ウージーの雑(な)文


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2022.10.29
友人Fさんから、"ふれあいの森"にアサギマダラが来ているとの情報を得た。早速、出かけた。ひさしぶりの"ふれあいの森"ウォーキングだったが、目的がアサギマダラなので、定番のシャックリ道は使わず入り口のNo1をめざした。さらに歩くと、中央広場No4にフジバカマの花壇がある。先客が二名おられて、写真を撮られていた。4,5匹のアサギマダラが舞っていた。(蝶を数える単位は匹ではないかも、と思い調べたら”頭”だった。頭よりは匹の方がましだと思う。)先客の方が、「1週間前はもっと沢山いた。」と言われた。30分位蝶の追っかけをしていたら、先客二名の方が見えなくなり、新に女性一名が来られた。飴を数個頂く。飴を口に入れながら蝶の追っかけを再開する。撮影した中で一番ましなのが右下の写真です。柵から顔を出していた花に留まってくれたので、わりと大きく写す事が出来た。(ただし右下の写真はトリミングしています。)私のレンズではこれが限界で、これ以上近づいたら逃げられます。このまま帰るのはもったいないと思い、展望台まで登ることにした。No15から登るのは初めてだ。ここから登ると、予想以上に楽だったので、もう少し歩こうと思いNo5まで行きフジバカマの花壇のあるNo4に後戻りした。アサギマダラは2匹ほどに減っていた。少しねばってみたが、良い写真が撮れなかったので、入口No1を経由して帰宅した。

最下段の写真:「2022.10.19」に書いた「春の声」が入ったレコードのジャケット
ふれあいの森のmap アサギマダラとフジバカマ

ウィンナワルツのレコードジャケット


2022.10.19
 クラシックを聴きだしたのはいつ頃だろうか。中学校の2年生だったか、音楽の時間にクラシックのレコード鑑賞をしたのを覚えている。音楽の教科書にもバッハの「管弦楽組曲二番ロ短調」やメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」等が出てて、数小節のサビの部分の楽譜も掲載されていた。自宅に帰ってから、縦笛でそのメロディーを吹いていたっけ。ベートーベンの「交響曲第6番 田園」も鑑賞した。楽章ごとに異なる情景が表現されてると教わった。
 下の添付写真はその楽曲が入ったレコードのジャケットだ。クラシックの入門として、中学の音楽の時間に鑑賞した曲からレコードを買いだしたのだった。左下は「運命」・「田園」とシューベルトの「交響曲 第8番 ロ短調 未完成」が入っている。「運命」・「未完成」は、寺内タケシがエレキギターでロック風に弾いていたのを聴いていた。それで本物を聴こうと、このCBS SONYのギフトパックを買ったのかもしれない。ギフトパックはレコード2枚組で厚紙の箱に入っている。当時1枚だと大体2000円したが、ギフトパックは2枚組で立派な箱に入って3000円だった。右下の「名曲ダイジェスト・ベスト100」は、そのギフトパックに付録で入っていたものだ。それまで聴いた事が無いクラシックのレコードを買う時に、大いに参考になったレコードだ。したがって、クラシックのレコードはCBS SONYのものが多い。「名曲ダイジェスト・ベスト100」が入ったビニールの袋には「ミドー楽器店」と書かれている。(なつかしい。)ミドー楽器店は、京橋駅近くの京阪モールと千林商店街にあったレコード取扱店だ。学校の帰りに買っていた。レコードを買うと、このしっかりとした厚てのビニール袋に入れてくれたのだ。
 クラシックを最初に聴いたのは小学校からだと思い出した。一つは「トルコ行進曲」(モーツァルトの方)だ。この曲を聴くと、小学校の給食を思い出す。給食の準備の時から鳴らされていたのか、食べてる時に鳴らされていたのか、それとも両方か、どれにしても「早よしろよ!」と急かされているような曲だ。六年間聴かされ続けたので、ひょっとしたら、メロディーを聴くだけで胃液が出たりして・・・。(「ハバロフの犬」です。)
 もう一つは、ヨハン・シュトラウスの「春の声」だ。ウインナ・ワルツといえば「美しく青きドナウ」だが、私の場合は「春の声」だ。小学校の高学年頃だったと思うが、親父がコロンビアの一体型(スピーカーとアンプ・ターンテーブルが繋がったタイプ)ステレオを買った。そのステレオに付録のレコードが付いていた。小学生の私はそのレコードを何度も聴いた。その中の一曲が「春の声」だったのだ。
 クラシックを意識しないで聴いていたこともあると思う。映画だったり、コマーシャルだったり、フィギアスケートだったりにクラシックはよく使われていると思う。
バッハの組曲二番ロ短調が入っているレコードジャケット メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調が入ったレコードジャケット
     
ベートーベンの交響曲五番運命・六番田園、シューベルトの交響曲八番未完成が入ったレコードのジャケット ギフトパックの付録レコード

2022.09.25
私が持っているLPレコード(100枚弱)の洗浄をほぼ終えた。吉田拓郎2枚と童謡2枚がまだ残っているが、もう洗浄はせんで良いだろうと思ってそのまま置いてある。
友人から借りた拓郎のLP『元気です』が気に入って、オープンリールデッキで録音したっけ。Wikipediaで調べたら「旅の宿」「たどり着いたらいつも雨降り」「夏休み」「祭のあと」「春だったね」など今でもカラオケで歌えると思える曲が入っていた。当時はカラオケが無くて、楽譜(『たくろう・おん・ステージ』ドレミ楽譜出版社)を買ってギター伴奏で歌っていた。拓郎の歌が気にいって、LP『人間なんて』『ともだち』を買ったのだった。この二枚の中で歌えるのは「結婚しようよ」位だろうか。童謡のLPの1枚は、子供のために買った『おかあさんといっしょ』(NHK)だ。ジャケットに書かれた曲のリストを見ていてメロディーが浮かんだのは「バナナのパパはパパバナナ・・・」だけだった。童謡のもう1枚は親父が買った『ローズちゃんの童謡集』。歌っているのは勿論コロンビア・ローズだ。しかも初代の、だ。さすがにこれは全部歌えるだろうと思ったが、「夢のお馬車」がちょっと無理か。
 グリークの『ペール ギュント』(下段・左の写真)を洗浄後(2022.07.31)聴いていて、思い出した。このLPはTさんに頂いたのだった。出張の任期が終わり本社に戻られる時に、「私はいいから、聴いていて。」と言われたのだ。(そして想い出は、芋づる式に次から次へと浮かんでくる。)20歳代の頃、私は社宅にステレオを持ち込んでいた。大阪本社の技術部からこられて社宅に入られたTさんは、クラシック音楽が好きで、夕食後よく聴きに来られた。当時クラシックレコードがどの位あったかは不明だが、今数えてみたら40枚ちょっとある。ペールギュントの「ソルヴェイグの唄」が特に好きだと言われて、その唄だけでいいから聴かせて、と言われる事もあった。今通して聴いてみて、たしかに「ソルヴェイグの唄」だけノイズが多い感じがした。レコードプレイヤーの針を目的の位置に下ろすのは難しいのだ。私自身は「ソルヴェイグの唄」も好きだが、「朝」も好きだ。
 Tさんとは、社宅から歩いて行ける距離にある小学校のプールへ退社後泳ぎに行ったことが数回あった。また、小学校だか中学校だか忘れたが、夜間にバトミントンの講習会があって二人で通った事もある。指導する人が2〜3人いたようだが、Tさんの力量に気が付いた指導員が、Tさんに指導員として参加するように頼んでいた。後に、Tさんは学生の頃にバトミントンをされていたと聞いた。プールへ泳ぎに行った時も、Tさんは色々な泳ぎ方をされて、しかもフォームが美しかった。また、スピードが半端なかった。ちなみに私は、平泳ぎと犬かきしか出来ない。Tさんに関するエピソードは沢山ある。両手を使って文字を書くとか、一番衝撃的だったのは、Tさん御夫婦とTさんの弟御夫婦の話だった。内容はここでは書けない。
 下段右のCDは、レコードが聴けなくなってから買ったものだ。「ソルヴェイグの唄」や「グリーンスリーヴズ」が入っていたので衝動買いした。おもに車で聴いていた。
ペールギュントLP 「ソルヴェイグの歌」が入ったCD

2022.09.03
ウォーキングを連続的に続けて10年が経った。2012年7月頃から始めたのだが、真夏なので涼しい早朝に歩く事にした。当初コースが3〜4種類あったが、通勤していたこともあり一番短い4.5kmで続けることにした。三日坊主にならないために、2012年8月26日から歩いた距離を記録し、道路地図とリンクして、日本列島ウォークシミュレーションをした。短い距離を選択したため運動量が減ると思い、出来るだけ早く歩く事を心掛けた。腕時計にストップウオッチ機能があったので、2012年9月5日から歩行時間も測定することにした。その記録をグラフ化したのが下図だ。
 ・2012年と2022年は、1年を通じての記録が無いので省略している。
 ・一番遅かった記録は2012年9月5日の「48分22秒」(これ以前は時間未測定)、一番早かったのは、2019年1月26日の「37分57秒」だ。
 ・歩いた回数が一番少なかったのは2018年9月の4回、最も多かったのは2016年3月・2019年9月・2020年8月の28回。
 ・2018年9月の歩行回数4回はサボった訳ではなく、帯状疱疹を発症していたため中止したのだ。歩行記録には2018年8月17日から「右胸の痛み」が記録されている。8月24日からは「右脚痛み」が追加されている。8月27日には「右腕付け根周り痛み」と「水泡出来る」と記録がある。水泡が出来たので皮膚科へ行ったら、帯状疱疹と診断されたのだ。病院へ行った日の記録はない。9月28日「水泡消えたが跡が残っている」との記録がある。
 ・下図のグラフの緑の線(2018年)を見ると、結果論だが7月位から体調が悪くなっていたのかもしれない。
 ・緑の線は9月をピークに、12月に向けて急降下してる。帯状疱疹の副作用(薬の副作用?)で便が柔らかくなり、体力が回復し体重がだんだん減って行ったことが影響したのだろう。(体重4kg減)2019年の濃いブルーは体重がだんだん増えて元に戻って行った結果と思う。

日本列島ウォーキングシミュレーションは、北海道稚内を出発点として本州・九州の西海岸を歩き、鹿児島の佐多岬(累計4764.1km)で折り返し、東海岸を北上した。瀬戸内海沿いを進み明石海峡大橋を渡り、淡路島西海岸・大鳴門橋・四国一周・大鳴門橋・淡路島東海岸・明石海峡大橋を渡って本州に戻り北上した。(青森県大間町から函館間の往復距離はフェリーを使い歩行距離に含まない。)北海道に戻ってきて函館から東海岸を歩き、今、知床峠を越えて知床五胡へ向かっている。(累計11335.2 km)

最近歩くスビードが1分位遅くなった気がする。稚内に到着して日本列島一周が完了したら、記録を付けるのやめて、もっと自由に歩こうか。

年別月平均歩行時間


2022.07.31
プリメインアンプとレコードプレーヤーを買って、一番最初に聞きたいと思ったレコードは、『サンタナ 天の守護神』だった。ブラック・マジック・ウーマンはYouTubeでも聞くことが出来たが、他の曲は聞けなかったのだ。おもむろにジャケットからレコードをとり出したら、盤表面が粉を振りかけた様になっているではないか。(例:写真中央)恐らくカビだろう。ひどいのは、指先大ほどの大きさのものもあった。長いあいだ置いたままだったから、当然といえば当然だった。最初レコードクリーナーやメガネクリーナー(液併用)で拭いてみたが、めちゃくちゃ手間がかかる。ネットで調べてみたら、「LPレコードクリーニング用ラベルプロテクター」(写真左)なるものがあることを知った。これなら丸洗い出来ると思い、さっそく購入した。3〜5万円出せばレコードを洗うための超音波洗浄機まであるが、私はなるだけ手間がかからず、お金もかからない方法で洗うことにした。「ド素人が何しとんねん!」と言われそうなので、具体的な洗浄方法は書かない。(右の写真を見たら想像がつく?)

下段の写真は、喜多朗のLP『絲綢之路』だ。【しちゅうのみち】とかながふられているいるが、NHKの番組シルクロードで使われた曲が入っている。このLPはカセットに録音して、車でよく聞いていた。レコードで聞くことが少なかったのか、このLPは見た目カビが無かった。それで洗浄せずにレコードを聞いたら、針飛びした。上記の方法で洗浄し、再度レコードプレーヤーにかけたら、問題なかった。そのため、見た目に関係なく全てのレコードを洗浄することにした。洗浄して乾燥後は、必ずA・B両面を聞いて異常がないか確認した。
LPレコードクリーニング用ラベルプロテクター レコードにカビ レコードの洗浄

喜太郎のLP


2022.06.26
五月は小さい盤を紹介したので、今回はLP盤(直径30cm)を紹介する。持っているLP盤は100枚以上あると思うが、以下の2枚のジャケットがお気に入りだ。
上は「ブラック・マジック・ウーマン」が入っているサンタナのLP「天の守護神」のジャケットだ。初めてブラック・マジック・ウーマンを聞いたのは、今里(大阪市)にあったバイト先で仕事をしていた時だった。ラジオから、絡みつくようなエレキギターの音がラテンのリズムに乗って流れてきたときは衝撃を受けた。そく購入した。ブラック・マジック・ウーマンだけではなく、他の曲もよかった。
下はマイルス・デービスの「ビッチェズ・ブリュー」のジャケットだ。ジャケットを開いた写真を上下に並べていたら、今、初めてある事に気が付いた。上の写真の左側に仮面をかぶった三人が並んで立っているが、その中央の人と、下の写真の左側の人が似ているではないか。(顔の角度とか服の柄とか)ひょっとして同じ作家が描いた絵ではないだろうか。50年ぶりに気が付くとは・・・。ビッチェズ・ブリューを買ったのは、たぶんジャズ雑誌の評を読んだ結果だったと思う。初めて聞いた時は、クラシック音楽形式の様だと思った。万博公園でのコンサートを聞きに行ったチックコリアも、参加している。2枚組のアルバムだが、YouTubeで全曲聞くことが出来る。
が、しかし、実は、最近私はプリメインアンプとレコードプレーヤーを買ってしまった。「サンタナ 天の守護神」と「ビチェズ・ブリュー」も、YouTubeではなく下のレコードで聞いているのだ。

サンタナのLPジャケット

マイルスのLPジャケット


2022.05.29
 私が持っているレコードは、30歳未満に買ったものがほとんどだ。そんな古いレコードを引っ張り出し、ジャケットを眺めていたら無性に聞きたくなった。しかし、オーディオ機器のほとんどを昨年から今年にかけて処分してしまったので聞くことが出来なかった。

 小学生低学年の頃親父がステレオを買った。(2021.06.27のレースをかぶっているのがそれ)マヒナスターズのLPや、「鉄道員」「禁じられた遊び」等のサウンドトラック盤EPレコードが十数枚あって、親父の居ない時でもかってに聞いていた。
 TVでシャボン玉ホリデーやザ・ヒットパレードを見ていて、ザ・ピーナッツの唄が聞きたくなったのだろう。小学生の私は一人で左のレコードを買いに行った。中央は中学生の頃に買った最初の洋盤だ。右は高校生の頃買ったものだと思うが、ドーナッツ盤の中で、ジャケットを見て唯一メロディーが浮かばなかった一枚だ。YouTubeで調べてみたら右のジャケットが載った動画があり、聞いてみた。聞くとメロディーを思い出した。良い曲だ。左と中央は、大阪JR玉造駅近くの日之出通商店街にあるレコード屋で買った。十数年前だったか、日之出通商店街を歩いたことがある。小学生の頃、よく本を買いに行った店がまだあることを確認したが、レコード屋はチェックしなかった。目に入ったら懐かしく思うだろうが。「白い十字架」は上野(現伊賀市)の正札屋かサワノ楽器のどちらかで買ったのだろう。

下段のレコードジャケットの写真は、3枚とも高さを400dpiに縮小している。実際の大きさは左のピーナッツが一辺約26cm、真ん中と右は一辺が約17cmだ。「レコードは大きく分けるとLPとEPに別れる」と書かれていることが多い。LPは直径が30cmあり33rpm、EPは直径17cmあり45rpmの回転で再生する。ところが、左のザ・ピーナッツのレコードは直径が26cmだ。EPと同じ17cmで33rpmで再生するのもあれば、LPと同じ30cmで45rpmで再生するものもあり、それらはどの様に分類するのか調べても分からなかった。
ザ・ピーナッツ ビートルズ 白い十字架

2022.04.20
 ミュシャ風の絵を描こうと思いました。右端の「LILIUM」は2014年に描きました。真ん中の「CHERRY BLOSSOME」は2017年です。この頃、年賀状に自身の絵を載せることが多くなりました。2022年の年賀状に何を載せようかと悩んでいたとき、だいぶ前に桜の写真をシリーズで載せていたことを思い出し、桜をテーマとした真ん中の絵を載せることにしました。真ん中「CHERRY BLOSSOME」の金色の枠のデザインは、左のミュシャの絵を参考にしました。円部は日本家屋の格子のイメージです。祇園白川をブラついていた時、二人の舞子さんを撮影しているところに出くわしました。撮影者と二人の舞子さんしか居なかったので、営業用の撮影だったのでしょうか。それともコスプレの撮影?それを横から私も撮影しました。着物の柄やポーズ等、その写真を見て描きました。
このミュシャの絵は、解説によると、「モエ・エ・シャンドン シャンパン ホワイトスター」のポスターだそうだ。(モエ・エ・シャンドンが生産者の名前。ホワイトスターがシャンパンの商品名。)シャンパンなので、葡萄の実やつるが描かれている。
ミュシャの絵 ミュシャ風「桜」 ミュシャ風「百合」

2022.04.13
 大好きなミュシャの絵だ。『アルフォンス・ミュシャ作品集』という本には、「秋、連作<四季より>」というタイトルが付いている。四季シリーズは二組計8枚あるが、これが一番好だ。ミュシャの作品全体で言えば、「黄道十二宮」も好きだが、しかしどちらか1枚あげると言われたら、やはりこの「秋」か。

 この絵は数十年前に買ったものだ。入社して半年ほどした頃だったか、大阪本社の技術部に半年ほど出張した。千里丘にある会社の寮から通勤していたが、仕事が終わるとよく梅田の地下街をブラついていた。そんな中、阪急三番街のキディランドは結構行った記憶がある。そこでこのポスターを買ったのだった。値段はたしか1200円だった気がする。出張が終わり、三重工場の社宅へこのポスターを持ち帰った。押しピンで壁に留めるようなことはしたくなかったので、とりあえず5mm厚ぐらいのベニヤ板に水張りすることにした。ポスターの裏に刷毛で水をぬり、ベニヤには水で薄めた木工用ボンドを塗っておき絵を貼り付けたと思うのだが、これは可能性の想像で記憶は無い。水分が乾いてから、表面にクリヤーをエアスプレー塗装した。クリヤーは二液型の塗料で60℃で焼き付けるタイプだったと思うが、焼き付けなくても大丈夫と判断し常乾とした。そこまでは順調だったが、絵の周辺をどのように処理するかで悩んで、結局新聞紙でくるんで長期保存となってしまった。最近、絵の仲間Oさんに頼んだらなんとかして頂けるのではないかと思い、お願いしたら右の写真の様にかっこよく造って下さった。額縁には手間のかかる桜皮細工(樺細工)が施されています。感謝です。(額縁の右上の幅がやや細くなっているのはカメラのレンズのひずみと、撮影角度が原因)

ミュシャの絵を気に入っている理由は何かと考えてみたが、ジャガイモとサツマイモと比べたらジャガイモの方が好きなのはなぜ?と同じ愚問なのだろう。

ガウディの建築が好き、ガレのガラス細工が好き、ロートレックのポスターが好き、そしてミュシャが好きって、アール・ヌーボーが好きってことだろうか?

ロートレックといえば、居間に水張りしたポスターが掛かっている。(左下「Jane Aviril」 長辺約70cm)これも右の絵と同じくらい古いポスターだ。残念ながら、窓に近い位置に掛けていたので退色している。廊下の奥にはロートレックのジグソーパズルが掛かっている。(右下「Divan Japonais」 長辺約60cm)こちらは暗い場所なので、色はまだ鮮やかだ。
ミュシャ作「秋」
ロートレックの作品 ロートレックの作品

2022.03.09
 三月三日、予定が1時間ほど早く終わったので、城下町のおひなさんを見に行くことにした。まず本町通りのメイン会場に行こうと思った。ところが、会場の旧沖森邸は閉まっていて「新型コロナ感染対策のため中止させて頂きます」との張り紙があるではないか。ネットで三日最終日の開催時間を見ただけだったので、「中止」を見落としたのだろうか?しゃあないな、それなら市内を少し撮影しながら帰ろうと思った。12時前だったので、まず腹ごしらえをしようと、一筋南の近くのコロッケ屋さんに行くことにした。が、それらしい建物が無くなっている。近くにいた男性に聞くと、実はその男性がこの場所でコロッケを揚げていた人で、なんでも代替わりして平野に店を引っ越したのだそうだ。残念!三個ほど立ち食いしようと思ったのだが。平野までは少々遠いので、銀座通りにあるこけこっこ本舗へ行くことにした。名前の通り、鶏の専門店だ。昨年12月に行った時はクリスマス前で、忙しいので定食はやっていないとのことだった。本町通りから銀座通りに出て、名阪方向に向かってこけこっこ本舗をめざす。三月三日のこの時は、ほぼ満席状態だった。照り焼き定食を食べた。

(これより下の写真の説明です)
 下の写真(左)は本町通りにある和菓子屋さんだ。店の佇まいは昔のまんまだ。写真(右)は、和菓子屋さんの右手の道から北方向を写したものだ。奥に上野城が見える。高校生の頃何度も通った道だ。学校が終わってからこの道を通って和菓子屋さんの角を右に曲がり、向島にある友人の家に行ったのだった。向島のK君、名張のT君と三人で歩いていて先生と出くわし、無帽を注意されたっけ。
 三枚目の写真は、銀座通りから駅前を写したものだ。手前は駅前の駐車場で、奥に忍者市駅(その下に小さく上野市駅)、さらに奥に上野城が見える。上野市駅の形は昔のままだ。
 その下は、上野市駅の出入り口。右手が改札。左手に待合室があるが、昔は売店があった。
 その下は、駅から出てすぐ左手にある線路の下を通る地下通路。私が通学していた頃は無かった。もし当時にこれが有ったらどれだけ楽だったらろうと思った。(遅刻しないように、駅から学校に向けて走った記憶がある。)ためしにマピオンで距離を計ったら150mほどの差だった。
 その下は、駅近くの新天地商店街。昔柘植にあった社宅から、同僚と、同僚の車でカレーの店によく通った。
 旧沖森邸

旧沖森邸
大西和菓子店 上野城が見える道

上野市駅前の広場


上野市駅構内


上野市駅近くの地下通路


新天地商店街

2022.03.02
明日はひな祭りだ!と、21時の今気づいた。そして伊賀上野の城下町のおひなさんを思い出した。ネットで調べると今年も開かれているようだ。ただし、3日の明日は午後4時までだそうだ。実は明日の午前中は予定が入っている。午後から行こうか、3時間位見ることが出来るが、どうしようか。
下の写真は、2013年に上野本町通りの紅屋さんで写したものだ。「反射するでしょ。」と店主がおっしゃって、ガラスの扉を開けて下さったのだった。

「城下町のおひなさん」で展示されていた女雛


「城下町のおひなさん」で展示されていた男雛


2022.01.30
2週間ほど前、Oさんの案内でふれあいの森を歩きました。色のラインが今回歩いたコースです。結構きつい登りもありましたが、感想は「楽しかった!」です。私が日課にしているウォーキングコースは、バス通りで歩道・街灯のある道です。(約9年間で歩行距離の累計が1万kmを越えました。)10年近く同じ道を歩き続けていたので、ふれあいの森の道はすごく新鮮でした。天気さえ良ければ、またふれあいの森を歩きたいと思いました。
そして1週間ほど前、一人でふれあいの森に出かけました。初心者の私は1週間前に歩いたコースをたどることにしましたが、道しるべがあるのですが私の読解力不足のせいか数回道を間違えるぶざまな結果となりました。沢山歩けたから良い運動になったと自分をなぐさめた次第です。
ふれあいの森のウォーキングコース 分岐点bQ4

2022.01.13
GS400のモノクロ写真とカラー写真だ。どちらも20歳代に撮影したものです。モノクロのバックに写っているのは西国三十三か所五番札所藤井寺だ。この日四番札所の施福寺と藤井寺の二か所を廻った。カラーの背後は曽爾高原だ。 学生の時、初めて買ったバイクがホンダCB90(90cc・OHC・単気筒・中古)、就職する前に買ったヤマハRX350(350cc・2ストローク・2気筒・中古)と乗り継いで、初めて新車を買ったのがスズキGS400だった。DOHC2気筒で、軽く1万回転を越えた。RX350は8000回転まではめちゃくちゃ速かったがそれ以上は伸びなかった。結婚して車に乗るようになってからヤマハSR250(250cc・OHC・単気筒・新車)に買い換えた。4台乗り継いだが、写真は以下の2枚しか残っていない。ブランクがあり、20年前に購入して今も乗っているバイクの写真はそこそこあるが、車種はないしょなので写真はアップしない。

藤井寺前のスズキGS400


曽爾高原を背景にしたGS400


2022.01.03 〔2021年の万葉の会の記録です。コロナの影響で計画変更があり結果的に5か所に行きました。〕
2021年5月
名張市にある「ふれあいの森」に行きました。広大なハイキングコースになっています。今回全体の5分の1も歩けたでしょうか。私は初めてふれあいの森に行きました。一人で行けば迷子になりそうです。行ったことのある友人をさそって再度行こうと思いながら、結局2021年が終わってしまいました。
右の写真は展望台(地図のやや下、赤と紫と黄土色のコースが交わった部分)からみた風景です。私がかってに「名張の二上山」と呼んでいた山が中央部に写っています。展望台にあった図から、額井岳と知りました。右手中間部に名張運動公園の展望台の頭部が顔を出しています。 
名張市「ふれあいの森」マップ ふれあいの森展望台より額井岳を望む
2021年7月
旧名張市内を歩きました。もっとも印象に残った写真を二枚アップします。
写真左は名張藤堂家の菩提寺徳蓮院にある、初代高吉のお墓です。数奇な運命に翻弄された方でした。 
写真右は宇流冨志禰神社の社地にある弁天岩です。万葉の会の配付資料を見るまで存在を知りませんでした。社地と言っても一般道路で切り離された飛地にあります。写真中央やや下、木の根っこを分けて奥に飛び出したかっこうの岩が弁天岩です。傍の立札を読むと、磐座と判断できます。永年名張に住んでいて知らないことが一杯あります。神社のHPを永年維持していて、この磐座を知らなかったことが恥ずかしい。コースを計画し配布資料を造られたY様に感謝。
藤堂高吉の墓 弁天岩
2021年10月
JR桜井線纏向駅で下車し、矢塚古墳・勝山古墳・石塚古墳を巡りながら、辻地区の纏向遺跡大型建物群跡へ行きました。そして箸墓古墳の東側を南下し、おだまき塚を見て、桜井市立埋蔵文化センターに至りました。右の2枚の写真は同所で撮影したものです。桃の種(祭祀に使用した?卑弥呼も食べた?)が約2800個、纏向遺跡で見つかっています。
(写真左)さらに纏向遺跡では九州から東海に至る広範囲から集まった土器も見つかっています。(写真右) 
纏向遺跡の桃の種 纏向遺跡の壺
2021年11月
写真左は天理駅前の広場にあるモニュメントです。杣之内火葬墓から出土した白銅鏡を5倍に拡大したものです。火葬墓は奈良時代の貴族のものという。時代が新しいので、きれいな状態で残ったのでしょう。このモニュメントは前に偶然ネットで見つけ知っていた。一度見てみたいと思いながらも、延び延びになり、今回見ることが出来てラッキーでした。
右の写真が杣之内火葬墓から出土した本物の鏡です。天理参考館で撮影しました。今まで天理参考館の存在を知りませんでした。入って展示物の質・量にびっくり。万博公園にある国立民俗学博物館にあったパプアニューギニアの仮面もありました。
参考館に来る前に天理図書館も見学しました。(写真撮影は禁止)建物は大正時代のもので、内部はハリーポッターのロケが出来そうな重厚な造りでした。古書の常設展示もあります。 
杣之内火葬墓の鏡モニュメント 杣之内火葬墓の鏡
2021年12月
写真左は、関宿の地蔵院近くにある建物です。西の追分から東の追分まで歩きました。道の駅から西の追分までは個人で歩いたことがありますが、東の追分までは初めてでした。東の追分には大きな伊勢鳥居があります。今回やっと鳥居の写真を撮ることが出来て「鳥居色々→鳥居の分類→伊勢鳥居」にアップしました。
写真右は、亀山城の多門櫓。亀山市歴史博物館を見学し、ボランティアの女性の案内で、武家屋敷の前を通って亀山城へ向かいました。コロナで長い間ボランティアをやってなくて、案内の内容を忘れそうですとか言われていたが、なんのなんの、なめらかに言葉が次から次へ出てきます。名張の美旗古墳群も見学に来られたようで、勉強熱心な方ですね。説明して下さった内容をほとんど覚えていない私とは大違い。
 
関宿 亀山城多門櫓

2022年
あけましておめでとうございます

本年もuziの神社参拝記をよろしくお願い致します


大江神社(大阪市)の狛虎です
大江神社狛虎吽形 大江神社狛虎阿形

2021.12.17
 トヨタ博物館カレーを頂いた。せっかくだから2007年にトヨタ博物館へ行った時(2007.05.27)の写真と一緒に記録しようと思った。そう思い立ったのはビーフカレーとポークカレーを食べた後だったが、空箱が資源ゴミとして残していたのが幸いでした。
 AA型乗用車は戦前の車なので乗ったことはない。ひょっとしたら映画の一場面で見たかもしれないが。パブリカは学生の頃にF君の運転で乗ったことがある。2000GTは乗ったこともないし、触ったこともないし、実物を見たのはトヨタ博物館が初めてだった。実は、2000GTにヤマハ製のエンジンが乗っていることを知ったのは数年前だった。
トヨタ博物館カレー・ビーフ トヨダAA型乗用車

トヨタ博物館カレー・ポーク トヨタパブリカ

トヨタ博物館カレー・チキン トヨタ2000GT


2021.11.24
 子供の頃、母方の祖父母の家によく行った。夏休みには長期滞在したのだった。祖父に連れられてタケノコ掘りに行った記憶がある。タケノコは春だから、春休みだったのだろうか。それとも幼稚園に行く前の年代だったのだろうか。後に母から、タケノコを掘りに行った場所が島の山古墳だったことを聞かされた。両側が池の細い道を歩いたおぼろげな記憶がある。その島の山古墳西側に隣接するように比売久波神社【ひめくわ】がある。神社に参拝したとき、前方後円墳の南側前方部に細い道がついているのを確認した。地図を見ると、この道しか歩いて古墳に渡れない。ただし現在入り口は塞がれていて、入ることが出来ないようだった。参拝後だったか、母に島の山古墳の話をしたら、母が以下の思い出話をした。昔十代の母は、島の山古墳に桑の葉をよく採りにやらされたそうだ。そういえば、蔵に色んな農機具のような道具がしまわれていて、祖母や母にこれ何?と聞いていた。そんな中に養蚕の道具もあったのだった。また祖父は昔、採ったタケノコを古墳の側で販売していたという。(ちなみに祖父は、近鉄に勤めていた。)島の山古墳にある桑の木って、自然に生えていたものだろうか、それとも植樹したものだろうか。祖父母の家は結崎にあり、島の山古墳は唐院にある。(結崎と唐院の間には寺川が流れている。)祖父母の家は、どんな権限があってタケノコや桑の葉を採り、しかも唐院にある島の山古墳で採ったタケノコを、唐院で販売するなんてことが出来たのだろうか。母に疑問をぶつけたら、知らないと言った。

 桑といえば比売久波神社の比売久波は「姫桑」だという。桑の葉を御神体としているともいう。比売久波神社の東、1kmほど歩いたところに糸井神社があるのも面白い。養蚕に使う桑、糸井の糸は当然絹糸だろう。
 「島の山 唐院」と書かれた碑
「島の山 唐院」碑

2021.10.30
過去の写真を見ていて、我が家の植木を撮りだしたのは2014年からだと知った。長期間剪定せずに放置していて、友人から「刈ったらなあかんで。」と言われ、「ごもっとも。」と答えた記憶がある。それが2012年だった。玄関のある南側から剪定を初めたのだった。(剪定だけではなく、大きな木を二本切り倒した。)写真は南西角に近い辺り、写っている左の木はサンシュユ、中央奥がサツキ(赤い花が咲く)、手前もサツキ(白い花が咲く)だ。その右側、2014年当時はスイセンが植わっていた。現在は桔梗である。2014年の写真の方、サンシュユは12月なので葉が落ちているのだが、サツキの葉が少ない。他の木が繁っていてあまり光が届かなかったのが主な原因だろう。二本の木を切り倒し、他の木は樹高を1mほど低くしたことで少しは光が届くようになり、6年半でここまで成長してくれました。(サンシュユの根元の玉竜も。)
2014年の植木 2021年の植木
2014年12月撮影 2021年6月撮影

2021.09.11
子供が小学校低学年の頃だったろうか。『組木の世界』(小黒三郎著・無尽蔵皓星社)に掲載されていた型紙を使うのではなく、オリジナルなものを作りたいと思った。色々考えた末、ハードルが高かったが日本地図を作ることに決めた。材料は45×30cm・1.5mm厚のラワン材を使うことにした。そこそこ柔らかくてコンパネよりは木肌も良いと思ったのだ。塗装は「2021.0909」の魚や鯨と同じ方法をとった。適当な日本地図を選んび、パンタグラフでラワン材のサイズに収まる大きさに拡大して型紙(書道用半紙)を作った。型紙をラワン材に水ノリで貼り付けて、電動糸鋸でカットした。細かいパーツを3個ほどカットしたら、疲れたというかやる気が失せたかで作業終了。なかなか次の作業にかかる気が起こらなかったりして・・・。結局、完成まで半年位かかったのではなかったか。糸鋸の歯を10本近く折った気がする。完成した地図は、鹿児島県佐多岬から北海道知床岬まで約70cmほどの大きさになった。(北海道のパーツは、島根県から石川県の上辺りの位置でカットした。) ちなみに、淡路島や佐渡島等の島はありません。
子供は、これを手に取ってくれたが組もうとはしなかった気がする。

最近、世界地図の組み木が販売されているのを知った。Mサイズで100×60cmあるそうだ。世界地図を自作する気はまったくないが、仮に作ろうとしても、生きている内に完成はしないだろう。
https://enjoythewood.jp/collections/3d-wood-world-map/products/3d-wood-world-map-oak
日本地図の組み木その1 日本地図の組み木その2
居間の絨毯の上で組んでみた 座卓の上で組んでみた。逆光で撮影。

2021.09.09
子供が保育園の頃だったろうか。『組木の世界』(小黒三郎著・無尽蔵皓星社、三段目の写真参照)という本を立ち読みしたのがきっかけだった。本を買って、本に掲載されていた型紙(長辺20cm位)を使って作ったのが一段目、二段目の組み木だ。まず電動糸鋸を買った。材料はコンパネを使った。コンパネの厚さは約1cm。パーツを組んだまま保管出来る様に、糸鋸で切り抜いた枠の木にコンパネの底板を貼り付けた。結果パズルの厚さは計2cmになる。(底板を付けるのは私のアイデア)塗装をする前に、まず砥の粉でコンパネの木目を詰めた。上段の魚形はオイルステイン1色でパーツによって濃淡を付けて色を塗った。鯨形はオイルステンを5色ぐらい使ったろうか。仕上げはウレタン化油床用塗料を使った。この塗料は油性塗料より乾燥が早い。一度塗って乾燥してから、目の細かいサンドペーパーをかけ、切り口や表面を滑らかにした。もう一度同じ工程を繰り返し、三度目は布に床用塗料をしみ込ませ、なすり付ける様に塗って完成した。
さて、子供はこれで何回遊んでくれただろうか。
そうだ思い出した。一番最初にペンギンを作ったのだった。『組み木の世界』の始めあたりの頁に型紙があったやつだ。三羽のペンギンが、お腹と背中をくっつけ合って縦に並んでいるデザインだった。パーツは三つなので切るのは簡単だった。塗装の工程は先と大体同じだが、床用塗料を厚めに塗って光沢を出した仕上げだった。このペンギンは、写真を撮る前に人にあげてしまった。
下の二つも小さな子供さんのいる方にあげてしまったが、あげる前に写真をとっておいた。
動物の組み木その1 動物の組み木その2

動物の組み木その3 動物の組み木その4

『組み木の世界』の表紙



2021.08.25
 極端に外出が減っている。結果、写真撮影も極端に減っている。ただ庭の花が綺麗に咲いたら、スマホを取り出して撮影している。今まで庭木を撮影することはほとんど無かったが、剪定して上手く刈れたら撮影し、また昨冬葉が落ちた後枝を切り詰めた木を写していて、次回どこまで切り詰めたらよいかの参考にしようと思う。
 撮影は減ったが、過去に撮った写真を見ることが多くなった。古い写真から順に見ていて、一部は以下(2021.06.29〜2021.05.24).に添付した。その後見た写真で、面白く思ったのを添付する。
フジカラーの富士山
子供が小学生高学年の頃、家族で富士山周辺を二泊三日か三泊四日だかで回ったのだった。この写真の撮影場所は忘れた。
カメラはニコマートELでフジのリバーサルフィルムを使用。富士山は『フジカラー』です。
東尋坊
友人と二人でツーリングに行った時に撮影。ミステリードラマのラストによく使われる場所なんですが、凛として立つ女性とうなだれる男性が写っています。
なんか、ドラマの一場面の様に思ったので撮影。
嵯峨野
撮影場所は嵯峨野。

2021.06.29
 数10年ぶりに古い写真をみたのだが、まったく記憶に無かったことがあった。こんなん作ったのか?って感じだ。まず上段の2枚のアンプだが、左はタンコ製の電源トランス・出力トランスが使われており、「2021.06.27」掲載のUZ42メインアンプのトランスを流用したと分かる。右のアンプは出力トランスが無くヴォリューム類(低音・高音用のヴォリューム等)が多いのでので、プリアンプを作ったのだろう。もう一つ記憶になかったのが下段の写真のスピーカーだ。サランネットが外されてスピーカー(PE-16)が一つ増えている。改造したのだ。PE-16を2つにした事を忘れていたが、ボックス内に3cm角の角材を十文字に入れて、低音の締まりを改善したことは覚えている。PE−16を左右2つづつにしたことで、UZ42メインアンプが出力不足になり作り変えたのだろう。右のプリアンプはノイズが酷くて、使い物にならなかった事も思い出した。そこで、パイオニア製のプリアンプとメインアンプをセットで買ったのだった。(なぜメインアンプ2作目をお払い箱にしたのかは不明)写真下段の中央部にアンプ類が写っている。パイオニア製プリアンプ・メインアンプの上にメインアンプ2作目もあるが、飾りに置いていたのだろう。
 レコードプレイヤーケースの板が厚い。(下段写真右)しかも一枚板だ。このレコードプレイヤーの箱はK君から貰ったものだ。いや、ターンテーブルも一緒に貰ったのかもしれない。オーディオテクニカ製のアームは私が買ったのだ。このときのカートリッジはMM式になっていたのだろう。だから、プリアンプを自作したのだろう。しかし失敗して、パイオニア製を買うことになったということだ。
 下段写真のスピーカーボックスの上にオープンリールデッキがある。入社してから買ったと思っていたが、この部屋に設置されているところを見ると学生の時に買ったようだ。アルバイトをして購入資金を作ったのだろう。下段写真レコードプレイヤーの奥に、オスカーピーターソントリオのレコード「WE GET REQUESTS」が見える。K君・T君もこのレコードを持っていた。仲間内では、ステレオ装置が出す音を評価する基準となるレコードだったのだ。日本橋の高級オーディオを扱う店でこのレコードをかけてもらい、JBLパラゴン、タンノイオートグラフ、アルティックA−7、(聞かせてもらったスピーカーがもう一つあったが品名を忘れた)などのスピーカーを聞き比べたこともあった。
自作真空管メインアンプ2作目   自作真空管プリアンプ
 メインアンプ2作目  プリアンプ失敗作
学生時代のオーディオ
大学時代のオーディオ

2021.06.27
 右の写真は親父のEEカメラで高校時代に撮影したもので、高校生の時に作ったスピーカー(写真左下)と真空管アンプ1号機だ。
高校で知り合った友人T君・K君の二人は大のオーディオマニアで、彼らの影響を受けて私もオーディオが趣味となった。
 スピーカーボックスの材料は、15mmのパーチクルボードを使った。K君はたしか20mmを使っていたと思う。当時我が家に電気ノコなど無く、15mmが妥当だと判断したのだろう。上下側面は木目模様の粘着シートを貼り、正面は黒のサランネットを貼って縁をアルミL型アングルで隠した。スピーカーの穴は廻し挽きノコで切った。スピーカーはパイオニアのPE-16だ。16cmのシングルコーンです。k君は三菱のダイアトーン16cmシングルコーンを使っていた。(型番は忘れた)このスピーカーはマグネットがむき出しだった。PE-16の方はカバーがされていてカッコ良かった。(スピーカーは音が命なのでカッコなんかどうでもいいんですけど。第一箱の中に入るので見えないんですけど。まあ、K君と同じスピーカーを使ったら面白味がないということだった。)
 真空管アンプは、整流管80K、出力管UZ42等を使い写真右の通りカッコ良かった。アルミシャーシ、シャーシに穴を空けるシャーシパンチ、抵抗、コンデンサ、トランス、ボリューム等は日本橋で買った。真空管は親父の五球スーパーラジオから部品どりしたと思っていたが、数とか型式とか合ったのだろうか。T君から追加分を分けてもらったかも知れない。

スピーカーボックスの上にレコードが乗っている。シングルレコードが多い。月1000円のこづかいだったから、致し方無しだ。サムテイラーのレコードは高校生(or中学生?)の時買ったのか。LPサイズだが45回転だったから曲数が少なく安かったのかもしれない。
自作スピーカーと自作真空管アンプ

2021.06.14
古い写真を引っ張り出して、懐かしい思いにひたっている。
リスの写真の説明を補足すると、佐助稲荷は鎌倉にある神社だ。たしかガイドブックに、銭洗い弁天とセットで出ていて行ったのだった。このとき、私は25歳から30歳の間の年齢だった。なぜ、その範囲の年齢だったと分かるのか。
実は私はパイプを25歳から始め30歳で止めている。
横浜へ向かう新幹線の車内で、同じ会社の友人T君と二人でパイプをふかした記憶があるのだ。二人でパイプをふかすと、かなりの煙が出る。若気の至りだ。
横浜の桜木町にあったユースホステルに連泊して、横浜と鎌倉を回ったのだった。山下公園、外人墓地、江ノ島弁天、鎌倉大仏、長谷寺、円覚寺、頼朝の墓、鶴岡八幡宮等を見て回った。

リスの次に興味をひかれた写真が以下の二枚だ。
真空管アンプ オーディオ機器

2021.05.24
 下の写真は、昔、佐助稲荷で撮影したものだ。野生のリスに出会えて興奮したのを覚えている。この写真を撮影してから、この場にどの位留まっていただろうか。リスが狛狐の様に尻尾を上に上げてくれないかと待っていたのだが、結局だめだったのだった。

2021.06.27追記
 この写真はニコマートELで撮影している。当時自分で現像していたので、モノクロフィルムを使っていた。

佐助稲荷の狛狐とリス


2021.03.27
月ヶ瀬の尾山天神神社のページに烏梅【うばい】の話を書いた。後醍醐天皇が笠置の戦に敗れ、女官も逃れて月ヶ瀬尾山に落ちのびたのを村人が助け守った。女官姫若は天神神社の梅を見て、お礼に烏梅の製法を村人に教えたという。烏梅は飛ぶように売れたので、村人が競って梅の樹を植えたのが月ヶ瀬梅林の起源という。月ヶ瀬の梅を見て回っているとき、一軒のお店に烏梅が置いてあった。黒い干からびた梅干しという感じのものだった。烏梅が黒いのは、完熟した梅の実に煤【すす】をまぶし付けて蒸し焼きにするからなのだろうか。種がコロコロと鳴るまで乾燥するから干からびているのだろう。黒い烏梅だが、以外にも紅花染めの発色剤に使われるという。梅干しは酸っぱいから、酸の働きだろうが、他の酸だと鮮やかさが烏梅に比べて劣るのだそうだ。

(「幻の色 よみがえる浮世絵」という以前録画したTV番組を見ていて、ある浮世絵に使われている一部の色素が紅花と判明した部分があった。摺られた当時の浮世絵の色を再現すべく、現代の版画家が紅花の色素を使った化粧品を扱う店を訪ねるのだが・・・)

2021.02.26
私の宝物の紹介です。(下写真)宝物というより「記念品」の方が一般的だと思うが、捨てずに約40年間持ち続けているのはどうしてなんだろう、と思ってしまう。40年ほど前に東北を旅行した。おいらせYHに泊まり、翌日、奥入瀬渓流沿いの遊歩道を歩いた。写真を撮りながら、十和田湖まで4時間以上かかったと思う。途中対岸で、親子の様に見える女性二人が探し物をしているようにあちらこちらの地面を見ていた。聞くと、栃の実を拾っているのだという。私も対岸に移り、3個を見つけ持ち帰ったのだった。
栃の実やドングリは渋味もあり、前処理が一手間も二手間もかかるそうだ。縄文人の重要な食材で、それで縄文土器が発達したという話もある。縄文時代の遺跡には、栃の実の殻が層をなしているところもあるという。
栃といえば、朽木にある道の駅の栃餅がすごく美味しい。湖北や長浜方面に行く場合、R161は使わずR367を使って道の駅に必ず寄る。焼きサバずしも美味です。それら目的に出かけようか!?

栃の実


2021.02.15
2021.02.09にちょこっと書いた九鬼嘉隆に関連する写真があるのでアップする。
大王崎灯台を眺める絶好の位置に、波切九鬼城址展望公園がある。九鬼氏初代隆良が、室町時代にこの城山地区に波切城を築城したそうだ。
下段の写真は、答志島で撮影したもの。嘉隆から家督を継いだ子の守隆は家康に仕えており、関ケ原の戦いで東軍側だったのだが、隠居の嘉隆は西軍に属した。(真田家を連想する話だ。)東軍が勝利し、守隆は家康に父の助命を嘆願する。助命が認められて嘉隆に使者を送るも、九鬼家の行く末を案じた家臣が切腹をすすめたため、使者が到着する前に嘉隆は切腹した。首実験のため首は家康のいる伏見城に送られた。守隆は胴のみを葬った。伏見より戻った首は、築上【つかげ】山頂に葬られた。ちなみに、無断で嘉隆に切腹を進めた家臣は斬首された。(Wikipedia)首が山頂に葬られたのは、「鳥羽城の見える地に」という嘉隆の遺言によるという。鳥羽城は九鬼嘉隆が築城した。城址が鳥羽水族館近くにある。
(先に信長が「九鬼嘉隆に鉄甲船を造らせ」と書いたが、燃えない船を造れと命じられて、九鬼嘉隆が鉄甲船を造ったとの文章がネットにあった。これだと、鉄甲船は九鬼嘉隆の発案ということになる。)
波切九鬼城址
波切九鬼城址(2010.09撮影)

九鬼嘉隆の首塚 九鬼嘉隆の墓(胴塚)
九鬼嘉隆の首塚(2017.10撮影) 九鬼嘉隆の墓(胴塚)(2017.10撮影)

2021.02.13
2021.02.09の関連で、昔撮った写真を久しぶりに見た。下の写真は2003.11に大三島で撮影したもの。大山祇神社の参拝が終わり、しまなみ海道のIC近くに戻ってきて撮影したのだ。写真のデータによると、昼前頃に撮影したようだ。この日、西条市のビジネスホテルを早朝に出発し、寄り道せずに大三島まで走ってきた。大山祇神社には1時間半ほどいた様だ。当時持っていたデジタル一眼レフカメラは、128メガバイトのフラッシュメモリーカード4枚(約1万円×4枚=4万円也)で、200枚ぐらいしか撮影出来なかった。大山祇神社と下の写真を撮るために、前日・前々日に撮影した写真を一部削除しなければならなかったのだった。写真を見ると青空が広がっている。2泊3日の旅はこの時まで好天続きだった。この後は名張に向かってひたすら車を走らせた。しまなみ海道を走り終わって雲行きが怪しくなり、そして土砂降りになったのだった。
大三島にて
大三島にて

2021.02.09
 『村上海賊の娘』(和田竜著)を読んだ。朝暗いうちから歩いているので、22時までには寝る様にしているのだが、ついつい面白くて止められず、何度か日が変わるまで読んでしまった。本屋大賞で大賞を受賞しただけのことはある。和田竜さんの作品は早くに『忍びの国』を読んだが、私は『村上海賊の娘』の方が面白かった。(『のぼうの城』は映画で、『忍びの国』は、本を読んだ後映画も見た。)
 タイトルのとおり、村上武吉の娘村上景【きょう】が主人公だ。頁の初めに登場人物のリストがある。景は「悍婦【かんぷ】にして醜女【しこめ】。」さらに「嫁の貰い手がない当年二0歳。」と続く。おいおい、そんな主人公で良いのか!と思ったが、読んでいく内に引目鉤鼻の和風美人ではなく、西洋的な顔立ちの美人だと分かってくる。頁の初めには、小説の舞台の地図もあった。村上武吉の本拠地は能島【のしま】だ。あと来島【くるしま】と因島【いんのしま】に村上家がありこの三家で瀬戸内海の関所を形作っている。この辺りは大小島が多い。それらの島々に番所を設けて行き来する船をチェックしている。通行料を取るためだ。島と島の間の潮流は流れが速く岩礁も多いため、村上海賊は道案内も仕事にしている。海賊といっても盗人ではない。ただし、通行料を払わなければ物品は奪われる。来島を調べていたら、愛媛県今治市に属する島と知った。そうだった。村上海賊の本拠地は、現在のしまなみ海道が走っている辺りに点在するのだった。2003年、2泊3日で淡路島・徳島・香川・愛媛の神社を巡った。そのとき、最後に参拝したのが大三島にある大山祇神社だった。村上海賊は大山祇神社を氏神としてあがめていたそうだ。(当時は三島神社と呼ばれていた。)毛利家の要請で村上海賊も参加して、大(当時の呼び名は大)の本願寺に兵糧を運び込もうとする。村上三家は合戦の前に大山祇神社で戦勝祈願を行うのを常としていたそうだ。参拝後宝物館ものぞいたのだが、村上海賊に関するグッズがあったかどうか記憶に残っていない。『村上海賊の娘』には、連歌をまとめて掲載した『大山祇神社法楽連歌』に村上家当主の名があると書かれている。
 一回目の戦いは毛利・村上連合軍が勝利したことを何かで読んで知っていたが、主人公の景がどうなるのかハラハラしながら読んだ。小説は一回目の勝利で終わっている。焙烙玉に苦しめられた信長は九鬼嘉隆に鉄甲船を造らせ、二度目の戦いは毛利方が敗れた。

2021.01.03
あけましておめでとうございます。
本年も「uziの神社参拝記」をよろしくお願い申し上げます。


東海道五十三次之内桑名七里渡口

東海道五十三次の内桑名七里渡口
        (広重の浮世絵を模写しましたが、帆船一艘を西洋の帆船に変えています。)        


2020.12.19
庭にヒメツルソバが生えていた。種が風だか動物だかによって運ばれてきたのだろう。雑草が生えにくくなるかもしれないと思い、抜かずにそのままにしていた。(2018..11.20参照)

一年たって(下の写真:2019.年9月に撮影)こんなに広い面積に広がった。雑草を生えにくくする効果は絶大だ。背丈の高い薄緑色のが二〜三本生えているが、これは近くの鉢植えから風に飛ばされてきたフウセンカズラの種が芽を出したものだ。右下の草はポーチュラカ。プランターから種が落ちて生えてきたものだ。
9月のヒメツルソバ

下の写真は2020年10月に撮影したもの。さらに広がった。ピンクの花が咲き始めました
10月のヒメツルソバ

下の写真は2020年11月に撮影したもの。朝日を浴びて花が輝いています。
11月のヒメツルソバ

下の写真二枚は2020年12月初旬に撮影したもの。紅葉が進んでいます。今は半分ほど枯れて茶色くなっています。
12月のヒメツルソバ 12月のヒメツルソバ

2020.12.09
万葉の会の記録です。

4月、初瀬街道(蔵持町付近)を歩き、夏見廃寺跡を訪問しました。夏見廃寺跡・同展示館では名張市教育委員会の方(2名)に解説して頂きました。
蔵持町芝出の常夜燈

蔵持町芝出にある常夜燈
夏見廃寺跡

夏見廃寺跡

5月は、武漢ウィルスの影響で中止となりました・
6月は、蔵持町、桔梗が丘近辺の初瀬街道を歩きました。
初瀬街道沿いの案山子?

初瀬街道沿いの風景
開立坂の道中安全碑

本居宣長も歩いた初瀬街道開立坂【かいだてざか】の道中安全碑

7月は2020.07.05を参照。
8月はお休み。
9月は2020.09.20を参照。
10月は飛鳥でした。石舞台古墳から南東方面を歩きました。都塚古墳、坂田寺跡、飛鳥稲渕宮殿跡、専称寺等を回りました。午後は自由解散となり、Fさん・Oさんと三人で犬養万葉記念館へ行き、昼食後Fさんは別行動となりOさんと二人で治田神社、弥勒石、甘樫岡西南にある宗像神社、植山古墳+春日神社、丸山古墳、牟佐坐神社を回りました。約16kmを歩きました。
飛鳥稲渕宮殿跡

専称寺近くの飛鳥川
専称寺近くの飛鳥川

11月は畝傍山周辺等を歩きました。何度も利用していた橿原神宮前駅が、大和棟だったことを初めて知りました。
畝傍山

12月は、丸山城址、猪田神社(下郡)、猪田神社(猪田)等を歩きました。
丸山三角点

丸山城址の三角点
猪田神社古墳

猪田の猪田神社本殿背後にある古墳。
直径約24m、高さ約4mの円墳で、横穴式石室を有するそうだ。
(三重県教育委員会文化財データベースより)

2020.10.15
 もう少しゆっくり見学したいと思い、松浦武四郎記念館を再訪した。まず、玄関フロアに敷き詰められた『東西蝦夷山川地理取調図』の全体写真を撮る。(上段。前回撮らず後悔した。)次に武四郎の像。(中段)身長は150cm弱。しかし身体は強健で、一日に64〜68km、時には80kmを歩いたという。「武四郎の歩いた足跡をたどると自然に日本地図ができるほどである。」(館内の解説文)17歳から諸国遍歴の旅を始め、70歳で富士山に登っている。(「五合目までバスで行って・・・」ではありません。)翌年71歳で死去。(館内「松浦武四郎略年譜」より)展示物は先月訪問した時とは異なっていた。今回の展示物の中で、私が最も注目した神鏡の拓本の写真を下段に掲載する。

(以下の写真は私が撮影しました。HPへの掲載は松浦武四郎記念館の許可を得ております。)

東西蝦夷山川地理取調図

松浦武四郎の像 松浦武四郎のおもな足跡

上野東照宮奉納神鏡背面拓本 解説文

上野東照宮奉納神鏡背面拓本
 明治八年(1875)
         松浦武四郎奉納
             当 館 蔵
 明治8年に松浦武四郎が東京上野の東照宮に奉納した大銅鏡(直径およそ97.5センチメートル)鏡背の拓本である。青海波の中に樺太・千島から琉球(沖縄)までの日本全図を配し、「東照る神の御威稜【みいつ】は 北の海南の小嶋 西の国はて」の和歌を鋳出している。
 原品の鏡師(鏡製作者)は京都の金森弥輔。協力者に富岡百錬【ひゃくれん】(後の鉄斎)の名がみえる。

2020.09.20
 武漢ウィルスの影響で近場を歩いていた今年の万葉の会ですが、今回が初の遠出となりました。近鉄伊勢中川駅で山田線に乗り換え、二つ目の駅松ヶ崎駅で下車し、伊勢街道を北に、最終目的地松浦武四郎記念館を目指して歩きました。
所々屋号が掲げられた古い家並みが残っていたり、古い道標が残っていたりで楽しいウォーキングでした。そして、山ノ神碑を四か所見つけました。(HPに掲載済み)駅から6〜7kmほどの間に四か所って多くないか?帰宅後この四か所の位置を確認するためストリートビューで道をたどっていて、ちょっと神社に寄り道したら境内にも山ノ神碑があるではないか。これは再訪しなければと思いました。
 そして圧巻は、松浦武四郎記念館でした。館に入るまでは私の武四郎に関する予備知識は、「北海道の探検家で北海道の名付け親」。もう一つは、武四郎を扱った『英雄たちの選択』という番組で知ったことだが、アイヌに対する役人たちの横暴さ・過酷さに対して武四郎が強い憤りを感じていたことだ。
 館内を回る前に、学芸員さんの説明があった。長時間、熱く丁寧に説明して下さった。(そういえば、先に入った松阪市指定史跡『松浦武四郎誕生地』で説明をして下さった方もそうでした。)説明をうかがった後学芸員さんの案内で、まず玄関のフロアに埋め込まれた武四郎作『東西蝦夷山川地理取調図』を見に行く。26枚の地図を貼り合わせたもので、縦2m40cm横3m60cmの大きなものだ。地図を見ていると、武四郎の凄さがよく分かる。直下左の地図の写真は積丹半島・洞爺湖の辺りだ。海岸線沿いに産毛が生えているように見えるのは、アイヌから聞き取り調査した地名だ。その数約9800という。右の写真は左の写真を拡大したものだ。(洞爺湖の北にある、現在羊蹄山【ようていざん】と呼ばれるシリベシ山。後方【しりへ】羊諦【し】。)武四郎は頂上まで登ったのだろうか、細い線で火山らしく山容が表現されている。河川も支流まで細かく描かれている。江戸時代に出版された蝦夷地の地図で、これほど内陸部まで細かく調査された地図は武四郎の地図をおいてほかにないそうだ。2段目以下の写真は、記録を書籍としてまとめたもの。ドローンの無かった時代に描かれた国後島の俯瞰図、挿画など絵もお上手です。
武四郎は1845年、1846年、1849年の3度、個人で北海道に出向いている。(郷士の家で、父親は庄屋であり比較的裕福だったこと、後継ぎの兄がいるということで、16歳から諸国を巡っている。)その後幕府に抜擢され、1856年、1857年、1858年と計6回出向き、国後島・択捉島・サハリン南部まで調査している。

(以下の写真は私が撮影しました。HPへの掲載は松浦武四郎記念館の許可を得ております。)
東西蝦夷山川地理取調図の一部 東西蝦夷山川地理取調図の拡大

記録資料の一部

国後島俯瞰図

石狩日誌

記録資料の一部


2020.09.12
windowsにジグソーパズルが付いている。ノートパソコンのwindows8.1に付いていて、後で買ったデスクトップのwindows 10にも付いてきた。ゲームの進行結果が2台のパソコン間で連動しているのだが、当初はうまく連動せず、私の場合windows 8.1でしか遊べなかった。やがて大きな画面のデスクトップで遊べるようになってゲームがやりやすくなった。稼いだポイントは336440。14種類のテーマをダウンロードしているが、600ピースがほとんど完成していない。最初の頃は150ピースまでだったのが、さらに約400ピースと600ピースが追加され、目下600ピース制覇に挑んでいる。このゲームには、手持ちの写真からジグソーを作れる機能がある。最近、自分が描いた絵でジグソーを作ってみた。右の写真の下方に星が6個並んでいるが、600ピースまで全て完成したことを示している。(自分の絵を自分で撮った写真だから、画像をアップしても著作権の問題は無いだろう)
室生龍穴神社のjigsawパズル
室生龍穴神社のjigsaw

2020.09.05
以前写した写真をたどって調べたら、初めてミニトマトの苗を植えたのは2015年のようだ。毎年5月に苗を植えて今年で6回目となるが、今年は実の出来が悪い。初めて植えた時、収穫した数を記録しようと試みたが、数えるのが邪魔くさくなって途中でやめたほど収穫できた。食べきれないものはご近所に配ったり、友人にあげたりしていた。いつの年だったかトマトスープを作ろうと思いつき、ネットでレシピを調べて作ってみたらこれが美味しかったので、生食よりスープにまわす分が断然多くなった。それでも、昨年までは食べきれなかったのだ。それが今年は生食の分しか確保できなくて、ミニトマトでスープは一度も作っていない。トマトスープを食べたいときは、しかたないのでスーパーでカットトマトを買ってきて、それを使ってスープを作っている。ひょっとしたら、連作障害が出ているのかもしれない。違う場所に植えればよいのかもしれないが、小さい庭で、日当たりの良いところが少ないのだ。来年は鉢植えを試してみようか。それとも深く掘って堆肥を沢山鋤き込もうか。今年は暑いので、庭へ出る回数が少なかった結果、施肥をする回数が少なかったのか。色んなことが頭の中をよぎる。

2020.08.27
絵の仲間Oさんに誘われ、宇陀市にある龍鎮神社と龍王ヶ渕を回った。龍鎮神社を知ったのはtonさんのサイトだった。龍鎮神社の祠の前にある春日鳥居のお写真を、2008年にtonさんから拝借したのだった。(現在、木製の春日鳥居は石の明神鳥居に変わっている)十年以上経過して、やっと参拝が実現した。龍鎮神社は近くに駐車場もあるという情報を得ていたので、「行きたいリスト」に入っていた。メモ帳のページを繰ってみると、約1年前にその情報を記録している。薬局で薬を待っていて、置いてあった雑誌から書き出したのだ。『Kansai Walker』(KADOKAWA)という雑誌で、「関西から行く!奇跡の絶景に出合う旅」という副題が付いていた。タイトル、出版社名もメモっているのは、半分買う気でいたからかもしれない。龍鎮神社ともう一つ龍王ヶ渕の情報もメモっていた。「龍王ヶ渕 額井岳中腹 池の西側には豊玉姫命が祀られた堀越神社がある 宇陀市室生向渕【むこうぢ】 P:約8台」とある。 実はOさんから誘われた時「龍王ヶ渕には堀越神社がある」と言われたが、龍王ヶ渕という名前すら記憶が飛んでいた。
写真左:龍鎮神社の祠と鳥居、龍鎮の滝と滝壺   写真右:龍王ヶ渕 季節、時間帯、天候を選んで出向いたら色々美しい写真が撮れそうだ。

龍鎮渓谷    龍王ヶ渕


2020.07.17
雨で庭仕事も出来ず、屋内にこもり本の整理をしている。仕舞い込まれていた本、本箱の上に平積みになっていた本、本箱内の本をチェックし、不要なものを選別処分し、2階の自室に平積みになっている本を空いたスペースに並べるのが目的だ。『カムイ外伝』6〜20巻が出てきた。1〜5巻は買わなかったようだ。久しぶりに手に取ったら、結局15冊全部読んでしまった。『カムイ伝』も20巻ある。1巻をパラパラっと見ていて、これでは片付かないと思い直し、とりあえずカムイ外伝と共に本箱に並べる。西村寿行の『峠【たわ】』が出てきた。結局この厚い文庫本も2〜3日かかって読んでしまった。読み終わり処分せず本箱に並べる。本箱の上に積んであったパソコンやカメラなどの雑誌は、すべて処分する。単行本や新書も思い切って抜き出し処分する。右写真のデュマの『モンテ・クリスト伯』は、高校1年生の時上野市駅近くの本屋さんで買ったもので、初めて買って初めて読んだ「文庫本」だ。全6巻あるが、カバーや帯が無くなったりしている巻があるので、4巻を選んで写真を撮った。小学校の時『巌窟王』を読んで、胸がときめいたのを覚えている。巌窟王は、モンテ・クリスト伯を子供向けに1冊にまとめたものだ。昔の文庫本は油紙をカバーに使っていたが、背表紙が褐色に変色している。写真にある梅原猛氏の『地獄の思想』は、大学1年生の時学内の生協で初めて買って初めて読んだ「新書」だ。この新書はビニールのカバーがされているが、古くなりビニールが縮んで表紙がめくれあがっている。この文章を打っていて思い出したのだが、早川ミステリーだったかの007シリーズは新書だったのではなかったか。そうだとしたら高校の時に買った007シリーズが初めて買って初めて読んだ「新書」になるかもしれない。しかし、早くに処分したので確認ができない。『モンテ・クリスト伯』(6巻)も『地獄の思想』も無条件で本箱へ入れることにする。校舎の隅の薄暗い空間にあった生協は、その後学校の前に二階建て(食堂もあったなぁ、ひょっとしたら三階だったか?)のビルを建てて移った。生協が移ってから買ったのが、『現代の美術』(13巻)だ。生協で買うと本が1割引きになったのだった。この本も本箱に戻す。捨てる決心のつかない本が多かったが、すべての本が本箱に収まる見通しがたったと思う。全て本箱に入れたら、並べ方を変えてみようか。
 最初にかった文庫本、新書?

2020.07.05
万葉の会で、城之越【じょのこし】遺跡・常福寺・神戸神社・蓮明寺【れんみょうじ】などを巡りました。行きは、近鉄大阪線伊賀神戸駅で伊賀鉄道に乗り換え比土駅から歩きました。今年度、電車を利用するのは今回が初めてです。城之越遺跡は前日の雨の影響で大溝の水かさが多く、貼り石、立石等を見ることが出来ませんでした。次に向かったのは常福寺。通勤時に常福寺の横の国道を往復していながら、参拝するのはこの日が初めてでした。当寺の五大明王像を近くで拝観でき、強く感銘を受けました。常福寺からしばらく歩くと、神戸神社の杜が見えてきます。神戸神社の本殿(神明造)は、何度見ても大きくて立派だと思う。(千木が内削ぎであること、梁と桁の組み方が伊勢内宮正殿に準じている事を本日きっちりと確認した。)神戸神社の境内で昼食をとりました。次に向かったのは蓮明寺。登り道をしばらく歩き、最後に境内に至る急な石段を登ります。蓮明寺境内からの展望もすばらしかったです。室生火山群の特徴的な山並みが一望出来ます。(直近下の写真。2枚の写真をつなぎトリミングした。)蓮明寺から伊賀神戸駅まで歩きました。自宅から駅までの往復も含めて約12kmを歩きました。

室生火山群

以下の写真は、室生火山群に属する山々
屏風岩 屏風岩
尼ヶ岳 曽爾高原
 太朗生側から見た?留尊    香落渓

兜岳、鎧岳


2020.06.19
先日梅田に行った。梅田に行くのは1月以来だった。座れる確率の高い青山町始発の急行を選んだが、ガラガラと言えるくらいすいていた。座席がそこそこ埋まったのは、五位堂駅からである。JR鶴橋駅も1月以前より人が少なかった。(半分ぐらい?)環状線も余裕で座れた。大坂駅からヨドバシカメラに向かったが、エスカレーターに乗る場所を間違えた。上がってから周りを見て気づき、下る。ヨドバシカメラは何度も行っているが、すんなり到着したのは二割を切るのではないかと思う。先にヨドバシカメラと書いたが、正確な表現ではないと思う。地図にはヨドバシカメラマルチメディア梅田と書かれているが、マルチメディア梅田で検索しフロア情報を見ると、地下二階から五階までしか書かれていない。私がよく利用するのは二階と五階と八階だ。二階にはカメラ関係、文房具、時計、ブランド万年筆等がある。五階はDVD、八階は食堂街を利用する。この日も「すた丼屋」で鬼盛り唐揚げを食べた。¥830、税込み¥913なり。
少し話が逸れたが、さらに検索するとリンクス梅田というキーワードが出てきた。ヨドバシカメラに接続される形で新たなビルが出来たのだ。実は1月にフロア続きで石井スポーツに行ったのだが、すた丼屋も石井スポーツもリンクス梅田になるようだ。今回の文章を書くためにネットで調べていて、少し知識が増えた。1月にはグランフロント大阪にある好日山荘にも行ったが、リンクスの二階からグランフロント大阪に行くことが可能になる(なった?)ようだ。これは便利と思ったが、私がすんなり到着出来るかは不明だ。

2020.05.09、ツメグサのことを書いたのに写真がありませんでした。その後撮ったのをアップします。人間に例えると幼児位の成長度だが、左のツメグサはもう蕾を二つ付けている。

ツメグサ


2020.05.09
武漢肺炎流行で外出を控えているせいか、今年の春は庭仕事を熱心に行っている。で、今一番時間をかけている庭仕事は草引きだ。ツメグサがめっちゃ多い。ツメグサは、雨上がりだと指でつまんで根ごと抜くことが出来るのだが、生えてる数が半端ない。昨年、除草の手を抜いたなんてことはなかったと思うが・・・。その次に多いのはカタバミだ。こいつは引っこ抜くと簡単に長い茎で切れてしまい、地下に球根や大根が残る。(下写真参照)そいつらが残らないように捻じり鎌で丁寧に全体を掘らななければならない。手間がかかる。
昨年秋から今年の春にかけて、花壇の中に生えてくるドクダミとカヤ?(単子葉で地下茎で広がるやつ)の葉と地下茎取をり除いた。取り除くのに、スコップで30cm位は掘っただろうか。ついでに腐葉土を混ぜておく。
あと、犬走りとか飛び石の下から生えてくるドクダミの処置として、初めて除草剤を使うことにした。葉に撒布すると、根まで枯れると書かれていたのを買った。特定の区画で試してみて、地上部が枯れるのを確認した。これで、また生えてこなければ良いのだが。苔や他の植物がある場所は使えないので、手で引っこ抜くしかないだろう。

カタバミの根  カタバミの根


2020.03.22
2月22日から3月3日まで、伊賀市上野地区で「城下町のおひなさん」が開催されていた。色々なお雛さん、古いお雛さんを見ることが出来るイベントだ。記録を探したら、前回は2013年に行ったようだ。その時は個人のお宅にも訪問して色々なお雛様を見せて頂いた。
旧沖森邸等中町の通りをメインで見て回ったのだ(「2013.02.26」参照)が、今年も同じようなコースをとった。
例年通り、展示だけでなく数々のイベントも開催される予定だったが、今年はコロナウイルスの影響で、多くが中止されたようだ。
「2013.02.26」には写真を掲載しなかった(いそがしかった?手を抜いた?)ので、今回は(暇なので?手を抜かずに?)写真も掲載しようと思います。
上段左の写真は奴雛という珍しいものだそうだ。背景上部に俳句と説明が書かれている。
そよ風【かぜ】に拳【こぶし】にぎるや奴雛【やっこびな】
  作者 梢風【しょうふう】 (法名 智周)(1669〜1758)
  伊賀の女性俳人です。父の風麦【ふうばく】と夫の良品【りょうぼん】は伊賀の武士で、また芭蕉の門人であり、芭蕉が帰郷したときは、自宅でもてなしたりもしました。
  奴雛とは武家の従者を表した雛人形です。春のそよ風のなかで勇ましく拳を握り、桃の節句を待つ奴が詠まれています。


旧沖森邸を訪問したおり、写真を撮影している私に年配の女性が色々と説明して下さった。「大垣の学芸員さんが、奴雛を見て珍しいと言われた。」そうだ。また、「商家は紙のお雛様しか飾れなかった。」(写真上段右)そうだ。

煤【すす】けたる壁【かべ】ほのぐらし紙雛【かみひいな】
  作者 雪芝【せっし】(1670〜1711)
  伊賀の商人で「山田屋」という屋号【やごう】を持つ中町の酒造家です。芭蕉を自宅に招き芭蕉が詠んだ句によって「野松庵」とも称しました。
  紙雛とは紙で作った雛人形のことで、江戸時代には立ち姿の物が飾られこともありました。古びた壁の暗さと対照的に雛人形の華やかさが詠まれています。


7年前、「城下町のおひなさん」に伺ったおり、「伊賀上野は空襲を免れたので、古いお雛様が残っている。」と言われた方がおられた。そんなことを先の女性にお話ししたら、「安政の地震で古い雛様を失ったが、その後買い直され、それが現在も残っている。」のだそうだ。


写真下段左は下段右の部分をアップしたものです。
奴雛 紙雛
お雛様三段飾りアップ お雛様三段飾り

2020.02.29
私は9割以上、自身が撮影しプリントした写真を見て描いている。下の「室生龍穴神社」もそうだ。右の絵はつい最近完成したものだが、若い頃私が使っていたパイプを、写真ではなく実物を見て描いてみた。
パイプは左から買った順番に並んでいる。左端のパイプはブライヤー製で、上野(現伊賀市)のタバコ屋さんで買った。たしか3000円だった。一緒にパイプタバコも買ったが、たぶん初心者でも火持ちのよいアメリカタイプのロックンチェアだったと思う。
左から二つ目と三つ目は、コーンパイプだ。値段は500〜1000円位だったと思う。二つ目は、自分でオイルステインを塗ったので三つ目のコーンパイプより黒っぽい色になっている。プカプカやりすぎると、タバコの葉に含まれている水分がパイプに溜まる。コーンパイプはある程度水分を吸ってくれるので、初心者には使いやすかった。
右端はブライヤー製だが、サンドブラストがかかっており凸凹している。(質感が難しいので、描くのは一番最後になってしまった。)吸い口が曲がったベントタイプだ。これは京都のデパートで買った。5000円位だったと思う。
当時国産のパイプタバコは、ロックンチェア、桃山、飛鳥の三種類だったと思う。ダンヒルのマイミクスチャーなど色々なタバコをためしたが、結局定番はアンホーラの赤になった。国産は上野でも買えたが、アンホーラは京都か大阪のデパートで5つぐらいづつ買っていた。

そんな昔の事を思い出しながら、楽しく描けました。


以前、このページにパイプのことを書いたが(2009.10.17〜2009.11.08)、載せたパイプの写真は、携帯用の小さなものだった。
喫煙パイプの絵

2020.01.01
あけましておめでとうございます。
本年も「uziの神社参拝記」をよろしくお願い申し上げます。


室生龍穴神社

室生龍穴神社
この絵を描いていたときは、本当に楽しかったです。いつまでも描いていたいと思いました。やっぱり、神社が好きなんですね。


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