参道入り口
境内入り口
割拝殿のように見えるが、向かって右手が社務所
拝殿
本殿の千木鰹木が見える
祭神
饒速日命【にぎはやひのみこと】(邇芸速日命・藤白鈴木氏の氏神)
熊野坐大神【くまのにますおおかみ】(家津御子大神【けつみこのおおかみ】・本地 阿弥陀如来 熊野本宮)
熊野速玉男神【くまのはやたまおおかみ】(伊弉諾尊【いざなぎのみこと】・本地 薬師如来 熊野新宮)
熊野夫須美神【くまのふすみのおおかみ】(伊弉冉尊【いざなみのみこと】・本地 千手観音菩薩 熊野那智山)
天照大神【あまあてらすおおかみ】(藤白王子若宮・本地 十一面観音)
祓戸大神【はらえどのおおかみ】(祓戸王子社から合祀)
事解男神【ことさかのをのかみ】 玉依毘売命【たまよりびめのみこと】
楠神社 |
こちらが御神体? |
和歌山の神社では、楠の巨木をよく目にする。(ような気がする。)
東の入り口の鳥居 |
東の入り口の鳥居左手にある石碑 境内掲示 「三熊野一の鳥居」 「これより熊野路のはじめ」と書かれた石碑です。 「熊野三山の入口」といわれた所以です。 |
円座石 境内掲示 円座石(わらうだいし) 形が亀に似ているので亀石ともいう。その昔、藤白浜にあったもので藤白王子の御旅所(お休み所)といわれていた。大酒家が酒を断つために、この亀石に酒を飲ませて祈願すれば酒嫌いになるといわれ、今は深酒を心配して健康を祈る家族の姿が、時折見られる。 |
巳神社 (左下隅に円座石の注連縄が見える) |
「円座石」「わろうだいし」で検索してみると、熊野古道大雲取越ルートにも円座石があるようです。(というか、こちらの方が有名?)円座【わろうだ】とは、ワラ等を渦巻き状に編んだ丸い座布団のことだそうだ。大雲取越ルートにある円座石の上面には円形の模様がいくつもあり名前の由来となっているようだ。また、その石には熊野三山の本地仏である阿弥陀、薬師、観音をあらわす梵字が刻まれており、その仏さん達がここに座って会合しているという。(Kumano Photo Gallery)
藤白神社の円座石は、藤白浜にあった当時御旅所になっており、神様がこの石に座って休まれたことから円座という名前が付いたのだろうか。
摂末社としては、巳神社の他に、恵比須神社、祇園神社、住吉神社、秋葉神社、塩竃神社、松尾神社を祀る。
有間皇子神社
境内掲示
有間皇子【ありまのみこ】神社由緒
今から千三百数十年前、孝徳天皇の皇子であった有間皇子は皇位継承をめぐる複雑な争いの中で、十九才の若さで散っていった悲運な方です。政敵であった中大兄皇子が蘇我赤兄をさそい有間皇子に天皇に謀反をすることをすすめました。うまく、わなにかかった皇子はその釈明のために牟婁(白浜)の温泉にいる斉明天皇のところに参り、その帰路この藤白坂で絞殺されてしまったのです。
途中で皇子の詠まれた
”家にあら(れ)ば 笥【け】に盛る飯【いい】を 草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る”
”磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸【さき】くあらば また還り見む”
の二首が万葉集にのせられていますが、絶唱として、ひとびとの涙をさそいます。
ここから二00メートル西の藤白坂の上り口に、皇子の墓と佐佐木信綱博士揮毫の歌碑がありますが、有間皇子神社はその御魂をお祀りしております。境内の歌碑(雑賀紀光筆)と、歌曲碑(打垣内正作曲)の
”藤白の み坂を越ゆと白たへの わが衣手は ぬれにけるかも”
の歌は、それから四十三年後、持統、文武紀の温泉行幸の途次、お伴の人が皇子への同情と追慕から詠んだもので、これも万葉集にのせられています。
藤白王子権現本堂
境内掲示
藤白王子権現本堂
往古「藤白五躰王子」【ふじしろごたいおうじ」の神宮寺として栄えた中道寺の熊野三所権現と藤白若一王子【ふじしろにゃくいちおうじ】の本地仏(熊野路で唯一現存する最古の造像といわれる)を祀る。
熊野本宮の阿弥陀如来坐像、
熊野速玉の薬師如来坐像、
熊野那智の千手観音坐像、
藤白若一王子の十一面観音立像は和歌山県指定文化財である。
いずれも熊野詣で【くまのもうで】が旺んであった平安末期の造像である。
熊野の入口を護る毘沙門天と不動三尊も祀る。
home 作成:2013.09.20