巨勢山口神社【こせやまぐち】(奈良県御所市古瀬)

古瀬集落の西、美しい円錐形をした標高297メートルの巨勢山の中腹(標高約200メートル)に鎮座している。もとはさらに上の小明原にあったといわれ、正長元年(1428年)に今の地に遷座したといわれている。(『日本の神々4 大和』)

国道309号線沿いにある標柱。
「式内大 巨勢山口神社」の文字が刻まれている。
標柱右面には「式内 大倉姫神社」の文字がある。(私は見落とした。)

右にある碑には以下の文字
碑の由来
 この碑は元葛村立葛尋常高等小学校・現葛中学校の校庭にありましたが国道309号線の工事の完成に伴い平成四年五月この地に移設しました大倉姫神社は南東方向約200Mの位置にあります
平成十四年三月吉日
古瀬自治会


ここから砂防ダム付近まで舗装されており駐車場もある。



参道入り口の掲示

巨勢山口【こせやまぐち】神社

御祭神 伊邪奈岐命 伊邪奈美命
    以前は大山津美命と伝えれる。
御祭礼日 十月七日

由緒
 旧葛城國和州葛上郡古瀬邑【こせむら】巨勢【こせ】山に鎮座 延喜式内大社で延喜式が制定されたのが西暦九二七年ですから今より遡【さかのぼ】ること千年以上 さらにそれ以前少なくとも五百年以前に御鎮座されたと仮定すれば今より一千六百年以上の昔よりお祀りされておりあす。
延喜式には県内十三社の山口神社の名があり時の朝廷も山の神を敬崇され祈年祭(二月に穀物、特に稲の豊かな稔りを神に祈る)の幣帛の品数はあしぎぬ(あ
ぎぬ)・木綿・麻等々、数が多く特に山口神社に関しては各馬一疋【ひき】が加えられました。


巨勢氏
 武内宿禰【たけのうちのすくね】の男雄柄
【おから】宿禰より出で本郡葛村巨勢に住し子孫巨勢氏を称す。其裔三輪高宮氏は南朝に属し忠勤をつくせり。其後永正九年巨勢吉範亦巨勢山に城を築く。(南葛城郡史)


万葉集

 巨勢山の
 つらつら椿つらつらに
 見つつ偲ばな
 詐湍【こせ】の春野を

参道




参道の鳥居




社殿が見えてきました




春日造の立派な本殿だ










本殿と末社
御祭神:伊邪那岐命【いざなぎのみこと】、伊邪那美命【いざなみのみこと】
末社は天照皇大神社




標柱(1枚目の写真)の近くの阿吽寺境内に万葉歌碑がある。

 巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を       坂戸人足 (巻1-54)



延喜式神名帳大和國に記載の山口神社十四社は以下の通りです。
夜支布山口神社【やぎう】、伊古麻山口神社【いこま】、巨勢山口神社【こせ】鴨山口神社【かも】、当麻山口神社【たいま】、大坂山口神社【おさか】、吉野山口神社【よしの】、長谷山口神社【はせ】、忍坂山口神社【おしさか】、飛鳥山口神社【あすか】、畝火山口神社【うねび】、石村山口神社【いわれ】、耳成山口神社【みみなし】、都祁山口神社【つげ】



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写真:2023.05撮影
home   作成:2023.05.13