都祁山口神社【つげやまぐち】(奈良県奈良市都祁小山戸町)

境内入り口

参道入り口




参道

参道




拝殿及び摂末社

拝殿及び摂末社
参拝したのは5月。シャクナゲが咲いておりました。




本殿

本殿


境内掲示

式内大社 都祁山口神社

御祭神 本社 大山祇神【おおやまつみのかみ】
    本社 大國主命【おおくにぬしのみこと】

         都祁村大字小山戸字カモエ谷

 当社は古代闘鶏【つげ】の鎮守として奉祀され、大和の国の一四所山口神の一つで、都祁村の山霊を祀る。天平二年(七三0)の大倭国正税帳(正倉院文書)に「都祁神戸」、大同元年(八0六)牒(新抄格勅符抄)「都祁山口神一戸大和」とあり、当社をさすのである。
 同所に祀られていた都祁水分神社は、天禄二年(九七一)九月二十五日に友田の阪窪山に移され祀られている。
 当社神主職は神八井耳命の子孫都祁直の末裔と伝え、貞観【じょうがん】年間より藤原氏を称した。以来父子相継ぎ、小山戸殿とも称せられ、暦応【りゃくおう】年中(一三三八−四二)伊勢の北畠氏に属して北と改称、大乗院小山戸庄の下司【げし】職をも兼帯したという。
 戦国の争乱によって神社は衰退したが、北左京之進が寛永年中(一六二四−四四)に郷民を勧めて社殿を造立した。延喜式にも、国が祭を司る神社として記録されている。
 明治四十一年(一九0八)に大字相河【そうご】の丸山に祀られていた國津神社と合併のうえ合祀されている。
 又、本殿の裏山にゴシャオ(御社尾)とよばれる巨岩があり、古代より磐座として崇敬され、当社の歴史を示すものである。

               都祁村教育委員会



摂末社 摂末社

摂末社




木の根道

ゴシャオ(御社尾)の磐座に向かう尾根筋の木の根道。
行く手をさえぎる蛇の大群、なんてことを想像してみたり・・・・




ゴシャオ(御社尾)の神石

ゴシャオ(御社尾)の神石
中央が割れて陰石のような形になっている。
元慶三年(879年)に白龍となった水分神が降臨したと伝えられる。



延喜式神名帳の都祁山口神社を当社とする説と、天理市杣之内町東垣内(旧山口村)の都祁山口神社に比定する説がある。
当社は、多氏系の氏族「都祁国造」氏が祭祀する神社であったが、貞観年中(859〜877年)山辺郡司藤原時長の次男時忠が都祁直時麻呂の女婿となって神主職を継ぎ、以後は藤原氏が神主となり、一族は小山戸殿と称された。暦応年間(1338〜1342年)顕時のときに伊勢の北畠氏(南朝方)に仕えて北氏と改め、建武以降は紀氏に神職を譲った。(「日本の神々4」白水社)


延喜式神名帳大和國に記載の山口神社十四社は以下の通りです。
夜支布山口神社【やぎう】、伊古麻山口神社【いこま】、巨勢山口神社【こせ】、鴨山口神社【かも】、当麻山口神社【たいま】、大坂山口神社【おさか】、吉野山口神社【よしの】、長谷山口神社【はせ】、忍坂山口神社【おしさか】、飛鳥山口神社【あすか】、畝火山口神社【うねび】、石村山口神社【いわれ】、耳成山口神社【みみなし】、都祁山口神社【つげ】

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home   作成:2008.07.19