耳成山口神社【みみなしやまぐち】(奈良県橿原市木原町)

耳成山

耳成山
通学時、車窓からよく眺めた山である。近鉄大阪線からみても橿原線からみても美しい形をしている。
電車内で、ご婦人にこの山の名前を聞かれたことがあった。
思わず三笠山と答え、帰ってから間違いに気づき恥ずかしい思いをしたことがあった。
数十年前のことだが、この山を見ると、時々その事を思い出す。


山裾にあった掲示

名勝 大和三山 香具山
  平成十七年七月十四日 文部科学省指定

 奈良盆地の南部に位置する、香具山【かぐやま】(152.4m)、畝傍山【うねびやま】(199.2m)、耳成山【みみなしやま】(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰【とうのみね】から北西に延びた尾根が浸食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳【そび】えるいわゆる死火山です。
 三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香具山神社、畝傍山口坐神社、耳成山口神社などが祀【まつ】られてきました。また、皇宮【こうぐう】造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
 大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。

 耳成山は大和三山の中では最も低い山ですが、円錐状の整った秀麗な山容をしています。畝傍山と同じく瀬戸内火山帯に属する死火山で、浸食や盆地の陥没と堆積によって、現在の姿となりました。万葉集の中で耳成山が単独で詠まれる例はなく、他の二山とともに詠まれました。

耳成山を詠んだ万葉集
 香具山は 畝傍【うねび】ををしと 耳梨【みみなし】と
 相【はひ】あらそひき 神代【かみよ】より
 かくにあるらし 古昔【いにしへ】も
 然【しか】にあれこそ うつせみも 嬬【つま】を
 あらそふらしき
   中大兄皇子(巻一の一三)

橿原市教育委員会 奈良森林管理事務所


上記文章に『万葉集の中で耳成山が単独で詠まれる例はなく、・・・』とありますが、池は詠まれているようです。
池の端にあった掲示

耳無の池し恨めし吾妹子【わぎもこ】が
来つつ潜【かづ】かば水は涸れなむ
  作者不詳

耳梨の池は恨めしい、あの子がさまよって来て水にはいったら、水がかれて死ねないようにしてくれればよかったのに、という意味です。
橿原市教育委員会



参道(山道)入り口

参道入り口
鳥居の額には、「耳無山 山口神社」の文字




境内入り口

耳成山は140mたらずの標高だ。
息を切らしながら登っていたら、身体が温まる間もなく唐突に境内入り口の石段が現れる。



拝殿

耳成山の八合目辺りに耳成山口神社はある。
参拝を済まし、耳成山の頂上へ行って降りてきたら小学生達が階段の下で記念撮影をしていた。
撮影が終わると蜘蛛の子を散らすようにかけだし、境内にいた数匹の猫に取って代わる。




拝殿

右手に稲荷社の赤い鳥居が見える


拝殿掲示

耳成山 山口神社由緒
はじめに
本日はようこそ 御参拝なされました。この神社は 耳成山の八合目にあります。耳成山は大和三山の一つで 天香久山【あまのかぐやま】 畝火山【うねびやま】と同じく 大和の名山であります。
 分けてこの山は 二上山 若草山と同じく神代の噴火山でしたが やがてその活動を終え その後盆地の陥落などにより 元はもっと高かった その頭部がこのような笠形の端麗な山姿を見せ 古代から天神山【てんじんやま】と呼ばれ 仰がれて来ました。
 標高は一三九.七メートル ところが山麓で既に六十メートルありますので 比高 凡そ八十メートルの登山です
 さぞかし 楽々遊山でお越し頂いたのではと拝察いたします。でも大変お疲れ様でした

創建とその経緯
創建の年代は定かではありませんが 古く既に
※正倉院の天平税帳【てんぴょうぜいちょう】には 天平二年(730年)に時の帝【みかど】より 神戸【かむべ】(租税を神社に納める農民)および稲を給わった とあり
※平安時代の延喜式神明帳【えんぎしきじんめいちょう】(全国の神社一覧表)にも 大社として記載されていて帝【みかど】より月次【つきなみ】・新嘗【にいなめ】の二つの祭典を仰せつかったとされている(岸根一正「奈良を学ぶ」)
※貞観元年(859年)九月 大八洲【おおやしま】(日本全国)に大暴風雨があり その時帝【みかど】よりの遣使が参拝して風雨鎮【しず】めの祈願をしたと記されている
※しかし その後【のち】何故か荒壞して 一時その所在すら判らなくなったが 寛延元年(1748年)八月 耳成の郷中【ごうじゅう】(村の人々)の氏子【うじこ】が 現在の神殿(春日造【かすがづく】り)および拝殿の建立をして現在に至っております
※なお 拝殿には 近世からの絵馬数点と算額【さんがく】も掛かり 信仰の歴史を描き残しています
(注)算額とは 和算家が自身が発見した数学の問題や解法を神社などに奉納した絵馬のことです
そして境内には 稲荷社 白龍社 金毘羅宮 なども祀られています

ご祭神
ご祭神は 高御産巣日神【たかみむすびのかみ】と大山祗神【おおやまつみのかみ】の二柱です  最初 この世界に現れた神は天之御中主神【あめのみなかぬしのかみ】でその次に現れた神がこの高御産巣日神【たかみむすびのかみ】です この神様は神社本庁に登録の神の数3132座の中で最高位の神で 私ども日本人の元祖です したがって 他の神のような担当神【うけもちのかみ】でなく 元【もと】の産【うみ】の親神として 安産 商売の祈願 一切の病気は申すに及ばず 何事も心次第でお聞き届け下さる有難き神様です
大山祗神【おおやまつみのかみ】は伊邪那岐【いざなぎ】 伊邪那美【いざなみ】の二神が 国産みで生んだ 山の神・おおやまつみ(国つ神)で 山の恵みを司って 豊作豊漁をかなえて下さる神様です 現在この神社は周辺六町(新賀・木原・山之坊・石原田・常盤・葛本)の氏神として祀られています

ご参考
蛭石【ひるいし】
神殿の前の榊の根元から 鼠の糞に似た珍しい土塊が出ます これを火であぶると ちょっとした伸縮運動が起こるので 蛭石【ひるいし】と呼んでいます 指先で強く押すと ボロボロ細かくなって 昔から安産の妙薬と言われているそうです (金本朝一「大和三山の道」)
耳成池
耳無【みみなし】の 池し恨【うら】めし 吾妹子【わぎもこ】が来つつ潜【かづ】かば 水は涸【か】れなむ (万葉集)
(耳無【みみなし】の池は恨めしい あの娘【こ】がさ迷って来て水に入ったなら 水がかれて死ねないようにしてくれればよかったのに)
・・・耳無山の麓に住む蔓子【かずらこ】という美女が 三人の男性から求婚され悩んだ末 池に投身することにより 男の間の争いを避けたという 残された三人はそれを悲しみ作った歌です
この耳無の池は 現在の耳成公園池ではなく山の西麓にありました (辰巳和余「こころの万葉風景」)

記念碑
明治四一年に 陸軍特別大演習の時 明治天皇御野立所として山頂が使用され その記念碑が 山頂と南麓に建てられています

またのご参詣をお待ち申し上げますと共に
               ご家族のご繁栄を祈願して



拝殿から本殿を拝す

割拝殿より本殿を拝す
二本の木の根元にビニールシートが被せられているが、そこが拝殿の掲示に書かれていた蛭石の出る場所か?




本殿

春日造の本殿背後

境内掲示
耳成山口神社御祭神
高皇産霊大神【たかみむすびおおかみ】
大山祗大神【おおやまつみのおおかみ】
二柱の大神をお祀りしております
奉納 友昇会




稲荷社

稲荷社
三社ともお狐さんが置かれているので全て稲荷社のようだ。


稲荷社

稲荷社




白龍大神

白龍大神




金毘羅社

金毘羅神社




山道

下りに違う道を使ったらかなり東側に出てきた。
石柱には「山口神社 山道」と書かれている。参道ではなく山道。たしかに。



女の子が「何写してるんですか?」と話しかけてきた。男の子2人も側にいる。小学校の3〜4年生位だろうか。拝殿を指さし、「あそこに額があるやろ。「耳無山山口神社」と書いてあるねん。それを写してるねん。」「遠足でここへ来たんか?」「いえ遊びできました。」先生も数人おられるし、校外学習かも知れない。そういえば水筒位しか持ってきていない様だった。「ここの神社は古いねんでぇ。1000年以上前からあるねん。」「1000年以上前からですか・・・。古い神社はほかにはないんですか?」いつの間にか男の子2人はいなくなった。「せやなぁ、この近くやったら三輪さんかなぁ。」「三輪さんですか。」「三輪さん知ってるか?」「ええ、知ってます。三輪さんは古いんですか?」通りすがりの先生が女の子に「三輪さんは古いで。」と声をかける。階段を登り割拝殿をくぐると女の子が付いてきた。そして稲荷社を指さし、「あのキツネにはなんで青い金網をしてあるんですか?」「耳が薄くとんがってるやろ、それに階段の下のあの狛犬に比べたら足も細いから、いたずらしたら折れるからかも知れんからな。」「こっちの狛犬片足あげてるねん。珍しい狛犬やで。隣の狛犬の足元には、子供の狛犬がへばり付いてるねん。」聞いた女の子は、階段を駆け下り観察してまた階段を登ってきた。「分かったか?」女の子はうなずいた。女の子は稲荷社を指さし「あの後ろに、壊れたキツネがあるんですけど。」と言った。「何処にあんの?」と聞いて案内してもらった。稲荷社の右手裏に、10cmほどの磁器製の割れたお狐さんが数体置かれていた。「猫が割ったのかも知れんなぁ。」と言うと、女の子が笑った。境内に入った時、5〜6匹の猫がいたのだった。今は猫はけ散らされ、代わりに子供達が走り回っていた。「なぜキツネが沢山あるんですか?」「お稲荷さんって知ってるか?」「知ってます。」「つかわしめと言って、キツネはお稲荷さんのお使いをするねん。滋賀県に日吉大社という神社があるけど、そこでお使いをするのはお猿さん、八幡神社はハトがお使いするねん。」「こっち来てみぃ。」と女の子を隣の祠に案内する。「白い蛇がいるやろ。」「本当だ。私手を合わせてお祈りしたんですけど、そこまで見てませんでした。」「ここに白龍大神て書いてあるけど、この蛇は白龍大神さんのお使いやねん。」「よく知ってますね。本を読んでお勉強したんですか?」「おっちゃん、神社すきやから、図書館で神社の本借りたり、買ったりして読んでるねん。」「それで詳しいんですね。」拝殿前の階段を下りると、女の子は「ありがとうございました。」と言って友達の輪に加わった。境内を後にして階段を下りていたら「ありがとうございました。」という女の子の声がした。振り返ると階段の上に女の子が立っていた。「バイバイ」と言って手を振り別れた。なんだか、たのしい出会いであった。女の子はきっちりと敬語を使っていた。私自身が小学校3〜4年生の頃は、あの子ほどしっかりしていなかったに違いない。20年後、30年後に再会したいなぁ。いやそこまで私は生きていられないから、10年後にでも・・・。10年後の今月今日この時間、耳成山口神社に参拝しましょうか。って、そこまで私が保つのだろうか。そんなことより、私、女の子に嘘を教えなかっただろうか。昔、耳成山を三笠山とご婦人に言ってしまったように。


延喜式神名帳大和國に記載の山口神社十四社は以下の通りです。
夜支布山口神社【やぎう】、伊古麻山口神社【いこま】、巨勢山口神社【こせ】、鴨山口神社【かも】、当麻山口神社【たいま】、大坂山口神社【おさか】、吉野山口神社【よしの】、長谷山口神社【はせ】、忍坂山口神社【おしさか】、飛鳥山口神社【あすか】、畝火山口神社【うねび】、石村山口神社【いわれ】、耳成山口神社【みみなし】、都祁山口神社【つげ】



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写真:2012.03撮影
home   更新:− 作成:2012.03.31