葛木坐二上神社【かつらぎにいますふたかみのみやしろ】(奈良県葛城市當麻町)

奈良側より二上山を望む

二上山は、雄岳(517m)と雌岳(474m)が並びたつ特徴的な美しい山容を呈する。
当社は、その雄岳頂上に鎮座する。
(写真は檜原神社(奈良県桜井市)前より撮影)
(二上山登山記はこちら




葛木坐二上神社社殿

社殿




御神体の木

本殿は無く、木が御神体となっている

祭神
豊布都御霊神【とよふつみたまのかみ】 あるいは武甕槌命【たけみかづちのみこと】
大国御魂神【おおくにみたまのかみ】 あるいは大国主命【おおくにぬしのみこと】

『延喜式』神名帳の葛下郡【かつげぐん】に「葛木二上神社二座 大。 月次新嘗」とある。延喜の制では、祈年祭のほか月次祭・新嘗祭にも官弊に預かる大社に列せられている。『三代実録』貞観元年(859年)正月条に従五位下から従五位上へ昇叙されたとある。
古代人は男女の二神に見立てて畏敬したものと思われる。『延喜式』神名帳に二座とあるのも、そのことを示しているのであろうが、いつ頃から山頂に鎮まるようになったのかは明らかではない。いつしか祭神も男女の山神ではなく、豊布都霊神と大国魂神、あるいは武甕槌命と大国主命の二神とされるようになった。これら石上神宮【いそのかみ】、大和神社【おおやまと】、大神神社【おおみわ】各社に鎮まる神々が当社の祭神となったのは、大和平野の東辺に鎮座する有力古社三社に対応する神社として、当社が意識されたことによるのであろう。
また、『西国名所図絵』(嘉永元年(1848年)刊)に「葛木二上神社二座、二上山の男嶽の絶頂にあり、今権現と称す。『延喜式』神名帳に出づ。・・・・・・」とあるが、このように当社が権現と言われたのは、中世以降、當麻寺【たいま】が祭祀を掌ったことによると考えられる。二上山に沈む夕日は、西方浄土の信仰と結びつく。観経浄土変相図(當麻曼荼羅)を祀って曼荼羅信仰の中心となった當麻寺は二上山の東南東の麓に位置し、また、わが国浄土教の開祖、源信こと恵心僧都【えしんそうず】も、現在の香芝市良福寺に生まれ、二上山の入日を見て「山越しの阿弥陀像」を描いたといわれる。
(『日本の神々4 大和』による)




大津皇子二上山墓

大津皇子二上山墓




大阪側より二上山を望む

大阪側より二上山を望む
(あべのハルカスから)



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home   作成:2014.12.20