夜支布山口神社【やぎうやまぐち】(奈良県奈良市大柳生町)
「延喜式神名帳 畿内 大和國 二百八十六座」の中に、山口神社は十四社ある。夜支布山口神社もその中の一社だが、他の山口神社よりも早く神階を受けた大社である。(嘉祥三年(850年)従五位下、貞観元年(859年)正五位上)鎮座地の小字を神野【こうの】というが神社の通称も神野宮と呼ばれている。境内摂社立磐神社【たていわ】の延宝五年(1677年)の棟札に「神野宮大明神」とあり、本来の神野宮は立磐神社のことを指していたと思われる。山口神社は大字上出の山口に鎮座していたのを、立磐神社の境内に移したとのことだが、移された時期は不明である。
参道入り口
めずらしい春日鳥居と思いきや、稚児柱があった。しかも、稚児柱は左右1本づつだ。これもめずらしい。
境内入り口
一見伊勢鳥居に見えるが、こちらの鳥居にも稚児柱が左右1本ずつある。
奥に拝殿が見える。
拝殿 |
境内掲示 夜支布【やぎう】山口神社 大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に、ここに移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。 |
本殿
祭神:素戔嗚命【すさのおのみこと】
摂社 立盤神社
立盤神社 |
社殿の後方に |
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境内掲示 国指定 重要文化財 立盤神社【たていわ】 社殿形式 一間社春日造 檜皮葺 建立年代 江戸時代 享保十二年(1727) 祭神 天手力男命【たぢからおのみこと】 當社地は立岩に神霊が宿る霊地として巨石信仰の古代から崇拝され、立岩の前には早い時期から社殿が建てられていたが後世に山口神社が當社地いへ移され立盤の神が摂社となった神社である。 春日大社蔵の記録及び社殿から發見された墨書によると現社殿は春日大社享保御造替時に新造された本社本殿の第四殿を延享御造替時(1744〜1747)に當地へ移譲されたものである。 社殿は切妻造妻入の正面に軒の付いた古い形式をよく傳へ、また當初材が多く残り移建の事情も明らかな點に注目すべきものがある。 |
延喜式神名帳大和國に記載の山口神社十四社は以下の通りです。
夜支布山口神社【やぎう】、伊古麻山口神社【いこま】、巨勢山口神社【こせ】、鴨山口神社【かも】、当麻山口神社【たいま】、大坂山口神社【おさか】、吉野山口神社【よしの】、長谷山口神社【はせ】、忍坂山口神社【おしさか】、飛鳥山口神社【あすか】、畝火山口神社【うねび】、石村山口神社【いわれ】、耳成山口神社【みみなし】、都祁山口神社【つげ】
home 作成:2009.06.20