太陽の塔の内部にも入りました。(リベンジその三)地下及び一階以外撮影禁止だったので、生命の樹の中央部辺りにいる恐竜の写真は撮れなかった。

(バザーで買った陶器のお値段→:抹茶茶碗¥100、コーヒーカップ¥100、箸置き二つはおまけ)

太陽の塔頭部内部の展示生命の樹一階部分


2019.10.27
市民センター祭に行ってきた。土曜・日曜の2日間開催されるセンター祭は、地区の方々が市民センターを拠点として文化的な活動をされていることの、発表・展示の機会・場である。絵画、陶芸、書、俳句、裁縫、刺繍、ニット、文芸、古典、楽器演奏、合唱、舞踊(思いつくままに列記)等々沢山の発表・展示がある。その他、バザー等も開催されていて、私は良いのがあれば買っている。何年前だったか、帆船の写真集、私の持っているのより少し小さい目のリュックサック、ジャガイモ、玉ねぎ、サクラソウの苗を買った。今年買ったのは陶器だ。抹茶茶碗、コーヒーカップを2点買ったら、葉っぱの箸置きを無料で頂いた。陶器は、3グループだったか4グループだったかある陶芸クラブの作品である。さてお値段はいくらだと思いますか?
(正解は次の機会に)

バザーで買った陶器 コーヒーカップ


2019.10.19 世界のメデューサだ!??(国立民族学博物館にて撮影)

王の仮面仮面「ディアブロ」仮面「羊飼いの悪魔」仮面「ウシ悪魔」

王の仮面
国名:カメルーン
仮面「ディアブロ」
国名:ボリビア
仮面「羊飼いの悪魔」
メキシコ合衆国
仮面「ウシ悪魔」
メキシコ合衆国


2019.10.18

八岐大蛇がインドに居た!
と思ったが、勘定すると頭は五つだった。
「ナーグデーヴター神 国名:インド」と書かれていた。
コブラ版五岐大蛇というところか。八岐大蛇も水神、山神 (Wikipedia)だそうだ。お国は遠く、違っても、想像力が似ているところが面白いと思う。
(国立民族学博物館にて撮影)
ナーグデーヴター神
2019.10.18

コンゴ版丑の刻参りだ!!
日本は五寸釘1本だが、コンゴ版の呪いの人形は首から下が釘だらけだ。コンゴ版と日本版、どっちが効果がある?
「呪術用の像『ミンキシ』 国名:コンゴ共和国」と書かれている。実は、ミンキシは呪い殺すための人形ではない。人形のお腹に薬を入れて釘を打つことにより、薬効を高める呪術なのだそうだ。
(国立民族学博物館にて撮影)
ミンキシ


2019.09.25
会社の先輩Fさん、絵の仲間Oさん、私の計三名で吹田の国立民族学博物館へ行ってきた。Fさんは万博公園には行かれたが、民俗学博物館は今回が初めて。Oさんは民族学博物館は今回が5回目という強者【つわもの】である。私は、子供が小学生だった頃に家族で行ったのだったが、ゆっくりじっくり見学出来なかった思いがあり、再訪したいとずっと思っていた。ある時そんなことを話していたら、博物館行きがすんなり決まったのだ。

本館内の全ての展示物を見て回ると、5km歩く事になるそうだ。また、本館は写真撮影もOKだった。(ただしフラッシュ禁止)大昔に一度行ったきりなので、展示内容はほぼ忘れていたが、曲がり家のジオラマは覚えていた。大和棟等のジオラマ、ホント精密に作られている。瓦など、一枚一枚葺いたのではないかと思ってしまう。そういえば、瓦が一部めくれかけている処まで作られていた。一番興味をひかれたのは、山ノ神祭祀に関する展示と、沖縄の岩石祭祀に関する展示だ。次に注目したのは、タイのアカ族の門柱。これは鳥居じゃないのか!と思った。ご丁寧にも、笠木に相当する部分に木彫の鳥が数羽飾られている。鳥が居るから鳥居ってあまりにも出来すぎている。中臣鎌足を主人公にしたNHKのドラマで、これと似た門が使われていた。展示全般では、各国の祭り等に使われる仮面が興味ぶかかった。

このページ、5カ月も間が空いてしまいました。3月末でYahoo!のジオシティーズのサービスが終了しまして、さくらネットにお引越しを致しましたが、Yahoo!やGoogle検索で「uziの神社参拝記」を検索しますと、ジオシティーズの古いURLのままになっており、長い間たどり着けませんでした。なんか、テンションが下がってしまいました。「お!やっとさくらネットに変わった!」と喜んだら、またジオシティーズにもどったり安定しませんでした。最近は、安定している気がします。ぼちぼちこのページも書いていこうと思います。
これが鳥居の原型か?

四月我が家の花(2019.04.07)

サクラソウパンジーパンジーユキヤナギ
レンギョウスイセンムスカリスミレ
アセビ


2019.03.02
 人気文具メーカー31社による「文具祭り2019」が東京・千代田区で行われたという、Yahoo!ニュース動画を見た。ひときわ注目を集めていたのが「インク」なのだそうだ。
 2017年4月から漢字の勉強をしていると前に書いた。(2017.07.21)その時、眠っていた万年筆を使おうと決めたのだった。インクは、20年以上前に買ったカートリッジの黒とさらに数十年前に買った赤を使った。その後別の引き出しからブルーブラックのカートリッジが出てきた。赤とブルーブラックは20代前半に買ったカートリッジだろう。赤など水分が抜け容量が半分以下になっているやつもある。だから、一度万年筆にさして、空いた口からスポイドで水をたして使っている。万年筆2本からスタートしたが、別のインクを使いたい、書き味の異なる万年筆が欲しいとかで、図書館で本を借りたり、ネットで調べたりしていたら、多種の色、特殊な性能を持つインクがあることを知った。たとえば、パイロットのインク色彩雫【いろしずく】シリーズなど、20色を超えるバリエーションがある。私はその中から「露草」を一つ買った。そしてもう一つ買ったのは、プラチナのカーボンブラックだ。箱に「本格真っ黒文字用」とか書いている顔料インクである。一般の染料インクに比べ、隠ぺい力が高い。これを買ったもう一つの理由は、乾くと耐水性があるということだ。水彩画に使えるのだ。(2019.01.03の絵にも使っています)
 「露草」は2017年6月に購入した。50mL入りで1500円ほどだったが、まだ1/3ほど残っている。2018年1月に買ったカーボンブラックは、60mL入りで同じような値段だった。残量は瓶が真っ黒でよく分からないが、まだコンバータでインクを吸い上げることができるだけの量が残っている。
 インクで思い出し、本棚から持ってきた『絵本とおはなし』という月刊誌が今手元にある。表紙の永田萌さんの絵が目にとまり、図書館で無料の「リサイクル資料」になっていたので貰ったのだ。頁をくると彼女の絵が沢山あった。彼女はインクで、美しくかつかわいい絵を描いている。ネットで画像検索したらそんな絵がいっぱい出てきます。

A「色々と金使ってる様だけど、漢字は覚えたのか? 綺麗な字は書ける様になったのか?」
me「色々金使ってるって言ったって、酒も飲まず、タバコも吸わず、パチンコ・競輪・競馬・競艇等も一切しない、そんな私は維持費の安い人間だと思いますよ。」
A「金の話はまあ置いといて、覚えたんか?書けるようになったんか?」
me「・・・・・」
A「なんや、まだあかんのかいな。」
me「正直に言うと、訓読みと送り仮名が半分位覚えきれていないというか・・・ 字は2年前に比べたらだいぶましになりましたよ。あくまでも自分比ですが。筆順もほぼ大丈夫だと思います。」
A[偉そうに言うんやったら、今そのましになった字を見せてみいな。」
me「これです。どうにか人前に出せる位になりました。」(←って、あくまでも自分でそう思っているだけの話だが)
漢字ノート

2019.02.27
"2018.12.09"に書いた帯状疱疹関連の続編を書く。
◎症状の件
たまに、電気が走るような痛みというかシビレというか、右の背中・右の脇に起こる。発症して半年が経過しているのだが。
◎便の件
ほぼ発症前の状態に戻ったが、毎日お通じはある。ただ、体重がもとに戻らないようにと願い、はったい粉を二日に一度は食べている。プレーンヨーグルトを毎日食べる様にしている。(腸を整え便秘に良いと読んだ気がするので。)
◎体重の件
発症前より最大3〜4kg痩せた。歩き始めた2012年8月からすると、マイナス10kgだ。 が、現在そこから2kg増えてしまった。便の状態が戻って来たからと言いたいが、ここぞとばかり甘いものを食べ過ぎたことも大きな原因である気がする。買い物に行くと源氏パイやピーナッツチョコレート、アイスクリームを必ずと言っていいほど買って食べていた。以前おやつは、甘いものは避けて、おかき類を買っていた。子連れ狼の大五郎じゃないが、じっと我慢の子に戻ろうと思う。(ボンカレーのCMより。仁鶴の拝一刀が「三分間待つのだぞ。」と言うと「腹が減っても、じっと我慢の子であった」とナレーションが続く。)「食事の量を減らし、おやつを食べなければよい。」のは分かる。まあ、そこまでして痩せたいとは思っていないということなのだ。
◎ウォーキングの件
2019年1月の平均時間39分02秒は自己最高記録だ。(この月は23日歩いている。)さらに同月21日の37分57秒も自己最高記録である。体重が戻りつつあるなかで、スピードが落ちないのは喜ばしいことだ。ちなみに、今月2月は平均が39分17秒である。

以下は2018年11月24日朝日新聞の記事から抜粋
水疱瘡にかかったことのある人はだれでも帯状疱疹になる可能性がある。患者は50歳ごろから増えて、80歳までに3人に1人がなるとされている。予防のワクチン(1回8千〜1万円)を打てば発症のリスクを5割ほど下げられるという。たとえ発症しても、帯状疱疹後神経痛になるリスクを6割ほど下げられるそうだ。

2019.02.04
新聞に「日本を代表する絵師、画家」として以下の名前が挙がっていた。(順位・名前・投票数)
1 葛飾北斎 909  2 歌川広重 624  3 雪舟 578  4 尾形光琳 521  5 伊藤若冲 517
6 俵屋宗達 516  7 横山大観 462  8 北川歌麿 436  9 東洲斎写楽 397  10 丸山応挙 375
11 狩野永徳 341  12 竹下夢二 340  13 菱川師宣 329  14 黒田清輝 328  15 長谷川等伯 306
16 上村松園 305  17 岸田劉生 257  18 狩野探幽 240  19 青木繁 188  20 与謝蕪村 164
21位以下
渡辺崋山、酒井抱一、佐伯祐三、歌川国芳、池大雅、鈴木晴信、富岡鉄斎、狩野芳崖、曽我蕭白、藤島武仁、高橋由一、河鍋暁斎、長沢芦雪、鳥居清長と続く
調査対象:朝日新聞デジタル会員登録者
アンケート調査:2018年11月
回答:1283人
調査方法:編集部が挙げた室町以降の主な絵師、画家の39人から好きな、あるいは日本を代表すると思う人を何人でも。

34名の名前が挙がっているが、編集部が準備したのは39名との事で、残り5名は誰だかわからない。(39名全員を掲載すると、「誰それが準備されたメンバーに含まれていないではないか!」とお叱りを受けるからだろうか。)
個人の好みが順位に大きく影響すると思うが、世界的に著名な北斎、広重の順位は、妥当なところだと思う。個人的には、19位の青木繁、23位?の佐伯祐三はもっと上位に上げたい。藤田嗣二や小磯良平は39名の中に含まれていたのだろうか。平山郁夫、東山魁夷、加山又造も私は好きだが。

2019.01.03
あけましておめでとうございます。
本年も「uziの神社参拝記」をよろしくお願い申し上げます。


富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」

北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」をドッキングしてみました。舟は神奈川県の浦賀に来航した黒船に変えてあります。
元絵を見ながら描いていて、「やっぱり北斎、すごいなぁ。」と思いました。(←今頃気づいたんかい!)

2018.12.31
気分転換がてら、ふらっと大阪へ出かけた。大きな目的もなく大阪へ出かける時は、まず北か南かを考える。今回は北と決めた。MALZEN&ジュンク堂書店と近所の古書店街、ヨドバシカメラを覗いてみることにした。10時頃に大阪駅に着くよう家を出る。
電車の中でIBS石井スポーツにも行くことを思いついた。うん十年前の20歳代前半の頃に、石井スポーツで買った登山用の赤いシャツを今でも愛用している。昔は登山専用だったが、喘息のため登山を諦めてからは長い間タンスの肥やしになっていた。数年前、それを引っ張り出し普段着にした。ウールで厚手の生地なので冬に着ると暖かいが、長年着ているとさすがに袖口が薄くなってきた。同じようなものがあれば買おうと思った。スマホで場所を検索したら、8年前頃にお袋の登山用ストックを買いに来たときと同じ場所(大阪駅前第2ビル)にあるようだ。シャツや、ニッカ、登山靴、テント、リュック等を買ったときは、違う場所に店があった。(はずだ。)
何故、高齢のお袋が登山用ストックなのか?
8年前頃、お袋が庭で転んで腕を骨折したのだ。その何年か前にも転んで腕を骨折している。杖を突つかないとまた転ぶでぇ、と言ったが、母は杖をつくことを嫌がった。あるとき私の登山用ストックを見て、「これ良いな。」と言った。とりあえず私のストックを母に貸して、大阪へ出たついでに石井スポーツで新しいのを買ったのだった。買い物に行くときなど、登山用ストックを突いて出かけていたが、昨年6月、廊下で転んで大腿骨を骨折した。廊下には手摺があるが使わなかったようだ。登山用ストックは応接間に置いてあった。支え無で歩いていたのだ。

4時間以上歩き回り、買ったのは本2冊と御座候の回転焼き(商品名は「赤あん」?)。
歩数約17000歩、約13km。家に着いたのは16時ごろだった。

2018.12.09
記録を見ると、「右胸に痛み」と書いたのは今年の8月17日だった。8月24日には、「右胸・右脚痛み」とある。胸の痛みは右腕の付け根全体に及んでおり、寝るときは体の左側を下にしなければならなかった。四十肩を思い出す痛みだ。8月27日朝、右のお乳の下から背中にかけてミリ単位の水泡が沢山出ていてびっくりした。皮膚科に行ったら帯状疱疹と言われた。飲み薬と塗り薬をもらった。9月28日には「水泡消える。跡は残っている。」とある。10月16日、「少々シビレ残る。」と書かれている。痛みが取れるのに2カ月ぐらいかかったようだ。12月9日現在、椅子の背もたれに体重をかけても違和感が無い程に、シビレは改善しつつある。痛みは最長で1年ぐらい続くなんて記事もネットにあったが、まあ、この程度で済んでよかった。(痛みが酷い時はノーシンを飲んだのだった。気分的にほんの少し楽になった気がした。)

便が柔らかくなったのは、帯状疱疹の飲み薬のせいだと思っていた。時期的にそう推察できた。ところが、1週間だったか2週間だったか薬を飲み終わった後も、それは続いた。状態は下痢ではないものの、どうにか形を保っているという程度で、便意をもよおすと早くトイレに行かないとヤバかった。排便は以前1日一回ほどだったのが、だいたい2〜4回になった。「便が少し固くなってきた」と記録にあるのは、11月8日である。私はどちらかいうとそれまで便秘ぎみであった。前にも書いたが、出ない日があると大匙山盛り一杯ほどのはったい粉を食べていたくらいだ。

8月25日、ウォーキングは45分代に落ちた。45分代なんて、2012年に歩き始めた頃ぐらいしかない。8月26日は42分代だったが、8月27日は再び45分代だった。その日汗に濡れた下着を着かえようとしたら、帯状に多数の水泡を発見したのだった。医者からストレス、疲れが原因と言われた。45分代という記録と思い合わせ、ウォーキングを中止することにした。9月の万葉の会は出席した。下ツ道(田原本駅→八木駅間)を歩くコースだったが、体がだるく新ノ口駅から帰宅した。万葉の会で途中に抜けたのはこの時が始めてだ。歩いた距離は9km。OB会のハイキングでは20km以上を数回歩いている私が、である。帯状疱疹は疱疹が出来て痛みを伴うだけではなく、体力低下をきたすようだ。(私だけか?)
結局ウォーキングは9月末に2回だけだった。途中で抜けた万葉の会の他には、大阪を6kmほどぶらついたのみである。10月初めは42、43分代だったのが、回復とともに発症前の40、41分代にもどった。そして11月中旬頃から39分代が頻発しはじめ、下旬から12月初旬にかけて38分代が5回も出た。歩き始めて6年経過したがこんなことは初めてだ。しかも11月30日の38分37秒は自己最高記録である。

何故か?
帯状疱疹発症後、体重が3カ月ほどで2〜3kg減ったのだ。恐らく、便が柔らかくなり、腸に滞留する時間が短くなったためと思う。体重が減り、体力が発症前に戻った結果が先の記録につながったと想像する。

2018.11.20
熟さない青いミニトマトが数個地面に落ちていた。枝にしがみ付いている青い実も収穫することにした。右端の写真にはオレンジ色のものもあるが、一週間以上前に収穫したものだ。気温が低くなってからは、ほんのり黄身を帯び始めると収穫していた。収穫後ミニトマトの細い枝を短く切って、1m四方ほどのミニトマトを植えている土壌に鋤き込んでやろうと思った。しかし、その区画には写真左及び写真中央の花が咲いている。冬に自家製の腐葉土を鋤き込んだから、その後に繁殖した植物だ。ネットで調べるとヒメツルソバという名だった。可愛らしい花である。鋤き込んだらまた来年咲いてくれるだろうか。しかし鋤き込むのもなんか残酷な気がする。別の場所に植え替えようか。
ヒメツルソバの花 ヒメツルソバの花 最後に収穫したミニトマト

2018.10.13
透明水彩で絵を描きだして6年が経過した。三日坊主にはならなかったようだ。わざわざ「透明水彩で」と入れたのは、幼稚園や小学校ではクレパスを使っていたし、中学、高校(1年生の選択科目で美術を採った)では、ガッシュ(不透明水彩)を使っていたからだ。勤め先で、全国安全週間・全国衛生週間・品質月間には標語やポスターの募集が行われる。このときポスターカラーで10枚位?描いただろうか。
透明水彩絵の具は24色入りを買った。(右写真がその24色)値段は4000円だった。バーミリオンとプルシャンブルーの2色はそれぞれ2本目だ。この二色をだいたい1対1で混ぜて陰影によく使うためだ。他の22色は6年以上使っていることになる。(趣味としてはお金がかからない方だと思う。有名な外国製の絵の具だと数倍の値段になるが。)買い足した色は、金・銀・オペラ・マゼンタの4本だ。この4本は24色入りの箱には当然入らないので、絵を描く道具類を入れたトートバックのポケットにそのままほりこんでいた。これが私的には気に入らなかった。「もっと絵具が入る木の絵の具箱があればいいなぁ」と思った。特注で作ってくれる所はないものかなどと思っていた。絵の仲間Oさんにそんな話をしたら、自作を進められた。(Oさんは絵の額を自作されている)2mm位のベニヤなら大きめのカッターで切る事が出来るというのだ。私は電気丸鋸を持っているが、真っすぐに切る自身がまったくない私にとっては非常にありがたい情報だった。地元のホームセンターに置いてあるベニヤは2.4mmが一番薄かったのでそれを買う。あと、相欠き接ぎにするための歯が細かく薄い鋸、サンドペーパーを買った。準備万端整い作業に入ったが、絵具の仕切理に使うベニヤをカッターで切るのに結構時間がかかった。仕切りの長い方など、三枚切ったらもう嫌になった。(体力無い?あきっぽい?)すなわち全部切るのに4日かかったということになる。相欠き接ぎは買った鋸がバッチリで意外と簡単に出来た。というわけで完成したのが右の写真だ。
ここで、告白しなければならない事がある。実は私が作ったのは絵具の仕切りだけなのだ。お盆の準備で仏壇の地袋から木魚等を出していたら、奥に木の箱が見えた。桐で作られた箱の蓋の中央には「御香」と金箔押しされていた。中は空だった。お袋が御線香を使い切った後も箱を残していたのだろう。この箱を見つけたことは、本当に幸運だった。
自作絵具箱

2018.10.07
先月梅田に行った。鶴橋から環状線に乗って玉造駅を通過した頃だったろうか、サクラクレパスの看板が進行方向右手に見えた。そして思い出した。小学生の低学年だったと思うが、サクラクレパスの工場見学に行ったのだった。帰りにお土産にもらったのが、クレパスの三本セットだった。赤・黄・青だったか、赤・黄・緑だったか、信号機の色のセットだった。(あと工場見学で覚えているのは前田製菓だ。お土産はランチクラッカーではなくビスケットだった気がする。クリケット?)
昨日、ネットで画材の広告を見ていたら「オイルパステル」という言葉が出てきた。パステルとの違いはなんだろうと思い調べたら、オイルパステルとはクレパスの事だったのだ。(私が思っているパステルは、「ソフトパステル」とも言うらしい。)しかも、クレパスはサクラクレパスの登録商標で、クレヨンとパステルの特徴を併せ持つ絵具ということで開発・命名したそうだ。私の小学校では誰もがクレパスと言っていたし、私も普通名詞としてずっと「クレパス」を使っている。関東の小学生はクレヨンを使い、関西の小学生はクレパスを使っていると、昔何処かで読んだか聞いたかした。もし本当なら、サクラクレパス株式会社が大阪の企業であることと無関係ではないだろう。

2018.09.23
 ペンケースB ペンケースA 

漢字を勉強しよう、併せて漢字を美しく書けるようになろうと練習を始めたのが昨年の4月だった。この一年間で万年筆を結構買ってしまいました。(ペンケースも順次買いました。)1996年6月に買って20年以上ほったらかしになっていた万年筆が、左の写真の黒いの2本だ。(PLATINUM#3776)(2017.05.09参照)梅田のMARUZEN&ジュンク堂書店内2階にあるナガサワで、ペン先を確認してもらったら太字だった。そして購入理由を思い出した。葬式が続き、筆ペンで記帳することが重なり、自分の字の拙さを情けなく思い、万年筆ならもう少しましな字が書けるのではないだろうかと思い、太字を買ったのだ。帰って字を色々書いてみたがパッとせず、もっと太いのならさまになるかと思いさらに極太を買ったのだった。
万年筆の太字で勉強・練習を始め2カ月ほどたった頃、漢字の画数もだんだん増えてきて太字では書きにくくなってきた。また、手帳も万年筆を使いたいと思い、極細を買い足した。(右の写真左端)(PLATINUM#3776センチュリーシャルトルブルー)そうしたら、中字が欲しくなってきた。PILOTのコクーン中字を買う。(左写真右端)さらに、漢字に最適な万年筆をということで、PILOTカスタムヘリテイジ912フォルカンを買った。(右写真中央)他は、違う色のインクを入れたPLATINUMプレジール細字が2本だ。(内1本は写真右の右端シルバー)

2018.08.28
会社では早くからインターネットを活用していたが、自宅でインターネットを始めたのは2002年だった。電話回線アナログ接続だったのでスピードがかなり遅かったが、しばらくしてADSL(これも電話回線を使用しますがデジタル接続)に替わり、速度には全く不満が無くなった。YouTubeで720pの画質が見れる通信速度です。1080pの画質だとさすがに途切れるが、720pで不満はなかった。ADSLはNTT交換局との距離などで通信速度が大きく変わるが、我が家の場合条件が良かったと思える。しかし昨年だったか今年だったか忘れたが、OCNからメールでADSLの廃止が決定したと連絡があった。(以下ネットの記事「フレッツADSLを提供しているNTT東日本と西日本では、設備の老朽化やアナログ電話回線の廃止に伴い、一部エリアを除いて2023年を目途にADSLサービスの提供を終了することを発表しました。」)しかし私はADSLの速度に不満は無いし、かつ安いのでギリギリまで使うことにした。
ところが、である。今年の5月頃だったと思うが、ネットが繋がりにくくなったのだ。繋がっても極端にスピードが遅いのだ。YouTubeで720pがOKだったのに、240p位でなければ動画が見れなくなった。逆方向になるHPファイルの送信も当然遅かった。YouTubeのカラオケの場合はもともと低解像度なので動画は動くが、繋がらなければ話にならない。廃止はまだまだ先だが、回線本数を減らしたり、設備を縮小しだしているのではないかなどと、素人の私は勘ぐる。それともフレッツ光に早く変えろという警告・嫌がらせなのだろうかと、ひねくれた私は勘ぐる。どちらにしても、この『繋がらない&遅い』は、ひねくれ者の私でも耐えられなかった。で、今月ADSLから光に変えました。YouTubeで1080pがOKになりました。接続が切れる事は今のところ一度もありません。

2018.08.04
「井村屋のゆであずき」の缶詰が炊事場の隅から出てきた。缶の印刷されていないヘリの部分が錆びている。一括表示欄の「賞味期限」を見ると「缶ぶたに記載」とある。上を見ると「北海道産あずき100%使用」のほか、会社名と商品名が書かれているだけだ。(「ふた」といえば上の方を見てしまう単純な男)底を見たら「'991224」とある。下段には「□MR2」とあった。(□はIだろうかLだろうか、その部分が錆びててよく見えない。工場記号&ライン記号かもしれない。18年以上前に賞味期限は切れていた。子供の頃、缶詰は40年持つなんて思っていたが、誰に聞いたのか、根拠も分からない。分別廃棄するため缶のふたを開けてみた。色も外観も間違いなくゆであずきだ。味は?いや、さすがに食欲がわかず、試食はしなかった。
あずき・粒あんは好物で、子供の頃トーストにマーガリンを塗り、その上に小豆を載せてよく食べていたのだった。同じ事をしようとこの缶詰を買ったのだろうが、なぜか忘れ去られて今日に至った。

7月初旬雨に降られ、中旬不自由な姿勢で剪定していたせいか腰を痛め、下旬は暑さのせいで、結局7月に歩けたのは19日という、今年最低の数字となった。ウォーキングシミュレーションは約1年前、鹿児島の佐多岬に達し、折り返して東海岸沿いを歩いてきたが、もうすぐ兵庫県に至るところまで来た。このあと明石海峡大橋・鳴門大橋を渡り四国一周を計画している。

2018.06.17
 急に思い立って、また大阪城へ出かけた。4月に花見で行った時は、別の用事もあってゆっくりと回れなかったので、また行きたくなったのだ。空堀の外から桜門越しに見た蛸石だが、近くで見なかった事を今になって後悔している私がいた。ネットでお城の地図を見ていたら、京橋口の近くに肥後石というのも有る。蛸石は小学生の時に見た記憶があるが、肥後石は記憶にない。何度か外堀で魚釣りをしたので、肥後石の近くを通ったかもしれないが、外堀のどこで釣りをしたのか覚えていないので話にならない。
 森ノ宮駅で降り、玉造口から外堀の中に入るのは4月と同じコースだった。今回は桜門から内堀の中に入り天守閣の近くまで行った。昭和初期に鉄筋コンクリートで造られたことは知っていたし、エスカレーターが設置されていることも知っているが、そばまで来るとすごく迫力を感じた。(絵に描いてみようかなんて思ったりもした。)
 刻印石広場で青年が話しかけてきた。訛りがあるので中国人かと思ったら正解だった。日本語も上手に話せるし、コーエーのゲームで覚えたという大阪城の歴史も知っていた。コーエーのゲームなら「信長の野望」をしたことがると話したら、彼はその名前を知っていた。彼は自身の出身地が〇〇省の△△で諸葛孔明の□□があると話したが、申し訳なかったがいずれも私の頭の中に入ってこなかった。私はコーエーのゲームの中に三国志があったこと、諸葛孔明が出てくる映画「レッドクリフ」を見たことを話した。レッドクリフ、赤壁は●●省■■にあり・・・・・、すみません、またしても頭に入ってきませんでした。彼は「これからコンサートに行ってきます。」と言って、別れた。彼はこれだけ日本語を話せるのに、私は中国語は麻雀ぐらいだし・・・・。彼は、私などよりずっと優秀な人間なんだろうな、と思った。
 内堀にかかる極楽橋を渡り、肥後石をチェックして京橋口を出た。ここからは4月と逆方向のコースで大阪歴史博物館に向かった。
 大阪歴史博物館を出て、南外堀沿いにある木陰のベンチで昼食をとることにした。(外堀の向こうに櫓が見えていたが、今地図で確認すると六番櫓だった。)昨日買っておいた好物のランチパックメンチカツをリュックから取り出し、封を切っていたら、スズメが数匹2mほど前に止まった。パンをほんの少しちぎって投げると、チチチチチ・・・と鳴きながらパンを取りあって、一瞬の内に一羽が咥えて数メートル先に逃げる。さらに一羽がそれを追いかけた。そんなことを繰り返しているうちにスズメの数がだんだん増えてきた。20まで数えてやめてしまったが、近くを通りかかった若い女性が「何これ!」というような顔をして見ていた。三人掛けのベンチの真ん中に座っていたが、ベンチに止まったスズメが側まで近寄って来た。私の手から直接嘴でパンを咥えて飛んでいく。組んだ脚の先に止まることもあった。2018.05.27に書いたトンビと違い、スズメは可愛い。やるパンもご飯4〜5粒位なので、気前よく投げられる。その内ハトまで寄ってきて大きいのが4羽増える。やがてパンは無くなり、袋などを片付けると鳥たちはいなくなった。他の方々が私と同じようなことをしていて、スズメも人馴れしているのだろう。
 この後地下鉄で心斎橋まで移動し、東急ハンズで画材や文房具を眺め、ビッグカメラまで歩いて、スマホのモバイルバッテリーを買って帰宅した。本日歩いた距離は13.7km(22000歩)でした。ここまで書いて、難波宮跡へ行くのを忘れた事に気づいた。大阪歴史博物館でミニチュアを見て脳内完結したのか。また行こうと思う。外堀の東側をまだ歩いていないし。
 
刻印石
刻印石

寄って来たスズメ
遊ばせてくれたスズメ

2018.05.27
5月中旬、絵の仲間四人で大王崎へスケッチに行った。大王崎へ行くのは、私は今回で三度目だ。1回目は伊雑宮とセットで、2回目は二見興玉神社へ参拝後急に行きたくなって足を延ばしたのだった。スケッチの行き先として、大王崎を提案したのは私だった。理由は、ゆったりとした時間が流れるあの空間で絵を描くことは、きっと楽しいにちがいないと思ったからだ。メンバー中KさんとOさんは初めての訪問、もう一人のYさんは二度目だそうで、そのときもスケッチをされたという。(午後に予定した安乗灯台は、お三方初めての訪問になる。私は二度目。)
前回撮った写真を事前にチェックして、私が描く場所は灯台の真前と決めていた。お三方は結果的に、八幡さん公園から海と灯台を見る位置に落ち着いたそうだ。描くのが早いKさん・Oさんは波切漁港も描かれていた。
12時半に港に集合することにした。2時間あれば、そこそこ描けるだろうと思った。昨年秋に行った高取城址ではデッサンに着色をして1時間で描いたのだった。実は、私がスケッチを好きになったのは昨年秋からである。私は、自分で撮った写真を元に屋内で描くのが普通だった。なにしろスケッチは照れ臭い。今回のメンバーの方々に比べたら、私は描くのがものすごく遅い。それが、昨年秋今回のメンバーの方にスケッチのお誘いを受け、太朗生で描いたら、面白い絵が出来たのだ。現場で短時間で描くと屋内で描くのとまた違った絵になることが面白かった。また、時間制限があるとすごく集中する。
そこそこ下書きが出来たので昼食をとることにした。実は前日Yさんが大阪に行ったおり、今日の為にパンを一人3個づつ買ってきて下さったのだ。感謝。私はパンが好きだ。朝、昼とパンを食べることもある。描いていた位置から5mほど離れたところのベンチに座り、灯台を見ながら二つ目の一番大きなパンを食べている時だった。急にそのパンがすっ飛んだ。白い花を咲かせているシロツメグサの上に落ちたパンを拾い、汚れがないか確認し、周辺を見たらトンビが近くを飛んでいた。こいつが私の手からパンを奪おうとしたのだ。リュックの中にそのパンを入れ、そこからちぎって食べることにした。トンビは真後ろの電柱に止まったり、頭の上を旋回したりしてる。近くまで飛んできたとき、パンを少しちぎって放り上げたら みごとパンを口でキャッチしたではないか。その後3・4回パンを小さくちぎっては投げ上げたが、みな見事口でキャッチした。
というわけで、ほぼ3個のパンを全て頂き満腹になったので再び描きだし、2時間弱でほぼ仕上げた。
帰宅してから、自分の部屋の目に付きやすい位置に絵を立てかけて眺め、翌日少し、ペンを入れたり色を重ねたりして、トータル3時間弱で完成。
大王崎灯台の絵

2018.05.07
ギブソンが経営破綻したと新聞に出ていた。高校・大学と一緒だったY君の持っていたのがギブソンだった。私は自宅から片道2時間ほどかけて通学していたが、彼は学校の近くに下宿していた。下宿先によく遊びに行き、数回ギブソンを借りて弾いた。彼はビートルズが好きで、ヒア・カムズ・ザ・サンやサムシングをよく弾いていた。彼の演奏でこの2曲を知ったのだが、今でも好きな曲だ。
当時私の持っているギターは、中学生の時に誕生日かクリスマスのプレゼントとして親から買ってもらったものだった。値段は5000円位と聞いた記憶がある。Y君のギブソンと比べると、音程が不正確だった。(値段相応、当たり前)当時調子笛で音合わせをしていたが、高い位置のフレットで弾くと音程が狂ってくるのだ。そこで、バイトをしてギターを買い換えることにした。ギーター10000円、ハードケース5000円の予算である。店で色々弾き比べ、指が短い私でも弾きやすいギーターを見つけた。15000円位だったが、ケースは後から買えばいいと思いそれを買った。当時の初任給と現在の初任給を比べたら、このギター、すごい価値がありそうと思えてくるが、後から買ったハードケースに長らく眠っていた。最近は直ぐに手に取れるよう手元に出しっぱなしだ。
そういえば、高校の友人だったH君は35000円のフラメンコギターを持っていたっけ。しかも習いに行っていたのだった。

2018.04.18
「2018.04.03」に書いた潜水艦のプラモデルについて、思い出した事があった。防水の件である。スクリューは二つ付いていた気がするが、軸受け部分にボックスがあり、その中にグリスを充填したのだった。船底に電池を入れるのだが、蓋は、ゴムのパッキンを挟みネジで固定して防水するようになっていた。
ところで、大昔のことは思い出したのに、一・二か月前に勉強した訓読みの送り仮名が何故頭に浮かばないのだろう。(プラモデルの潜水艦は沈んでもまた浮いてきたのに。)お袋は昨日の事は忘れるのに、うん十年前の事は覚えているものもある。遺伝か、老化か、両方か・・・

2018.04.10
漢字の勉強を始めて1年が過ぎた。目的は、「1.常用漢字を書けるようになる。2.筆順を正しく書く。3.文字を美しく書けるようになる。」だった。
「1.」は学習していない常用漢字がまだ残っているので、もう1年勉強するつもりです。(勉強したのに、忘れた漢字も沢山ありそうです。)スマートホンに「漢字トレーニング」というソフトを入れていて、待ち時間や電車に乗った時などに使っているが、訓読みの送り仮名をよく間違えるというか、忘れている。

「2.」はだいたい理解出来たと思う。それにしても、ほんと私は筆順がメチャクチャだった。以前YouTubeを見ていた時のことだ。「田」の字を書いている方が、口の中の+を書く時横棒を先に書いていた。縦棒が先なのに、この人ネットで恥をさらしていると思った。ところが、実は私も数十年間横棒を先に書いていたのだった。しかしである。先日、「筆順のはなし」(中公新書ラクレ)を読んだら、中国・台湾では横棒を先にかくのだそうだ。また「必」という字だが、間違って書いていた私の筆順は、台湾で正しいとされる筆順なのだ。そんなのが他にも沢山ある。著者の結論としては、小学校・中学校の教師でもない限り、筆順はあまり気にしなくてよいとのこと。私みたいに先の人生が短い者は、いまさら修正しなくても良いということだ。

今年の1月だったか、相手さんのいる前で契約書を書いた。住所、氏名等を数か所書いたのだが「達筆ですね。」と言われた。長いこと生きているが、字をほめられたのは生まれて初めてだった。漢字を勉強しだしてからは、続け字ではなく画数を数えるように丁寧に書くことを心掛けている。相手さんは(早いこと書けよ)と内心思っていて、皮肉を言ったのかもしれない。しかし、勉強し始めた頃のノートと今のノートを比較すると、あきらかに上達していると思う。ただし、あくまでも自分比です。本での自習なので、自己満足です。やっと人並みになれた?

2018.04.03
3月下旬、大阪城公園の桜が満開との情報を得た。例年より1週間ほど早いではないか!先延ばしにしていた梅田での用事とセットで行くことにした。環状線の駅はここ数年、大阪・鶴橋・天王寺以外利用していなかった。今回森之宮駅で降りたが、駅構内が美しくなったと感じた。
大阪城公園は小学生の頃以来だから、数十年ぶりの訪問である。公園の入り口近くには植木市がたっていた。奥に懐かしい噴水が見える。(写真参照)真ん中に石組があるが、これは昔無かった。。池を囲む石を見ると、狭間(写真参照)の様な切込みが目に付いた。これは記憶にない。模型の船を作ったら、よくこの池に浮かべに来たものだ。ポンポン船(ブリキ製でローソクであぶって推進)、ヨット、(木製のキットで動力は風)、潜水艦(Uボートのプラモデルだった様な。動力はモーター。)などなど。潜水艦は自動で浮いたり沈んだりを繰り返す機能があった。銭湯の浴槽で試運転したが、狭くて浮き沈みは確認できず、この池でのみ確認できたのだった。
懐かしい大阪城公園の噴水(懐かしい噴水)

大阪城石垣の狭間(大阪城の石垣に彫られた狭間)

大阪城と桜(城も美しくなった気がする)

夏は手作りの専用網を持って蝉取りによく来た。金魚すくい位の大きさに針金で輪っかを作り、お袋の古いストッキングを利用して10〜15cm位の長さの袋を作ってその輪っかに縫い付ける。それを細長い竹棒に取付けると、蝉取り網が完成だ。普通の昆虫採集用の網と比べると、柄の長さは3倍以上あったと思う。蝉の背後からそっと水平に近づけかぶせると、面白い様に取れた。クマゼミを初めて捕まえたのも、大阪城公園だった。外濠で釣りをした事、濠の横に急な長い坂道があって自転車で猛スピードで下るスリルを楽しんだこと、友達と遊びに行って城に登ろうと思ったが、入場料に10円ばかり足らずどこかに落ちてないか皆で探し回り見事見つけたこと、木の幹に巨大ムカデを発見しビビったこと等が浮かんでくる。
この日は平日だったが、すごい人出だった。公園内で一番多いのは中国人ではないかと思うほど、中国語が乱れ飛んでいた。自撮り棒を使って、桜を背景に自身をスマホで撮影する人が沢山いた。
天守閣には登らず大手門から出て、桃園で桃の花を愛で大阪城公園駅へと向かった。

2017.12.30
2017.07.21に書いた通り、4月から漢字の勉強を続けている。小学校で習う漢字が終わり、今中学校で習う漢字を学習している。中学校は、小学校の様に学習する漢字を学年別に分類していない。3年間でこれだけ勉強しろって言うことだ。ということで、1130字を音読みのあいうえお順に勉強している。今225番目の「凝(ギョウ)」まできた。熟語を調べていると凝縮とか凝固とかがあった。「物質の三態」に出てくる言葉だ。懐かしい。凝縮の逆は何だったっけと考える。(答えは「蒸発」。ネットで確認しました。)凝の訓読みに「こ(る)」がある。「こる」?。趣味にこるのこるか。意味を見ると「筋肉がかたくなる。」とあるから、肩がこるの「こる」は「凝る」と書くのだ。趣味にこるの「こる」は?と調べると「凝る」で良いようだ。表外読みに「こご(る)」があった。こごるって何だ?ちょっと考えて、煮こごりを思い出した。棒鱈を煮た次の日は、煮汁が寒天の様に固まっていたっけ。昔は我が家のおせち料理の一品であり、親父の好物だった。子供の頃、年末親父に連れられて、鶴橋へ棒鱈を買いに行ったのを思い出す。親父は若い頃、近鉄鶴橋駅に勤めていた。鶴橋近辺に詳しかったので、隣の区からわざわざ鶴橋まで買い物に行ったのだろう。私は棒鱈を煮たのは嫌いだった。ブリの照り焼きが好物だった。私の正月料理である。ブリと言えば正月料理のイメージがある。当時ブリは普段あまり食べさせて貰えなかったのかも知れない。サバ、塩鮭、イトヨリ等がよく膳に並んでいた気がする。あ!「こご(る)」の話だった。ネットで調べたら「にこごり」は「煮凝り」と書くようだ。「肩凝り」も「趣味に凝る」も「煮凝り」も「凝」だ。私の漢字学習はこんな感じ(洒落)です。こんなに寄り道してるから、絶対来年の3月31日までに予定通りには終わらないだろう。小学校で習う漢字で訓読みの復習をしたら、送り仮名も含めてまだまだ駄目みたいなんで、もう1年続けよう。

2017.12.21
始めてインクジェットプリンターを買うとき、雑誌でお買い得1位だったエプソンの機種を選択したのだった。当時は画質の差が他社と比べ歴然としていた。今はどうなんだろう。あれこれ調べるのが面倒で、結局今回もまた同社のものを買った。そしてデスクトップパソコンを買った。今度はwindows10である。windows7で普通に使えていたホームページビルダー9が、windows8.1(ノート)で一部機能が使えなくなっていた。だから、ついにホームページビルダー21も買うことになった。ホームページビルダー9は10年以上使った訳だが、その間メーカーがIBMからジャストシステムに変わった。そして11月今度はモデムが壊れた。AC電源のモデム側接続部が割れてしまったのだ。このモデムは実に15年近く使っていた。そして今度はIT機器ではないが、石油ファンヒーターが壊れた。これはいつ頃買ったのか記憶にない。買った店は覚えており、今回も同じ店で買った。古いファンヒーターを引き取るサービスも付いてた。この半年、持ち物が次から次に壊れてしまう。今度はいったい何が壊れるのだろうか。ひょっとして私が壊れたりして・・・

2017.10.20
6月、ノートパソンのディスプレーの色がおかしくなった。何が表示されているのかは判読出来るが、画面の色が暗い緑色なのだ。素人の想像だが、赤と青の色が表示しなくなったのではないか?このノートは富士通製で2014年3月に買った。windowsXPのサービスが終了したので買い換えたのだ。タッチパネル、1920×1080ドットで本体が15万円位した。修理代の見積もりは6万円とのこと。友人から「パソコン買える値段やな。」と言われたが、修理を依頼した。パソコンに関しては、NEC、Gateway、小さな会社のビルトタイプと買ってきたが、いずれも使用期間は10年前後で大きな故障などなかった。久しぶりに国内メーカーの高いのを買ったら、使用期間3年でこのざまだ。9月、今度は2006年に買ったデスクトップが起動しなくなった。スイッチを押してもランプが点灯せず、うんともすんともいわない。2014年にXPをwindows7に入れ替えたとき、ハードディスクを1Gから2Gに替えたのだった。このときこれを買った店で、ぼちぼち電源やコンデンサがいかれる時期にきていると言われたことを思い出した。電源がいかれた可能性が高いと思う。デスクトップをどうしようか、と考えている内に1か月が経過した。そしたら昨日、今度はプリンターがおかしくなった。黒がかすれるのだ。ヘッドクリーニングをしたが、インクがドッーと減っただけで改善されなかった。6月から7月にかけて、車検とタイヤ交換で沢山お金を使ったんだけど・・・

2017.08.31
今年も庭にミニトマトを二株植えたのは、5月初めのことだ。ミニトマトを植えるのは今年で3年目である。(口に入る植物を庭に植えたのはミニトマトだけです。)去年・一昨年は1株50円位の苗だったが、今年は贅沢にも1株250円のを使った。買いに行ったとき、安い苗は4株セットでしか販売していなかったので、仕方なく高い苗を2株買った。2株でも食べきれなくて、ご近所に持って行ったり、野菜などを頂く方々に持って行ったりしているので、4株は手に余る。4株セットを買ってその半分の2株を植え、残りはあげるか捨てるかした方が安上がりという計算は私にも出来るのだが、5倍高価な苗で作ったミニトマトはさぞかし美味しいだろうと思い、ためしてみようと思ったのだった。
味の方は、結局差がよく分らなかった。(二種類並べて食べ比べれば分ったのかもしれないが)はっきりと違いが分ったのは皮の厚さだった。250円の方は皮が薄かった。水洗いしてから冷蔵庫に入れて生で食べていたので、皮が薄いと食べやすい気がする。ところが、人間が食べやすいということは昆虫も食べやすい訳で、虫に実を食べられてしまった。ざっくりと1割位虫に食われ穴が開いた。収穫していたら穴から芋虫が顔を出したりしたこともある。50円苗は虫に食べられたことはなかった。皮が厚いので歯が立たなかったのだろう。食用なので、マラソンやオルトランで殺虫するのはまずいだろうと思いネットで調べたら、薬はあるにはあるが高価だった。実の一割は虫にくれてやることにした。穴の開いた実は、堆肥の原料とした。芋虫がアリに襲われたら、復讐になると思った。


写真は、苗を植えてから20日ちょっと経過したもの。黄色い花が咲き、小さな実が2つほど確認出来る。今年は堆肥を鋤き込み、今までより2株の間を広くとって植えた。支柱の本数も増やした。台風の直撃を受け結構傾いたが、倒れはしなかった。さて、来年は50円苗が手に入るだろうか。( ← よっぽど、虫に食われたくないようだ。)
ミニトマト

2017.07.24
2012年8月、北海道稚内から西海岸を歩き出して、今年2017年の7月、やっと鹿児島県の佐多岬に到着した。約5年かかって日本を縦断したことになる。歩いた距離は4768.5kmだ。ただし、これはあくまでもシミュレーションであることを、ここに何度か書いている。初期の頃はたまに6km歩いたが、出勤前に歩いていたので時間的に余裕がなく、コース(4.5km)を固定して、その距離を出来るだけ短時間で歩くように努力した。(自己最速は39分01秒)歩く回数も、初期は15日/月ぐらいだったのが3年目あたりから毎日歩くように勤めた。家を出るとき雨が降っていたら歩かない。当日ハイキングがある時は歩かない。今年5月に葛城古道を20km近く歩いたが、翌日・翌々日は筋肉痛で歩けなかった。風邪をひいても歩けない。朝早く遊びに出る時も歩けない。足を痛めても歩けない。そんなこんなで、2016年は月平均20.8日だった。(白内障の手術で8月は12日しか歩けなかったけれど。)
そもそも、このウォーキングは体重を減らすのが目的だった。途中からボケ防止に、歩きながら300から3づつ0まで引き続ける計算をすることにした。さらに、この計算が終わったら、グーパーを200〜300回繰り返すことも始めた。これは、何十年ぶりかでギターを弾き出したのだけれどGコードやE7コードがうまく押さえられなくて、握力を鍛えることにしたのだ。
体重は変動があるものの、歩き始めた頃と比べると最近は−7kgを維持している。ボケのほうは自己評価で進行が止まっているのではないかと思っている。ギターは上記のコードを押さえられるようになったし、ワイルドワンズのEコードから始まる大バレーの多い「思い出の渚」も余裕を持って押さえられるようになった。

2017.07.21
4月から漢字の勉強をしている。私は書けない漢字が多い。(勿論読めない漢字も多いが。)かつ、筆順がめちゃくちゃだ。(その代表が「右」。分かっていて「左」と同じように書いている。)仕事の場合、ワープロがあったので変換した文字を選択すればそれでよかった。(会議で書記をやらされた場合は、ひやひやだ。)そんなだから、当然字が下手だ。自分で書いたメモが、後で読めない事もたまにある。(下手な上に雑な字を書いているからなおさら読めないねんぞ!)
いつだったかYouTubeで、日本語を勉強している外国の方が、ネットで筆順をチェックしながら漢字の勉強をされているのを見た。すごく感動した。そして日本人である自身を振り返った。「私、あかんやろ!」と思った。漢字の勉強をするぞ!と決心した。
どの様に勉強するのか。先の外国人の方を見習い、ネットを使う事にした。小学校一年生で習う漢字、二年生・・・、三年生・・・と分類されているサイトを選んだ。筆順は、分かりやすい別のサイトを選んだ。私の勉強方法は「書いて覚える」だった。一年生で習う漢字からスタートし、とりあえず目標は中学三年生までとした。音読み、訓読み、表外読み、漢字の意味、部首、熟語をネットからノートに写して覚える事にした。今まで筆順を間違えていた漢字は、筆順を書くことにした。そのためのノートは、昔原料メーカーさんから頂いた「HANDY DIARY 1981」と当時利用していたガソリンスタンドさんから頂いた「HANDY DIARY 1984」。
漢字を覚えると同時に、文字を美しく書きたいと思った。本箱に「みるみる字がうまくなる本」という本があった。新書サイズだが、新しくはなく1999年12月の発行(第16刷)だ。(その頃自分が書いた字の駄目さをなんとかしなければ、と思ったに違いない。だが行動しなかったのだ・・・)ダイソーで、「かんじれんしゅう84字詰」というノートを買った。(漢字を大きく書いた方が、字のバランスを確認しやすいと、どこかで読んだのだ。)筆記用具は万年筆を使う事にした。引き出しに眠っていた万年筆を引っ張り出した。(結果と処置は「2017.05.09」参照)学研の漢和大辞典(昭和54年3月の第5刷)があったが、白川静の常用字解(第二版)を新たに購入した。準備万端整った。きりよく四月一日に「一」の漢字から始めた。小学一年生80文字、二年生160文字、三年生200文字ときて、今日現在で四年生の157文字目「票」まで勉強した。

2017.06.21(2017.05.09の続き)
大学時代のノートを探し出して見てみたら、ブラックとブルーブラックの二色のインクを使い分けて万年筆で書いていることが解った。ということは、パーカーの万年筆の軸が折れたので、プラチナのショート軸を買ったというのは間違いだったことになる。ところが或るページを見ると、ブルーブラックからブラックにだんだん色が変化しているところがあった。ブルーブラックのインクが無くなりそうなので、カートリッジをブラックに差し替えたってことか。無茶なことをしていたのだ。異なるインクを混ぜて使うと、インクが化学変化を起して万年筆にトラブルが発生する可能性があったのだ。さらに頁を繰ってみると、今度はブラックからブルーブラックへとだんだん変化しているところが出てきた。やはり一本の万年筆を使っていたようだ。
それにしても、ノートの文字が私にしては丁寧に書かれていた。そうだ。授業で取るノートと清書用のノートを使い分けていたのだ。清書用のは少し値段の高そうなノートだ。(授業で取ったノートは残っていない。)
ノートにコピーが挟まっていた。私の筆跡では無いし、きっちりとした文字が書かれている。十中八九T君のノートのコピーだろう。彼は私より真面目で、よく彼のノートを借りて写した。極論すると、私が四年で卒業出来たのは彼のお陰だったかも知れない。卒業後、彼とは年賀状の遣り取りだけで一度も会っていない。一度年賀状にノートの礼を書いたおぼろげな記憶があるのだが、直接会って感謝の気持ちを伝えたい。

2017.05.29
我が家の庭にあるエゴノキの花が沢山咲いた。可愛らしい花だ。顔を下に向けて咲いてくれる愛想の良い花でもある。実家にあるハナミズキはエゴノキより花が大きいが、愛想が悪く顔をツンと上に向けて咲く。以前、我が家の毒を持つ植物について書いた(2015.11.20)が、エゴノキも少々問題があることを最近知った。
現在では全面的に禁止されているが、植物を利用した魚毒漁法というのがあり、昔は地域ごとに、色々な植物が魚の種類によって使い分けされていたそうだ。エゴノキの実には、サポニンが含まれており、これが魚を一時的にマヒさせるのだそうだ。潮の引いた礁間の溜まりに実を潰した汁を入れてかき混ぜると、隠れていた魚がマヒして浮かんでくるという。潮が満ちてくると魚は元通りになり、サポニンも薄まってやがて分解するそうだ。魚毒漁法というより、魚麻酔漁法に近いと思われる。
エゴノキという名前を知ったのは、2015年だった。万葉の会で竹之内街道を歩いたが、昼食をとった公園に白い花が沢山咲いている木があった。公園には万葉集に歌われた植物の掲示が方々にあったが、この木の名前が解らず、帰ってからネットで調べたら「エゴノキ」だった。我が家のエゴノキは、ヤブサンザシ(15.04.09)の近くにはえていた。中古の家を買ったときには無かったようにおもう。長い間庭をほったらかしにしていた間に一人ばえしたのかもしれない。しかし、自分の家の庭に3m以上の木が生えていたのに気がつかないなんて、2015年に初めてその木の名前を知った事よりひどい話だと自分で思う。
エゴノキの花

2017.05.09
ある理由で、万年筆を何年かぶりに使おうと思ったが、インクが固まって書けなかった。3月下旬、梅田のMARUZEN&ジュンク堂書店内に行ったおり、2階に万年筆を置いているお店があり聞いてみた。「超音波洗浄が出来るので、持ってきてください。」とのことだった。念のため帰ってネットで調べてみたら、10年間放置した万年筆でも水に一晩付けておくと書けるようになる可能性があるとの記事があった。常温よりぬるま湯の方がいいだろうと思い、少し湯を入れて水温を少し上げ、インクカートリッジを外した先っぽを浸けてみた。黒い液が出てきてぬるま湯が真っ黒になった。2度3度水を変えてもまた真っ黒になった。さらに水を替えて浸漬したまま一晩放置。翌日も水を替えて浸漬、最後は、インクカートリッジを挿すところから息を吹いても黒い水が出なくなった。
インクカートリッジは三箱残っていた。一箱は濃いグレーに白抜きの文字で、「SPARE INK BLACK」「10本入り\300」とある。カートリッジは5本残っていた。黒地に白抜きの文字のものが二箱あった。「10本入り\400」とある。二箱の内、一箱は10本丸々残っていた。もう一箱は4本残っていた。黒い箱のものは、近所の文房具屋で買った記憶がある。「プラチナのインクカートリッジありますか?」って聞いたら、「プラチナのカートリッジはもう作っていない。」との返事だった。「????・・」「長い方なんですけど。」「それなら作っている。」といっても在庫がなかったので、二箱注文したのだった。そういえば、以前使っていた万年筆(シルバー色)はプラチナ製の短いカートリッジ(今の半分位の長さ?)のタイプだった。
万年筆を使いだしたのは高校からだった。親戚の方から高校の入学祝に、パーカーの万年筆・ボールペン・革のペンケースをセットで頂いたのだ。胴部に私の名前が刻まれていたのだった。(シャープペンがセットに入っていたのか覚えていない。)万年筆は、日記を書くのに使っていた。しかしこの万年筆が折れたので、プラチナのシルバー色のを買ったのだった。このシルバーの万年筆はどうなったのか記憶に無い。
洗浄が終わった万年筆にカートリッジをさして、字を書いてみた。久しぶりに使ってみて、なんか書き味がすごく気持ちよかった。万年筆ってこんな気持ちのいい書き味だったのだ。書いた字自体は気持ちよくなかった。

2017.04.04
小学校低学年の頃家族で、一泊二日で淡路島に行った。当時明石海峡大橋は無く、船で渡った。たぶん大阪南港あたりから出航したと思う。淡路島に着いた時の第一印象は蛸だ。天日干しで蛸の干物を作っているのが、方々で目に付いた。蛸の干物など、生まれて初めて見たのだと思う。竹ひごで蛸を広げて干している姿は、糸さえ付ければそのまま空へ舞い上がりそうだった。うん十年経った今でも、淡路島というとその場面を思い出す。私は、低学年の時はまだ泳げなかったと思う。砂浜であそんだり、水に浸かったりしていたのだろう。そうだ、20cm位のクラゲがたくさん浮かんでいたのを思い出した。クラゲは固めの寒天のような触感だった。二日目も海に行ったが、、途中気持ちの悪い生き物を見てしまった。胴体の幅が4〜5cm位で大きなムカデをひっくり返した様なイメージだった。足が沢山あった。生きていたのか、死んでいたのか覚えていない。とにかくゾッとして、それからは海に入ることが出来なかった。今から思えば、それはシャコがひっくりかえっていたのかも知れない。
旅館の部屋は二階か三階かだったと思う。窓からは海が見えた。窓際に小さなテーブルと椅子が二つほど置かれていた。いよいよ旅館を引き上げるという頃だった。弟がその椅子に座ろうとしたとき、私が椅子を引いた。弟はドスンと尻餅をついて泣き出した。弟は水筒を肩にかけていた。当時魔法瓶と言っていた奴で、内部はガラス製だ。床に当たったショックで割れて、お茶が流れ出た。さらに弟は泣いた。
帰りは違う航路を使った様で、船を下りてから見知らぬ鉄道に乗った。海水に浸かりすぎたのか、弟を泣かせたバチが当たったのか、お腹の具合がおかしくなってきた。辛抱出来なくなり途中下車してトイレに行くはめになった。次の電車が中々来なかった記憶がある。怒られはしなかったが、両親の不機嫌そうな顔を今思い出した。弟はその時どうしていたのか思い出せない。

2017.02.17(2月5日の続き)
名張市民センターを拠点とする絵画グループが主催されたようだった。定期的に(年に1〜2回位?)開催されているようだ。会場に余裕があるので、我々にもお声がかかったのだろう。(感謝)私は名張市民センターに来るのは初めてだった。会場は二階だった。押入れをひっくり返してイーゼルを探し出し持参したのだが、頑丈な立派なイーゼルが部屋の四辺にびっしり並んでいた。部屋に入る前、「よろしくお願いします。」と挨拶された女性がモデルさんだった。その時はクラブの方?市民センターの方?などと想像ていた。参加メンバーは男女半々位だったか。10時にモデルさんが入場してきた。モデルさんが何種類かポーズをとられて、その中から二つをメンバーが選んだ。一つのポーズは、休憩10分をはさんで連続20分、計4回おこなわれる。従って80分で一枚を完成することになる。初めての経験なので、なんか凄く焦った。1枚目の立ちポーズは添付写真の通りです。向かって右側の腰の線は、先生の手が入っています。昼の休憩が1時間あり、13時から午後の部がスタート。今度は座ったポーズだ。こちらは、午前の部の立ちポーズに比べて上手く描けなかった。(従って画像はアップしない。)お腹の線に違和感が残った。回り込んで違う角度から見たら分るのかもしれないが、簡単に移動出来るスペースは無い。午後の部は慣れたのかほんの少し時間的に余裕が持てたが、初体験のヌードデッサン、全体的にはあっと言う間に終わってしまった。集中していたのでしょう。
ヌードデッサン

2017.02.05
 中学では、最初陸上部に入った。(小学校の頃結構短距離が速かったので。)しかし練習がしんどくて直ぐに辞め、2年生の夏休みまで美術クラブに入っていた。中学の美術クラブで何をしていたのか、まったく思い出せない。まじめに活動しなかったのかも知れない。その後半年ほどブラスバンド部でトランペットを練習した。途中でトランペットからコルネットに変更されたが、吹き方は一緒。3年生になり、受験ということで部活は辞めた。
 高校は、ギターを弾きたくて弦奏クラブに入った。入ってまずギターコードを練習した。Fのコード等が弾けるようになって、マンドリンの伴奏をした。その頃には、フォークソングの弾き語りが出来るようになっていた。(当時カラオケはなかったように思う。)弦奏クラブはマンドリン部とスチールギター中心の軽音楽部に別れていた。ドラムをたたく3年生が卒業するので、小学校の頃鼓笛隊で小太鼓をたたいていた私がドラムを受け持つことになる。ギターに未練はあったが、コードが弾けるようになったからまあ良いかと思った。2年生の文化祭で、クラス対抗合唱コンクールがあった。課題曲『泉のほとり』(「泉に水汲みにきて 娘らが話していた・・・」というやつ)と、クラスで選んだ『エーデルワイス』(「Edelweiss Edelweiss Every morning you greet me・・・」というやつ)の2曲を歌う。エーデルワイスは、私がギター伴奏をすることになった。なぜそうなったのか覚えていない。ピアノを弾ける女子がクラスに居なかったのだろうか。曲に自分の弾きやすいコードを付けて、アルペジオで伴奏した。当時私が持っていたギターは、中学生の時に誕生日だったかクリスマスだったかのプレゼントでもらった5000円ほどの安物だった。それでも優勝しました。合唱が良かったのでしょう。
 大学では美術クラブを選んだ。ここで絵の基礎を学んだ気がする。アトリエという本を買って、木炭で石膏像のデッサンをしたり、透視図法を学んだりした。数人連れ添ってヌードデッサンに行く者もいた。誘われるのだが、私は行かなかった。「逃げの○○(苗字)やなぁ。」とそのたびに言われた。どうしても行けなかった。どんな顔をして描けば良いのか、とか思ってしまう。また、私はのぼせて顔が赤くなるたちだ。真っ赤な顔をして描いていたら、仲間に何を言われるかわかったものではない。
そんな私に、昨年11月ヌードデッサンをする機会があった。(続く)

2017.01.04
以前母から聞いた話だ。母が十代以前の頃だろう。大晦日に叔父(母の弟)が友達と連れ立って歩いて三輪さんまで火をもらいに行ったという。火縄で火をもらって帰り、その火でお雑煮を炊いたという。この話を聞いた時、京都八坂神社のおけら詣りを連想した。(さらに、ザ・ピーナッツの歌の一節「おけら火くるくる急いで帰ろ」を思い出した。タイトルは思い出せなかった。舞子さんを歌った曲だったと思う。)京都八坂神社のおけら詣りは、風物詩としてニュースにとりあげられたり、鶴田真由さんが芸者役で出ていたドラマでもあった。しかし、三輪さんでおけら詣りがあったのだろうか。母の話は半信半疑だった。

ここで話は1年前に飛ぶ。
名張市郷土資料館で山ノ神等に関する特別展示をしているという情報があり出かけた。山ノ神のある物を期待していたのだが、あいにくその展示はなかった。しかし、上小波田の火縄に関する展示と動画があった。抜粋要約すると以下の通りである。

●竹製の火縄は火が消えにくく長持ちし、材料も手頃と重宝されているという。(以前TVで、湿度に強いと聞いた記憶もある。)

●上小波田火縄生産戸数
昭和20年(1945)頃 約25戸(全戸数の半数)
昭和54年(1979)  14戸
昭和62年(1987)  11戸
平成26年(2014)   1戸(御夫婦お二人で製造されている)

●昭和62年火縄出荷先
上小波田火縄組合 出荷合計 約6000本(1本3m30cm)
【内訳】
京都 八坂神社 約5000本(江戸時代から小波田の火縄が使われていた)
奈良 三輪明神  約600本
兵庫 左義長用  約200本
愛知 銃砲店   約200本

●平成26年火縄出荷予定
上小波田火縄組合 出荷合計 約2200本
【内訳】
京都 八坂神社 約2000本
愛知 銃砲店   約200本
(以上2016年1月名張市郷土資料館特別展示によります)

「奈良三輪明神」の文字があったのだ!
京都八坂神社の朮火に使われる火縄

京都八坂神社のおけら火に使われる火縄
(名張市郷土資料館に許可を得て特別展示物を撮影)

2017.01.01
あけましておめでとうございます。今年も『uziの神社参拝記』をよろしくお願い申し上げます。

今日もお決まりのコースを歩いた。正月だから休もうかと少し頭をかすめたが、いや正月だからこそ歩かなければ駄目だと、今年のウォーキングの決意を新たにする。外はまだ暗い。よく出会う、大きな犬を連れた男性と朝の挨拶。本当に大きい犬だ。じゃれるつもりでも飛びかかられたら、私は間違いなくひっくり返るだろう。だからだろう、男性は近づく人を認めると反対の歩道の方へ移動される。歩くのが速い女性とも出会った。彼女は左回り私は右回りで歩いているので、たまに2回出会う事がある。2回出会ったとき、一度挨拶が済んでいるので無言で擦れ違うのだが、これがどうもひっかかる。近くに顔見知りが歩いていたら、「彼女には挨拶をしないのか?」と思われないか、なんて考えてしまう。本日顔なじみにお会いしたのは、このお二人だけだった。
日本列島縦断シミュレーションをしていることは、前に書いた。2012年8月稚内を出発し西海岸を南下して、長崎の長い海岸線も終わり、現在熊本を歩いていることになる。お決まりのコースでの累計歩行距離が、今日で4147.5kmになった。本日の4.5km歩行時間は39分37秒と、ひさしぶりに39分代が出た。

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